伊達村寿
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伊達 村寿(だて むらなが、宝暦13年1月4日(1763年2月16日)? - 天保7年3月10日(1836年4月25日))は、伊予国宇和島藩の第6代藩主。父は第5代藩主・伊達村候(村寿は四男)。母は鍋島宗茂の娘・護姫。正室は伊達重村の娘・順子。側室に浅見氏、鬼生田氏、田中氏、滝本氏。官位は従四位下、大膳大夫、侍従、遠江守、右近衛権少将。
宝暦13年(1763年)正月4日生まれ。幼名は兵五郎。ただし、生年には宝暦11年(1761年)説もあり、はっきりしていない。
安永6年(1777年)11月15日に元服する。寛政6年(1794年)、父の死去により家督を継いで藩主となる。藩政においては財政再建のために倹約令を出したが、家老の稲井甚太左衛門と番頭の萩森氏が藩の主導権をめぐって争い、萩森騒動を起こすなど、改革は停滞してしまった。文化14年(1817年)から病気を理由にして、長男の伊達宗紀に藩の実権を預ける。その後の文政7年(1824年)9月12日、家督を宗紀に譲って隠居し、天保7年(1836年)3月10日に死去した。
[編集] 系譜
- 正室:順子(伊達重村の娘)
- 女
- 側室:田中氏
- 伊達宗紀
- 伊達宗翰
- 側室:浅見氏
- 側室:鬼生田氏
- 側室:滝本氏
- 母不詳
- 松根候智
- 蒔田定邦(蒔田定祥養子)
- 雍(伊達寿光養女、伊達光和の妻、志賀為重の妻)
- 純(桜田親敬養女、望月重威の妻)
- 辰(神尾寿煕養女、神尾氏秘の妻)
- 静(桜田寿茂の妻)
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