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北方領土 - Wikipedia

北方領土

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

保護:このページ「北方領土」は、荒らし編集合戦などを理由として、保護の方針に基づき編集保護されています。現在の記述内容が正しいとは限りません。ノートで合意を形成した後に、保護の解除を依頼してください。
A.歯舞諸島(歯舞群島)、B.色丹島、C.国後島、D.択捉島1.色丹村、2.泊村、3.留夜別村、4.留別村、5.紗那村、6.蘂取村
A.歯舞諸島(歯舞群島)、B.色丹島、C.国後島、D.択捉島
1.色丹村、2.泊村、3.留夜別村、4.留別村、5.紗那村、6.蘂取村

北方領土ほっぽうりょうど)とは、北海道根室半島の沖合にある島々で、日本領有権を主張している択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)、色丹島(しこたんとう)、歯舞諸島(はぼまいしょとう)のこと。北方四島とも言う。現在ロシア連邦が実効支配している。

目次

概要

地理的には南千島に属するが、色丹島、歯舞諸島については、北海道本島の属島という見方もある。アイヌ民族が先住していた。

太平洋戦争大東亜戦争)後、現在に至るまで、ソ連ロシア連邦占領・実効支配されており、戦後日本は固有領土としてその返還を求めている。現在、日本人北方領土関係者およびロシア人北方領土居住者に対して、ビザなし渡航が日露双方に一部認められている。

なお、北千島を含めた千島列島全体の返還を主張している主要政党日本共産党だけである。全千島は樺太・千島交換条約で平和裡に手に入れた領土だからという主張である。また、日本の一部には日ソ基本条約などを根拠に「南樺太(南サハリン)・千島列島全島返還論」もある。また、「固有領土」という観点から見れば、樺太島のイリンスキー(久春内)以南については、ロシア人より先に日本が入植していたことは、ロシアの作家チェーホフの紀行『サハリン島』(岩波文庫)にも明記されている史実であり、日露戦争後のポーツマス条約は、いったん不平等条約によって失った主権を回復したにすぎないとの見方もある。

日本が「国際法上所属未定」と主張する中、日本以外の多くの国は、北千島や南樺太については、ロシアの領有権を事実上認めるようになっている。ただし、1952年3月20日にアメリカ合衆国上院は、南樺太及びこれに近接する島々、千島列島、色丹島、歯舞諸島及びその他の領土、権利、権益をソビエト連邦の利益のためにサンフランシスコ講和条約を曲解し、これらの権利、権原及び権益をソビエト連邦に引き渡すことをこの条約は含んでいない、とする決議を行った。この米上院の決議の趣旨は、サンフランシスコ講和条約第25条として明示的に盛り込まれており、日本を含む同条約調印国が、千島ならびに南樺太がソ連ないしロシアの正統的な領有下にあると公式に認めることは、厳密に言えば、同条約に違反する行為である。

領土問題

北方領土を日本に戻すことに賛成する看板の写真。日本が領有権を主張している島は黄色。函館市、北海道
北方領土を日本に戻すことに賛成する看板の写真。日本が領有権を主張している島は黄色。函館市、北海道

ロシア連邦が自国領土だとして占領・実効支配している諸島を、日本はこれを「不法占拠」として返還を求めている領土問題

1945年8月8日、ソ連は、同年2月にヤルタで米英と取り交わした密約に基づき、日本に対して宣戦布告、8月9日より戦争状態に突入した。ソ連はれっきとした連合国の一員であるにもかかわらず、日本は、日ソ中立条約の形式的な有効性を信じ込み、連合国との講和をスターリンのソ連に依頼する愚挙を試みて降伏を先延ばしにした挙句、この宣戦布告を招いたものである。8月14日に日本がポツダム宣言の受諾を決定した後、1945年8月28日から9月5日にかけてソ連軍は北方領土に侵攻。北方領土は現在に至るまで戦後約61年に渡りソ連およびそれを継承したロシアが実効支配を継続している。 「ロシアによる事実上の領有」状態の為、日本政府が領有権を主張しているものの、一切の施政権は及んでいない。

