五賢帝
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五賢帝(ごけんてい)とは、しばしば誤ってネルワ・アントニヌス朝、ネルワ・トラヤヌス・アントニヌス朝とも称されるローマ帝政の一時期を指す用語であり、この時期に帝国を支配した五人の皇帝を指す用語でもある。彼らは、彼らの後継者に比較して穏健な政策によって知られる。時期としては紀元96年のドミティアヌスの死から、紀元180年のコンモドゥスの登位にいたる時期をさす。またネルワ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウスの諸帝がここに含まれる。また、トラヤヌスが治めていた時が領土最大だった。
19世紀英国の歴史家ギボンが、著書『ローマ帝国衰亡史』の中で、この時代を「人類が最も幸福であった時代」と評したことでも名高い。また、今日でも「ローマの平和(Pax Romana)」の窮極の到達点として広く想起される。
- ネルウァ (Marcus Cocceius Nerva)
- トラヤヌス (Marcus Ulpius Nerva Traianus)
- ハドリアヌス (Publius Aelius Traianus Hadrianus)
- アントニヌス・ピウス (Titus Aurelius Fulvius Boionius Arrius Antoninus Pius)
- マルクス・アウレリウス・アントニヌス (Marcus Aurelius Antoninus)
ローマ帝国始まって以来の平和であった、パックス・ロマーナと呼ばれる時代の一角をなす。これらの諸帝のうち、マルクス・アウレリウスを除く四人は世襲によらず養子によって後継者を指名した。
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