馬山市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
馬山市 | |
---|---|
位置 | |
各種表記 | |
ハングル: | 마산시 |
韓国における漢字: | 馬山市 |
片仮名転写: | マサン=シ |
ローマ字転写: | Masan-si |
情報 | |
国: | 大韓民国 |
面積: | 329.47km² |
総人口: | 430,490人(2003年) |
上位自治体: | 慶尚南道 |
下位行政区画: | 1邑4面27洞 |
行政区域分類コード: | 38020 |
馬山市の木: | イチョウ |
馬山市の花: | バラ |
馬山市の鳥: | ゲンイカモメ |
自治体公式サイト: | 馬山市 |
馬山市(マサンし, Masan City)は大韓民国慶尚南道の市。1970年代、馬山自由貿易地域が韓国経済テイク・オフの導火線となった。面積329.7平方キロ、人口43万人。
目次 |
[編集] 地理
慶尚南道南部海岸地帯に位置する港湾都市である。東は馬山湾に面し、対岸は慶尚南道庁所在地昌原市である。
[編集] 歴史
統一新羅時代の757年に合浦県が設置され、高麗時代には元寇による日本侵攻の基地となった。李氏朝鮮時代は昌原郡の一部であったが、1899年に日本の要求によって開港し、1914年馬山府が設置、1949年馬山市と改称した。
1960年3月、李承晩独裁政権に反対する「3.15義挙」と呼ばれる市民デモが発生、同年4月19日の学生革命の導火線となった。1970年に朴正煕政権は輸出振興のため馬山自由貿易地域を設定し、外国企業を誘致して成功を収めた。中国の経済特区は韓国や台湾の自由貿易地域を参考にしたとされる。
1973年一時、昌原郡昌原面を編入したが、1980年には再び分離しており、1995年には昌原郡の西部を合併している。
2005年3月18日、馬山市議会は島根県議会の竹島の日制定に反発して「対馬の日」条例を制定した。これは、李氏朝鮮時代に朝鮮軍が行った対馬征伐(応永の外寇)により対馬が朝鮮領になったとの理屈に基づき、対馬征伐の専断が馬山浦を出発した6月19日を「対馬の日」としたものである。これに対し韓国政府は適切ではないとして、馬山市に条例の撤回を要請している。
[編集] 文化
- 市立博物館
- 文信美術館
[編集] 姉妹都市
[編集] 教育
- 慶南大学校
- 馬山専門大学(短期大学)
[編集] 交通
金海国際空港からは43キロの距離。
- 韓国鉄道慶全線
- 南海高速道路(10号線)
- 内西ジャンクション・インターチェンジ - 西馬山インターチェンジ - 東馬山インターチェンジ
- 中部内陸高速道路
- 内西ジャンクション・インターチェンジ