二子
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[編集] 地理
北東部は多摩川に接する。町内をかつての官道「大山街道」および「府中街道」が東西および南北に貫き、隣接する溝口とともに交通の要衝として栄えた。
現在は、川崎市北部の中核商業都市、および高津区の中心としての機能は隣接する溝口が担っており、二子町内は閑静な住宅街となっている。
[編集] 歴史
[編集] 律令時代
律令時代に武蔵国の国衙が置かれた府中と各地を結ぶ府中街道(現・国道409号)が当町の南部を通っており、久良岐郡(現在の横浜市の一部)・橘樹郡(現在の川崎市の大部分および横浜市の一部)より武蔵国国府、および 8世紀以前の主要街道であった東山道(中山道、甲州街道)へ至る道として活発に利用された。
この当時、二子村の中心は府中街道沿いにあり、府中街道周辺の字名に「元居村」の名を残している。
[編集] 江戸時代
江戸時代に入ると、江戸と上方を結ぶ足柄道として、また大山信仰の参詣道としての大山街道の利用が活発になった。すると、かつては府中街道沿いに立地していた中心街が、おのずと大山街道沿いに移ってゆくこととなる。
また、江戸時代に多摩川は江戸護衛の観点より架橋が制限されていたこともあり、大正年間に二子橋が架かるまで大山街道は渡船「二子の渡し」で多摩川を越えていた。このため、渡船の着発する二子および隣の溝口町内の大山街道沿いは宿場町として栄えた。
[編集] 二子橋架橋以降
二子橋架橋に際し、町内に芸者が呼ばれ歓楽街が開かれた(新地)。この名残の料亭や居酒屋が、今も町内の多摩川近くに散見される。
昭和 2年には玉川電気鉄道溝ノ口線(現在の東急田園都市線)が開業し、町内の大山街道沿いに「二子」(後に二子新地前、二子新地)[1]、および府中街道沿いに「高津」の 2駅が設けられた。
大山街道は大正年間に県道1号線に指定され、後に国道246号線に指定されるが、国道となった後に大規模な整備が行われ、津田山(七面山)を切通しと陸橋で越える東京・横浜バイパスが建設された。このバイパス道路が国道に指定されると、旧道は国道指定から外され一般市道となる(なお高津十字路以西の溝口町内は県道14号鶴見溝口線)。以降、旧道は専ら「大山街道」または「旧大山街道」と呼ばれている。
昭和中期までは、町内でも周辺各町と同様に、多摩川の肥沃で平坦な扇状地を活用した農業が盛んであった。街道沿いに栄えた商店街から一歩入ると田畑が広がり、また「多摩川梨」の産地の一角でもあったが、近年の急速な宅地化に伴い、今では町内の農地はごく僅かに残るのみとなった。
近年まで、大山街道沿いには宿場町として栄えた時代の名家の蔵や商店などが建ち並んでいたが、昭和52年の東急新玉川線(現在の田園都市線の一部)開業後に東京都心への通勤圏に組み込まれて以降急速に宅地化が進み、しかも大山街道沿いは都市計画上では近隣商業地域に指定されていたことから建物の建築制限が緩く、現在は大きなマンションが乱立する光景へと急速に様変わりしつつある。
[編集] 町名の由来
町内の元居村(現在の二子五丁目、二子六丁目付近)の近くに、かつて 2つの古墳があり、それが「二子塚」(ふたごつか)と呼ばれていたことにちなむと言われている。
この二子塚は大正時代に地元有志の手により調査され、調査時の出土品が写った記録写真 1枚だけが今も残っているが、その塚および出土品は、後の震災、戦争、宅地開発などの狭間で行方知れずとなった。今は、二ヶ領用水に架かる橋のひとつ「二子塚橋」や付近の児童公園が辛うじて名前を留めるのみである。
[編集] 明治以降の行政区画
- 溝ノ口村など近隣7ヶ村と合併し、高津村大字二子になる。
- 町制施行、神奈川県橘樹郡高津町二子になる。
- 川崎市に編入、神奈川県川崎市二子になる。
[編集] 町内の名所・催事
- 「二子大通り」(ふたごおおどおり)とも呼ばれる。
- 隣接する溝口町内とともに、沿道の商店が江戸時代の旧街道にちなんで「口上」の立て看板や標示を掲げている。
- 沿道の名所・旧跡の前には川崎歴史ガイドの案内板が設置されている。
- 二子神社
- 旧二子村村社。最初の鳥居と参道が大山街道に面しており、川崎歴史ガイドおよび大山灯籠の案内標は大山街道沿いに立てられている。境内には町内会の集会所が併設されている。かつては専属の宮司が居たが、現在は溝口神社が兼務している。
- 岡本かの子文学碑「誇り」
- 大悲山光明寺
- 浄土真宗大谷派。かつては元居村にあったが、江戸時代に住民の移動とともに大山街道沿いへ移された。明治時代には「二子学舎(ふたごがくしゃ)」が置かれ、地域の近代初等教育を担った。
- 構内に大きなクスノキ(市指定保存樹木)があり、街に風情を添える。
- 休日になるとサイクリングや各種行楽に訪れる人で大変賑わう。
- 高津区民祭
- 例年 7月の最終日曜日に二子・溝口の大山街道沿いで開催される。パレードや二ヶ領用水(大石橋付近)での灯籠流しなどが開催され多くの人が繰り出し賑わう。
- また、この期間に合わせて大山街道ふるさと館では地域にゆかりの著名人による展示が開催される。
- 川崎市制記念多摩川花火大会
- 町内には久地・二子堀、六ヶ村堀、川崎堀が流れていたが、現在は前 2者はほとんど暗渠化されており流路を辿るのは困難になっている。川崎堀は普通河川として管理されている。
- 大山街道フェスタ
- 高津スポーツセンター
[編集] かつての名所・旧跡
- 二子塚(ふたごつか)
- 二子の渡し(ふたごのわたし)
- 大貫(おおぬき)家の人々
[編集] 周辺
[編集] 公共交通
[編集] 注釈
- ^ 町名は「ふたご」と濁って読むが、駅名は「ふたこしんち」と濁らない。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 高津区
- 二子神社(川崎市教育委員会)
- 光明寺(川崎市教育委員会)
- 大山街道サミット
二子・溝口地区を中心とし、大山街道の歴史を活かしての沿道地域の活性化を目的とする市民活動。 - 二子大通り商和会
- 溝口大山街道振興会
- 川崎市大山街道ふるさと館
- 岡本太郎美術館
- かながわのまちなみ100選(神奈川県)