北方領土関係史

日本政府は、「日本はロシアより早くから北方領土の統治を行っており、ロシアが得撫島より南を支配したことは太平洋戦争大東亜戦争)以前は一度もない」と主張しているが、実際には、1760年代にロシア人のイワン・チョールヌイが、択捉島でアイヌからサヤーク(毛皮税)を取り立てたという記録が残されている。また、最上徳内が日本人探検家として最初に択捉島を訪れた1780年代には、択捉島アイヌの中にロシア正教を信仰する者がいたことが知られており、同時期、既にロシア人の足跡があったことも知られているので厳密に言えばこれは正しいとはいえない。但しこれらはロシアによる確固たる支配を意味するものではなく、影響力が及んでいたことを示すにとどまる。

  • 1855年
    • 日本とロシア帝国は日露和親条約(下田条約)を結び、択捉島と得撫島の間を国境線とした。
  • 1869年
  • 1875年
    • 日本とロシアは樺太・千島交換条約を結び、「それまでロシア領だった千島諸島のグループ(le groupe des îles dites Kouriles qu'elle possède actuellement)」を日本領、日本とロシアの共同統治としながらも、両国民の紛争の絶えなかった樺太をロシア領とした。この条約はフランス語が正文であったので、日本語訳が作られたが、この翻訳は不正確なものだった。不正確な日本語訳に基づいて、得撫島以北が千島列島であるとの解釈がなされたことがある。
    • 条約締結後、当時の行政区分で「千島国」と定められていた国後島・択捉島に、得撫島以北を編入し、国後島から占守島までが千島国になった。
  • 1904年-1905年 日露戦争ポーツマス条約により南樺太が日本領に。)
  • 1917年-1918年 ロシア革命
  • 1918年-1922年 シベリア出兵
  • 1931年 満州事変勃発)
  • 1937年 日中戦争勃発)
  • 1941年 日米開戦)
  • 1943年
    • 10月、モスクワにおいて米・英・ソ三国外相会談が開かれる(モスクワ会談)。この席上、米国はソ連に対して、南樺太と千島列島をソ連に与える見返りに、対日参戦することを求めた。続いて11月末、イランテヘランにおいて、米・英・ソ首脳会談が開かれる(テヘラン会談)。この時も米国のローズベルト大統領が南樺太と千島列島をソ連領とする見返りに、ドイツ降伏後の対日参戦を求めた。テヘラン会談の直前、カイロで米・英・中三国による首脳会談が開催される。米・英・中三大同盟国は日本国の侵略を制止し、罰する為に戦争をしていること、日本の無条件降伏を求めることが宣言された(カイロ宣言)。カイロ宣言には、第一次世界大戦以後の日本が諸外国より奪取した領土を奪還することが書かれている。南樺太や千島列島については、触れられていない。
  • 1945年2月
    • ソ連のヤルタで米・英・ソが会談(ヤルタ会談)。ここで、戦勝国間で、いずれ敗戦する戦勝権益の分割が話し合われた。戦後の米ローズベルト大統領は、日本を早期に敗北に追い込むため、ドイツ降伏の90日後にソ連が対日参戦する見返りとして、日本降伏後、南樺太と千島列島をソ連の支配下に置くことを認めた。
    • 7月 米国、ニューメキシコ州アラモゴルドの砂漠で、人類史上初の原爆実験に成功。これを用いれば、米国単独でも日本を敗戦に追い込めることになり、ソ連の参戦は必ずしも必要でなくなった。これとならんで、米国は次第に、千島列島が持つ地政学的価値に気づき、ヤルタでの譲歩に後悔しはじめていた。すなわち、千島列島はソ連が太平洋に出ることを阻止し、また米軍がオホーツク海に自由に出入りするため不可欠である。また、日米間の大圏航空路上に位置するため、飛行機の給油基地としても有効である、
  • 1945年8月~9月
    • 8月8日、ヤルタでの取り決めどおり、ソ連は日ソ中立条約を破棄し対日宣戦布告8月14日御前会議にて、米・英・中・ソの共同宣言(ポツダム宣言)の受諾を決定、連合国にポツダム宣言受諾を通告。9月2日、日本は連合国が作成した降伏文書に調印した。同時に一般命令第一号(陸、海軍)により、満洲北緯38度線以北の朝鮮、南樺太に在る日本国先任指揮官ならびに一切の陸上、海上、航空及補助部隊は「ソヴィエト」極東軍最高司令官に降伏すべきこととした。なお、千島列島の軍隊についてはどこに降伏するのか一切言及がなかった。
