日光東照宮
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東照宮 | |
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所在地 | 栃木県日光市山内2301 |
主祭神 | 徳川家康公 (相殿)豊臣秀吉公・源頼朝卿 |
社格等 | 別格官幣社 |
創建 | 元和3年(1617年) |
本殿の様式 | 権現造 |
例祭 | 5月17日・18日 |
日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は栃木県日光市にある神社。江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現を祀る。日本全国の東照宮の総本社的存在である。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 沿革
元和2年(1616年)4月17日、徳川家康は駿府(静岡)で死去した。遺骸は遺命により直ちに駿河国の久能山へ葬られたが、翌元和3年に下野国日光へ改葬された。同年4月に社殿が完成し、朝廷から東照大権現の神号と正一位の位階の追贈を受け、4月8日に奥院廟塔に改葬され、4月17日に遷座祭が行われた。なお、改葬の際、吉田神道と山王神道のどちらで祀るかで論争となったが、天海が主張した山王一実神道が採用され、薬師如来を本地仏とする神仏習合により祀られることになった。
寛永11年(1634年)には、9月に将軍徳川家光が日光社参し、寛永13年の21年神忌に向けて社殿の大造営に着手する。総奉行は秋元泰朝、普請は大工の甲良宗広ら一門が手がけた。翌寛永13年には、江戸へ来訪した朝鮮通信使が対馬藩主宗氏の要請で日光参詣を行っており、将軍家の政治的威光にも利用されている。正保2年(1645年)に朝廷から宮号が授与されて東照社から東照宮に改称した。国家守護の「日本之神」として、翌年の例祭からは朝廷からの幣帛が恒例となり、報幣使(日光例幣使)が派遣された。
家康が日光に祀られることになったのは、家康本人の遺言からである。家康は遺言中に「遺体は久能山におさめ、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神としてまつること。そして、八州の鎮守となろう」と述べている。家康が目指した「八州の鎮守」とは、「日本全土の平和の守り神」である。家康は、不動の北極星の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたのである。
明治の神仏分離により、日光は神社の東照宮・二荒山神社、寺院の輪王寺の二社一寺の形式に分立した。現在でも、一部の施設について東照宮と輪王寺の間で帰属について係争中のものがある。明治6年に別格官幣社に列せられ、第二次世界大戦後は神社本庁の別表神社となっていたが、昭和60年に神社本庁を離れて単立神社となった。
[編集] 日光東照宮と陰陽道
日光東照宮は、陰陽道に強い影響を受け、本殿前に設けられた陽明門とその前の鳥居を中心に結んだ上空に北極星が来るように造られているという。また、その線を真南に行けば江戸へ着くとされ、さらに主要な建物を線で結ぶと北斗七星の配置と寸分違わぬよう設計されているという。そのため陽明門前の写真店屋のある辺りが日本一運気の強い場所と言われている。
[編集] 社殿に見える動物
日光東照宮を訪ねると様々な建物に多様な動物を見ることができる。これらの動物は全て平和を象徴するものとして描かれている。「見ざる、言わざる、聞かざる」で有名な3匹の猿は実は神厩舎に造られた8枚の浮彫画面の1枚に過ぎない。これは、8枚で猿の一生が描かれており、ひいては人間の平和な一生の過ごし方を説いたものとなっている。なお、「見ざる、言わざる、聞かざる」は幼少期には悪事を見ない、言わない、聞かない方がいいという教えである。奥社入口を護る「眠り猫」にしても実は家康を護るために寝ていると見せ掛け、いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれているが、もう一つの教えとして「猫も寝るほどの平和」を表しているのである。
[編集] 文化財
[編集] 建造物
- 国宝(8棟)
- 本殿、石の間及び拝殿 合1棟
- 正面及び背面唐門 2棟
- 東西透塀 2棟
- 陽明門
- 逆柱(さかばしら)がある。
- 東西回廊 2棟(附 潜門)
- 重要文化財(34棟)
- 上社務所
- 神楽殿
- 神輿舎
- 鐘楼
- 鼓楼
- 本地堂(注1)
- 経蔵(注1)
- 上神庫
- 中神庫
- 下神庫
- 水屋
- 神厩
- 表門(附 簓子塀)
- 五重塔
- 石鳥居
- 坂下門
- 奥社宝塔(銅製)(附 銅製華瓶・燭台・香炉)
- 奥社唐門(銅製)(附 銅製狛犬2躯)
- 奥社石玉垣
- 奥社拝殿
- 奥社銅神庫
- 奥社鳥居(銅製)
- 奥社石柵(附 石狛犬2躯)
(注1)本地堂と経蔵の2棟は東照宮と輪王寺との間で帰属について係争中であり、財団法人日光社寺文化財保存会が文化財保護法の規定による「管理団体」に指定されている。
- 仮殿本殿、相之間、拝殿 1棟
- 仮殿唐門
- 仮殿掖門及び透塀 2棟
- 仮殿鳥居(銅製)
- 仮殿鐘楼(附 石燈籠2基)
- 御旅所本殿(附 石舞台、東遊再興記石碑)
- 御旅所拝殿
- 御旅所神饌所(附 渡廊)
- 旧奥社唐門(石造)(注2)
- 旧奥社鳥居(石造)(注2)
(注2)これら2棟は、17世紀半ばの地震で倒壊した後、山中に埋められ、銅製の鳥居と門に建て替えられた。その後1967年に発掘され、東照宮宝物館脇に復元・再建された。
(以下は「附」(つけたり)指定物件)
- 参道(石鳥居以内)
- 鐘舎(鐘楼前)
- 燈台(鐘楼前、蓮燈籠)
- 燈台穂屋(鼓楼前、回転燈籠)
- 燈台穂屋(鼓楼前、釣燈籠)
- 銅神庫
- 渡廊(所在:陽明門東方回廊と社務所の間)
- 銅庫門(附 板塀)
- 非常門(附 銅板塀)(所在:中神庫北方)
- 鳥居(銅製)
- 内番所
- 西浄
- 東通用御門(所在:下神庫東方)
- 石柵(陽明門前、鐘楼・鼓楼前、非常門脇、表門前、五重塔周囲)
- 銅燈籠16基
- 鉄燈籠2基
- 石燈籠104基
[編集] 美術工芸品
- 国宝
- 太刀 銘助真
- 太刀 銘国宗
- 重要文化財
- 紙本著色東照宮縁起 画狩野探幽筆
- 剣 銘久国弘安三年三月日
- 小文地葵紋付胴服
- 太刀 銘一(福岡一文字)
- 太刀 銘吉房
- 短刀 無銘伝行光作
- 南蛮胴具足
- 脇指 銘備前国住長船勝光宗光備中於草壁作 文明十九年二月吉日
- 寛永諸家系図伝(真名本)
- 蒔絵箱入紙本墨書東照社縁起
- 渾天儀 寛文十年酒井忠直奉納(銅製)
[編集] 世界遺産等
[編集] 交通
[編集] 外部リンク
[編集] 関連事項
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