和田春樹
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和田 春樹 (わだ はるき、1938年1月13日 - )は、日本の歴史学者。専門は、ソ連史・ロシア史、朝鮮現代史。大阪府生まれ。東京大学文学部卒業。東京大学社会科学研究所助手、助教授、教授を務め、現在東京大学名誉教授。夫人はロシア文学者の和田あき子。長女・和田真保は元練馬区区議会議員。
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[編集] ソ連史家
ロシア史・ソ連史、とりわけロシア革命史の研究者としての和田は従来、ソ連共産党を正統とする史観の中で抹殺されてきた勢力への着目で知られる。すなわち、いわば本家ともいうべきソ連での研究の影響下、ソ連共産党の支配の確立をなぞるか、せいぜいトロツキーをスターリンに対置する程度であった日本のソ連研究に対して、ツァーリのスパイとされた血の日曜日事件のリーダーガポン神父、あるいは当初はレーニンらに協力しながら、反動とされて最後に粛清されるマフノの農民アナキズム運動、そしてさかのぼってはその背景にあるナロードニキとマルクス・エンゲルスとの微妙な偏差こそが和田の着目点である。
ペレストロイカが進行中の時期には、その方向性について共感を表明していた。ことに、「急進改革派」が登場し、体制批判の発言を強めてからは、彼らへの強い支持を隠そうとはしなかった。しかしその一方、彼らが帯びていた否定的側面への言及を政治的配慮から故意に避けていたため、自身の弟子筋にあたる塩川伸明から厳しい批判を浴びた。
[編集] 朝鮮・韓国をめぐって
インテリゲンツィアのみならず、否むしろ民衆に目を向ける和田の研究態度は、当然、朴正煕時代の韓国においても民衆との連帯を志向するものとなり、市民運動家としての和田が形成された。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)現代史研究に着手したのは、この経験からであると推測される。ただし、北朝鮮研究において和田は学問的な功績を認められている。北朝鮮を「遊撃隊国家」規定など提唱モデルの曖昧さについて批判もある。
実践分野においては、韓国民主化運動において、特に金大中救出運動において日本国内で宣伝的役割をおおいに果たした。その後も在日朝鮮人問題、戦後補償問題に活発に発言し活動している。北朝鮮の日本人拉致については否定的な見解を示すなどし、結果として『諸君!』、『正論』等からは激しい批判が加えられるに至った。朝鮮人従軍慰安婦問題については、当時の日本政府に批判的であるが、他方、女性のためのアジア平和国民基金呼びかけ人および理事を務めたことで、朝鮮人慰安婦の側に立とうとする運動内部からも厳しく批判されている。
コリアNGOセンター専門委員。
[編集] 論争
歴史学者・秦郁彦とは各種の事実認定や歴史解釈をめぐり何度も論戦。二人の出会いは、財団法人アジア女性基金の資料委員会委員を和田とともにつとめたことによる。秦を委員に推薦したのは第三者であったが、和田はそれを快諾し、資料による実証的研究を共に推進する点で両者は当初一致していた。しかし、秦が同基金の助成を受けアメリカで調査を行い、それを受けて当時、発行予定であった同基金報告書に寄稿するように要請されたことを契機に、両者の関係は一変していく。
秦の提出した慰安婦に関する報告の文章について、和田は、アジア女性基金の設立そのものが、当時の村山談話を根拠とするものであるにもかかわらず、秦の文章には、財団設立の趣旨・理念を踏まえないエッセイ的記述が多数見られること、しかも、各自のイデオロギー的立場を越えた資料実証研究を行うという資料委員会の申し合わせに反することを問題とした。それを根拠に、和田と同基金資料委員会委員長であった高崎宗司は秦に対して、文章の撤回を打診(その権限について秦は疑問を提示、また、秦によればそれは打診ではなく査問であったという)したが秦は拒否。混乱の後、最終的には「権限の有無を別として和田・高崎が没を希望、秦がそれを受け入れる」という形で秦論文は未掲載となった。
秦の没にされた文章(「『慰安婦伝説』--その数量的観察」『現代コリア』1999年2月に転載)、実際にアジア女性基金から出版された、和田を含むその他の委員による報告書『「慰安婦」問題調査報告・1999』〔全文ダウンロード可能〕)、秦の告発文(「天皇訪韓を中止せよ!『アジア女性基金』に巣喰う白アリたち」『諸君』1999年2月号、『現代史の対決』文藝春秋2005年収録)が参考となる。