    • 「一般命令第一号」に、千島列島の日本軍がどこに降伏するのか明記されていないことにスターリンは気づき、GHQに要求。GHQは、ヤルタでの取り決めがあるため、スターリンの要求を認めざるを得なかった。しかし、同時にスターリンが要求した、北海道東北部の占領要求は、ヤルタ協定になかったので拒否した。
    • 8月11日に国境を侵犯し南樺太に侵攻したソ連第二極東軍部隊は、8月25日に南樺太を占領。その後、連合国から再度の確認を得たので、8月28日から9月1日までに、北方領土の択捉・国後・色丹島を占領、9月3日から5日にかけて歯舞群島を占領した。なお、8月18日カムチャツカ半島方面より千島列島に侵入した第一極東軍部隊は、8月31日までに得撫島以北の北千島を占領している。
  • 1946年1949年
    • 1946年1月29日GHQ指令第677号により、沖縄や小笠原・竹島・南樺太・千島列島・歯舞・色丹などの地域に対する日本の行政権が中止された。2月2日、ソ連は南樺太・千島を自国領に編入した。北方領土には日本人は約1万7千人住んでいたが、占領当初は、日本人の本国帰還は認められなかった。1946年12月、GHQとソ連との間で日本人全員の引き上げが合意されると、1949年7月までにほぼ全員の日本人が帰国した。しかし、GHQ指令によって日本国籍を離脱していた朝鮮人はその後も帰還することができず、多くはサハリン(樺太)に移住した。
  • 1951年
    • サンフランシスコ講和条約で、日本は千島列島を放棄する。平和条約国会で、政府は、日本が放棄した千島列島の範囲に、国後島・択捉島が含まれると説明している。(この説明は1956年2月に変更された。)
  • 1956年
    • 日ソ共同宣言(昭和31年条約第20号)で日ソ間の外交関係が回復。領土についてはじめ日本は南樺太・全千島の返還を要求したが、当然それは認められず、譲歩を重ねた末、歯舞諸島・色丹両島の返還で平和条約締結に合意しようとした。そのとき、米国が介入、国後・択捉の返還を要求しないならば沖縄をグアムと同じような米国の属領にすると恫喝し、合意を阻止。結局日ソ平和条約は締結されず、締結後に歯舞諸島・色丹島をソ連が日本に引き渡すと記載された条文を盛り込んだ共同宣言で決着した。[1]
  • 1957年
    • ソ連国境警備隊が貝殻島に侵攻し、歯舞諸島の占領が完了。日本は日米安保条約かにあったが、このとき米軍は一切出動しなかった。
  • 1960年
    • 岸信介内閣が日米安全保障条約改定を行った事に対してソビエトが反発。ソ連は、歯舞諸島と色丹島の引き渡しは「両国間の友好関係に基づいた、本来ソビエト領である同地域の引き渡し」とし、引き渡しに条件(外国軍隊の日本からの撤退)を付けることを主張する。日本政府は、共同宣言調印時には既に日米安保があったとして反論。
  • 1973年
    • 田中ブレジネフ会談。日ソ間の諸問題を解決した後、平和条約を締結することが合意された。(日ソ共同声明)
  • 1981年
  • 1991年
    • ソビエト連邦は解体、ロシア連邦として独立し、領土問題を引き継ぐ。

解説

1945年9月2日、日本は降伏文書に調印した。この時、南樺太の日本軍は極東ソ連軍に降伏することが命令され、千島についてもスターリンの要求によってソ連軍に降伏することとなって、南樺太・千島はソ連の占領地区となった。1952年サンフランシスコ講和条約発効により、日本は独立を回復したが、同条約にしたがって、連合国にたいし南樺太・千島列島の領有権を放棄した。この条約にソ連は調印していないため、ソ連との国交回復は、1956年日ソ共同宣言により行われた。ソ連側は、いったん連合軍に対し放棄した領土について日本の交渉当事者能力は認めたが、この時、日ソ間で領土の帰属に関して合意が得られなかった。その後、日ソ・日ロ間には、幾つかの共同声明や共同コミュニケがあるが、平和条約締結や領土問題での合意に至っていない。

