久万俊二郎
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久万 俊二郎(くま しゅんじろう、1921年1月6日 - )は昭和後期から平成期(1980年代-)の実業家。阪神電気鉄道元社長・会長。阪神タイガース元オーナー。高知県出身。
[編集] 来歴・人物
東京帝国大学卒業後、阪神電鉄へ入社。金儲けのプロとして知られ、1978年取締役就任。1982年社長昇格。1992年から会長。1984年から阪神タイガースのオーナーを、明治大学の投手一場靖弘(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)の裏金問題で辞任するまで20年間にわたり務めた。現在は阪神電鉄取締役相談役。
戦時中、招集により東京帝国大学を仮卒業。戦争も熾烈になってきた1945年3月、一個中隊を率いて玉砕寸前まで戦った元海軍将校。
[編集] 阪神タイガースのオーナーとして
- 鉄道経営と金儲けのプロと言われている一方、野球の知識は皆無でもスポーツ新聞の全紙に目を通している。球団をマスコミ商売と捉えているため、記者などの問いに対し、『球団より会社』などとオーナーらしくない驚くほど軽い口調で答えることが多い。
- 1987年に掛布雅之が酒気帯び運転で事故を起こした際「うちの4番は欠陥商品。野球選手以前に人間として失格だ」と痛罵したが、結局これが元で掛布は指導者として阪神へ復帰する道筋を絶たれてしまった。また在任20年間でチームがAクラス(3位以上)に入ったのがたった4回、逆に最下位10回と空前の低迷を招いたにもかかわらず、低迷脱出への手を積極的に打たなかったことから阪神ファンの間では評価が低く、2004年に不祥事で辞任した時はそれを喜ぶ声が上がったほどである。
- 1995年のシーズン途中、チームの低迷について「彼の作戦はスカタンや」と当時の中村監督(現・オリックスシニアアドバイサー)を批判し、中村を途中休養→辞任に追い込んだ。このため一部の阪神ファン、プロ野球ファンから「六大学出身(中村氏は早稲田大学の出身)のスター監督を辞任に追い込んだ張本人」と言われている。
- 1999年にヤクルト監督を勇退したばかりの野村克也を監督として招聘し、3年連続セ・リーグ(吉田監督時代の1998年を含めると4年連続)最下位になっても続投を発表したものの、夫人の脱税発覚・逮捕で野村が辞任。後任として中日監督を勇退したばかりの星野仙一を招聘した。
- 2002年に週刊誌のインタビューで「みんな野村のおかげですから」「野村が敷いた路線を星野が歩んでるだけ」と野村を擁護する発言をするものの、別の週刊誌では一転「野村は人を騙すのが仕事」と、寝返る様に批判した。
- 2004年の球界再編問題では当初近鉄球団とオリックス球団の合併に賛成し、さらに「各球団の採算が取れて、1番試合をやりやすいのは(1リーグ)8球団」と主張していた(「新リーグ構想を支持 阪神の久万オーナー」共同通信社)。しかし、球団SDの星野の説得により一転反対した。しかし実行委員会では再び賛成に回ったため、近鉄球団をオリックスへの吸収合併による解散へ追いやった。その理由は、当時阪神電気鉄道が進めている近畿日本鉄道(近鉄球団の親会社)との阪神西大阪線相互乗り入れが暗礁に乗り上げており、近鉄球団がなくなれば円滑に進むと考えたからで、野球より親会社の計画をとったからだというのが真相、という説がある。
- また、再編問題で合併反対の阪神に対し、合併強硬派の巨人の当時オーナー渡邉恒雄が「ジャイアンツがパリーグに行く」と発言した直後に「阪神としては巨人と2球団だけでもいい」と発言した。
- 2005年に途中休養説や辞任説がささやかれた巨人監督・堀内恒夫の後任として星野が候補として挙げられた時に「巨人の監督になればいいじゃないですか」と手放す発言をしている。
- 上述のように度々過激な発言をする性格の強さや、チームをビジネスと捉えている面などから、ファン等から否定的に見られることも多いが、毎試合のように甲子園球場を満員にし、阪神タイガースを利益を上げる優良企業にした経営手腕から肯定的に見られることもある。