佐藤允
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佐藤 允(さとう まこと、1934年3月18日 - )は、日本の俳優。
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[編集] 来歴・人物
佐賀県神埼郡神埼町(現・神埼市)出身。4歳の頃に父が戦死し、教員の母の手一つで育てられる。1953年、日本大学第三高等学校卒業後、俳優座養成所に入所する。同期に仲代達矢、中谷一郎、佐藤慶、宇津井健がいた。
1956年、谷口千吉監督の『不良少年』で映画デビューし、東宝に入社。その日本人離れしたアクの強い風貌のためか、入社間もない頃は凶悪犯やチンピラなどの悪役や端役出演が多く、不遇を過ごす。1959年、岡本喜八監督の『独立愚連隊』に主演したことで一躍脚光を浴び、スターの仲間入りを果たした。この頃、会社から佐藤、夏木陽介、瀬木俊一の3人組「スリーガイズ」として売り出されたが、瀬木が間もなく引退したため、自然消滅。以後は夏木と、その後新しく東宝に入社した加山雄三のトリオで映画に出演することが多くなった。
「暗黒街シリーズ」「作戦シリーズ」などアクション映画を中心に活躍し、人気を不動のものにする。東宝退社後の1972年に出演したサントリービールのCMでも大きな注目を集めた。 紳士服の一色のCMにも出演していました。 若い頃はその風貌から、ハリウッドスターのリチャード・ウィドマークに似ているとされ、“和製ウィドマーク”として売り出された。 ただし、中年になってからは同じくハリウッドスターのチャールズ・ブロンソンに似ているとされ、“和製ブロンソン”と形容されることが多い。 いずれにしろ、彼の風貌がいかに日本人離れしているかがよくわかるネーミングである。
[編集] 主な出演作品
[編集] 映画
- 美女と液体人間(1958年、本多猪四郎監督)
- 隠し砦の三悪人(1958年、黒澤明監督)
- 暗黒街シリーズ
- 野獣死すべし(1959年、須川栄三監督)
- 独立愚連隊(1959年、岡本喜八監督)
- ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年、松林宗恵監督)
- 独立愚連隊西へ(1960年、岡本喜八監督)
- 作戦シリーズ
- 太平洋の翼(1963年、松林宗恵監督)
- 青島要塞爆撃命令(1963年、古澤憲吾監督)
- 国際秘密警察シリーズ
- 太平洋奇跡の作戦 キスカ(1965年、丸山誠治監督)
- これが青春だ!(1966年、松森健監督)
- 日本のいちばん長い日(1967年、岡本喜八監督)
- みな殺しの霊歌(1968年、加藤泰監督)
- 殺し屋人別帳(1970年、石井輝男監督)
- 人間革命(1973年、舛田利雄監督)
- 宇宙からのメッセージ(1978年、深作欣二監督)
- 二百三高地(1980年、舛田利雄監督)
- 連合艦隊(1981年、松林宗恵監督)
- 大日本帝国(1981年、舛田利雄監督)
- セーラー服と機関銃(1981年、相米慎二監督)
- 転校生(1982年、大林宣彦監督)
- さびしんぼう(1985年、大林宣彦監督)
- もののけ姫(1997年、宮崎駿監督)
- うなぎ(1997年、今村昌平監督)
- ショムニ(1998年、渡邊孝好監督)
- はつ恋(2000年、篠原哲雄監督)
- 死国(2000年、長崎俊一監督)
- ヒナゴン(2005年、渡邊孝好監督)
[編集] テレビドラマ
- 遊撃戦(1966年)
- 東京コンバット(1968年~1969年)
- 新・平家物語(1972年)
- 赤い迷路(1974年~1975年)
- 夜明けの刑事(1976年~1977年)
- 透明ドリちゃん(1978年)
- 三匹が斬る!(1987年)
- 教師びんびん物語(1988年)
- 元禄繚乱(1999年)
- 恋愛偏差値(2002年)