1941年4月、日ソ間で、日ソ中立条約が締結された。その2ヵ月後、ドイツが突如ソ連に侵攻し、独ソ戦が勃発。日本政府は、御前会議において、情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱を策定、独ソ戦が日本に有利に働いたときはソ連に侵攻することを決めた。さらに、日本軍は関東軍特殊演習(関特演)を実施、ソ連侵攻の準備を整えた。しかし、日本政府の思惑とは異なって、独ソ戦は膠着し、日本のソ連侵攻の機会は得られなかった。

ソ連はスターリングラード攻防戦・クルスク戦車戦以降、独ソ戦を有利に展開するようになる。こうした中、1943年11月、テヘラン会談が米・英・ソ三国首脳により開かれ、当面の戦争、戦勝権益の連合国間での分割、連合国の覇権におかれる戦後世界の戦略に関して幅広い協議が行われた。このなかで、米国はソ連に対して、南樺太・千島を与える見返りに、日本との戦争に参戦することを求め、合意された。このときの合意は、1945年2月のヤルタ協定での秘密会談に引き継がれ、さらに、ポツダム会談でも再確認されている。

当時アメリカは米国人の戦争犠牲をなるべく少なくすることを狙っており、そのためには、ソ連の対日参戦が必要だった。独ソ戦で大きな被害を受けていたソ連国民には、更なる戦争への参加をためらう気持ちも強かったが、戦後世界の勢力バランスを考慮したスターリンは米国の参戦要求を了承した。当初ポツダム宣言への連名は、日本と交戦状態に無いソ連は除外されていたが、ソ連は参戦後、ポツダム宣言に参加した。その後、アメリカ主導で作成されたサンフランシスコ講和条約においても、既にソ連が占領している南樺太や千島をヤルタ会談での取り決め通り日本に放棄させる内容となっている。

1945年ドイツ敗北の3ヵ月後、ソ連は米・英との合意にしたがって対日宣戦布告。翌日、ソ・満国境を越えて満州を占領した。満州の日本軍は、蒋介石の国民党軍ではなく、ソ連軍に対し降伏すると取り決められていた。満州を占領下においたソ連軍は、そこで中国共産党八路軍を訓練し、日本から捕獲した武器を八路軍に引き渡し、これによって中国共産軍は強大に膨れ上がり、1949年の中華人民共和国建国への決定的な手がかりをつかむ。一方、南樺太では、8月11日、日ソ国境を侵犯し、日本に侵攻したソ連軍は8月25日までに南樺太全土を占領した。樺太占領軍の一部は、26日に樺太・大泊港を出航し、28日択捉島に上陸、9月1日までに、択捉・国後・色丹島を占領した。歯舞群島は9月3日から5日にかけて占領されている。

1945年9月2日、日本は降伏文書に調印し、連合国の占領下に入った。千島・南樺太はソ連の占領地区とされた。1952年サンフランシスコ講和条約発効により、日本は独立を回復したが、同条約にしたがって、連合国に対し南樺太・千島列島の領有権を放棄した。ただし、同条約25条で、この条約に調印しない国(具体的にソ連をさす)にたいし調印国がその損害を蒙るような便益を供与してはならないという趣旨の規定があり、南樺太と千島列島のソ連への割譲は、サンフランシスコ平和条約によって間接的表現ながら禁止されている。条約締結に先立つ1946年末から、日本は米国に対して36冊に及ぶ資料を提出、日本の立場を説明している。この中の2冊は千島に関する事項であることが知られている。このような経緯があって、千島列島の範囲が、日本に不利なように定義されなかったが、同時に、日本に有利なように定められることも、なかった。