また、扶桑社教科書をテーマとした2001年5月のTV討論番組「朝まで生テレビ」では和田が「ロシアが朝鮮北部に基地を軍事建設したと扶桑社教科書は書いているが、これは伐採場だ」と批判。秦はこれに対し「岩波書店『近代日本総合年表』にも『軍事根拠地の建設を開始』と書いてある。しかも、その編集委員の一人は抗議記者会見を貴方と一緒に開いた隅谷三喜男さんだ」と指摘した。
[編集] 著作
[編集] 単著
- 『近代ロシア社会の発展構造――1890年代のロシア』(東京大学社会科学研究所, 1965年)
- 『ニコライ・ラッセル――国境を越えるナロードニキ](上・下)』(中央公論社, 1973年)
- 『マルクス・エンゲルスと革命ロシア』(勁草書房, 1975年)
- 『農民革命の世界――エセーニンとマフノ』(東京大学出版会, 1978年)
- 『韓国民衆をみつめること』(創樹社, 1981年)
- 『韓国からの問いかけ――ともに求める』(思想の科学社, 1982年)
- 『私の見たペレストロイカ――ゴルバチョフ時代のモスクワ』(岩波書店[岩波新書], 1987年)
- 『北の友へ南の友へ――朝鮮半島の現状と日本人の課題』(御茶の水書房, 1987年)
- 『ペレストロイカ――成果と危機』(岩波書店[岩波新書], 1990年)
- 『北方領土問題を考える』(岩波書店, 1990年)
- 『ロシアの革命1991』(岩波書店, 1991年)
- 『開国――日露国境交渉』(日本放送出版協会[NHKブックス], 1991年)
- 『金日成と満州抗日戦争』(平凡社, 1992年)
- 『歴史としての社会主義』(岩波書店[岩波新書], 1992年)
- 『ロシア・ソ連』(朝日新聞社, 1993年)
- 『朝鮮戦争』(岩波書店, 1995年)
- 『歴史としての野坂参三』(平凡社, 1996年)
- 『北朝鮮――遊撃隊国家の現在』(岩波書店, 1998年)
- 『北方領土問題――歴史と未来』(朝日新聞社[朝日選書], 1999年)
- 『ロシア――ヒストリカル・ガイド』(山川出版社, 2001年)
- 『朝鮮戦争全史』(岩波書店, 2002年)
- 『朝鮮有事を望むのか――不審船・拉致疑惑・有事立法を考える』(彩流社, 2002年)
- 『日本・韓国・北朝鮮――東北アジアに生きる』(青丘文化社, 2003年)
- 『東北アジア共同の家――新地域主義宣言』(平凡社, 2003年)
- 『同時代批評――日朝関係と拉致問題』(彩流社, 2005年)
- 『テロルと改革――アレクサンドル二世暗殺前後』(山川出版社, 2005年)
- 『ある戦後精神の形成 1938-1965』(岩波書店, 2006年)
[編集] 共著
- (和田あき子)『血の日曜日――ロシア革命の発端』(中央公論社[中公新書], 1970年)
- (前田哲男)『くずれる国つながる国――ロシアと朝鮮日本近隣の大変動』(第三書館, 1993年)
- (高崎宗司)『検証日朝関係60年史』(明石書店, 2005年)
[編集] 編著
- 『レーニン』(平凡社, 1977年)
- 『ロシア史の新しい世界――書物と史料の読み方』(山川出版社, 1986年)
- 『ペレストロイカを読む――再生を求めるソ連社会』(御茶の水書房, 1987年)
- 『ロシア史』(山川出版社, 2002年)
[編集] 共編著
- (高崎宗司)『分断時代の民族文化――韓国[創作と批評]論文選』(社会思想社, 1979年)
- (梶村秀樹)『韓国の民衆運動』(勁草書房, 1986年)
- (梶村秀樹)『韓国民衆――学園から職場から』(勁草書房, 1986年)
- (梶村秀樹)『韓国民衆――「新しい社会」へ』(勁草書房, 1987年)
- (小森田秋夫・近藤邦康)『「社会主義」それぞれの苦悩と模索』(日本評論社, 1992年)
- (近藤邦康)『ペレストロイカと改革・開放――中ソ比較分析』(東京大学出版会, 1993年)
- (田中陽兒・倉持俊一)『世界歴史体系・ロシア史(全3巻)』(山川出版社, 1994-1997年)
- (家田修・松里公孝)『スラブの歴史』(弘文堂, 1995年)
- (水野直樹)『朝鮮近現代史における金日成』(神戸学生青年センター出版部, 1996年)
- (大沼保昭・下村満子)『「慰安婦」問題とアジア女性基金』(東信堂, 1998年)
- (隅谷三喜男)『日朝国交交渉と緊張緩和』(岩波書店, 1999年)
- (石坂浩一)『現代韓国・朝鮮』(岩波書店, 2002年)
- (高崎宗司)『北朝鮮本をどう読むか』(明石書店, 2003年)