厳原港
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厳原港(いずはらこう)は長崎県の対馬南東岸(対馬市)に位置する重要港湾。港湾管理者は長崎県。対馬の中心的な役割を持つ港である。国道382号の対馬島内陸上区間の終点であり、対馬~壱岐の海上区間の起点でもある。
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[編集] 概要
リアス式海岸の入り江地形を利用した港湾で、東向きの湾口から北々西方向にのびる入り江にある厳原地区と、厳原地区の入り江から分岐して南西方向にのびる入り江にある久田地区から為る。
両地区の間の海岸は断崖となっており、港湾施設は置かれていない。このため両地区を結ぶ道路は山腹を走る、カーブが多い一車線道路のみであり、陸路での地区間の連絡はやや不便である。また、厳原地区のすぐ北側に対馬市の中心市街地があることから、旅客ターミナルなど主要な施設はほとんど厳原地区に集中している。
なお、現在両地区の間の海岸を埋め立てて臨港道路(片側一車線)の建設が計画・整備されており、久田地区内では一部開通している。この道路が全線開通すると地区間の交通がかなり便利になる。
歴史的には古来から朝鮮半島との交易港として栄えてきた。江戸時代の鎖国期にも江戸幕府公認の朝鮮交易港として、同時に朝鮮通信使の中継港として大きな役割を果たした。また江戸時代には、対馬府中藩の城下町である府中(現在の厳原)に隣接しているため藩船停泊地となっており、久田地区にお船江(後述)という藩船専用の船着き場が置かれた。 第二次世界大戦直後には大陸からの引き揚げ者の中継港となり、港は引き揚げ者であふれていたという。そのような状況の中、1945年には行方不明者800名以上ともいわれる大惨事になった珠丸事故が起きている。
[編集] 施設
このほか、大型貨物船(RORO船)に対応した-7.5m岸壁 ×1バースを厳原地区に整備中で、平成21年に供用開始予定。
[編集] 航路
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- フェリー「フェリーちくし」、「ニューつしま」
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- 厳原港 - 郷ノ浦港/芦辺港(壱岐市)- 博多港(福岡市)
[編集] 歴史
- 1882年-厳原長崎税関出張所が置かれる。
- 1884年-特別貿易港に指定される。
- 1897年-厳原長崎税関出張所が厳原長崎税関支署に昇格。
- 1899年-開港に指定される。
- 1922年-指定港湾に指定される。
- 1943年-税関制廃止。
- 1946年-税関制復活。門司税関厳原税関支署が置かれる。
- 1947年-海運局厳原支局が置かれる。
- 1948年-海上保安庁厳原海上保安部(現・対馬海上保安部)が置かれる。
- 1951年-重要港湾に指定される。
- 1972年-博多~壱岐~厳原のフェリー航路開設。
- 1974年-厳原港大橋が開通。
- 1980年-第一回「厳原港まつり」を開催。
- 1991年-厳原地方合同庁舎が竣工。
- 1991年-博多~壱岐~厳原のジェットフォイル航路開設。
- 1993年-韓国馬山~厳原の定期貨物航路開設。長崎県内初の国際定期貨物航路。
- 1997年-厳原港国際ターミナルビル竣工。
- 1999年-韓国釜山~厳原の定期旅客航路開設。
[編集] 名所など
- お船江跡(おふなえあと)
- 久田地区の久田川左岸河口付近にある、対馬藩の藩船が使用した船着き場の跡。現在残っているものは1663年の完成だと言われている。石積みで出来た4基の突堤と5つの船渠がほぼ完璧な状態で残っている。同様の施設の遺構は全国的にも珍しく、県指定史跡に指定されている。
- 立亀岩(たてがめいわ、たてがみいわ)
- 旅客ターミナルなどがある厳原地区の東側ふ頭と厳原の市街地の間にある、巨大な一枚岩。名前の由来は亀が立っているように見えることから。
- 厳原港まつり対馬アリラン祭(いづはらみなとまつり つしまありらんまつり)
- 毎年8月の第土日曜日に厳原港厳原地区をメイン会場にして開催される祭り。対馬最大の祭りであり、対馬最大のイベント。メインイベントは厳原町の金石城跡から厳原港までを江戸時代の朝鮮通信使を模して練り歩く「朝鮮通信使行列」と、祭りのフィナーレの花火大会。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 厳原港 - 国土交通省九州地方整備局長崎港湾・空港整備事務所