サンフランシスコ講和条約をソ連は調印しておらず、ソ連とは、1956年日ソ共同宣言によって、国交が回復した。このとき、日ソ間では歯舞諸島・色丹島の返還で合意しようとする機運が生まれたが、米国が沖縄の米属領化をちらつかせて恫喝したため、平和条約を締結することはできなかった。当時は、冷戦体制が構築されるプロセスの中にあり、イギリスとアメリカは日本がソ連と妥協することを望まなかった。このため、デタントを求めるソ連に対して受け入れがたい条件を提示することで、極東地域の冷戦体制を温存する狙いがあった。また、国後と択捉を返還させることで、ヤルタなどで米国がソ連に対し行った過度の譲歩を現実に是正し、少しでも北東アジアでソ連がもつ地政学的な優位を掘り崩したいたいという思惑もあった。以後、米国と親密な関係を維持する日本の外務省は、北方領土問題を掲げることで、ロシアとの踏み込んだ友好関係を築かない方針を貫いている。結果、現在もロシアとの平和条約締結に向けて交渉が行われているが、領土問題に関する具体的な成果は得られていない。

こういったことから、日本人のソ連(ロシア)に対する不信感がかきたてられている。

ロシア(ソ連)側から見れば、大戦当時ソ連・アメリカ・イギリス・中国は連合国であり、日本・ドイツ・イタリアの枢軸国とは敵対していた。枢軸国のイタリアやドイツが降伏した後、ソ連は連合国の求めに応じて対日参戦した。ヤルタ会談で千島・南樺太の割譲は米英ソの三者で合意されているし、ソ連も参加しているポツダム宣言を日本は無条件で受け入れている。平和条約の締結こそしていないがロシアは占領地区を既に自国へ編入している。そもそもサンフランシスコ条約で日本は千島列島を放棄しており千島列島は当然国後島までである。色丹・歯舞列島なら千島列島ではなく、北海道の付属島と解釈し返還しても良いと言う見方になる。

ロシア側が北方領土の日本返還を認めない理由としてはいくつか考えられるが、まず大きなものとして、ロシア側から見た場合、北方領土問題が解決されていない現在でも日ロ間の経済的交流は進んでおり、わざわざ国民の不評を買うであろう領土の引渡しを行ってまで日本サイドに譲歩する必要性を感じていないということが挙げられる。また、地政学的に見れば、宗谷海峡(ラペルーズ海峡)、根室海峡(クナシルスキー海峡)をふくめ、ソ連はオホーツク海への出入り口をすべて監視下に置いており、事実上そこから米軍を締め出すことに成功しているが、国後・択捉両島を返還してしまえば、国後・択捉間の国後水道(エカチェリーナ海峡)の統括権を失い、オホーツク海に米軍を自由に出入りさせられるようになってしまう。国後水道は、ロシア海軍が冬季に安全に太平洋に出る上での極めて重要なルートでもあり、これが米国(の同盟国である日本)の影響下に入ることは安全保障上の大きな損失となる。


以前であれば日本側に「ロシアは経済的に困窮している。よってそのうちロシア側が経済的困窮に耐えられず日本側に譲歩し、北方領土を引き渡すであろう」という目論見があった。鈴木宗男氏失脚以後の日本の外務省の基本戦略は、北方諸島への援助を打ち切り、困窮させて返還の世論を引き出そうとする「北風政策」であるが、問題は、経済的に困窮しているかどうかといったレベルの事項ではない。事実、プーチン大統領就任以降驚異的な経済的発展を遂げたロシアは、2015年を目標年次とする「クリル開発計画」を策定し、国後、択捉、色丹島に大規模なインフラ整備を行う方針を打ち出した。

最近でこそロシア社会において日本に対する認知度は高まってきているものの、いずれも文化的なものか経済的なものであり、またその認識にしてもそれほど深いものではない。サハリン州では、当然日本に対する関心が深いが、これは、現状の国境を承認することを前提として交流を深めようとするものである。 ヨーロッパ議会が北方領土は日本に返還すべきとの提言を出したとの報道がロシアのメディアで流れている。25カ国730人の議員でなるEUの立法機関であるヨーロッパ議会は2005年7月7日に「ECと中国台湾関係と極東における安全保障」と題された決議文を決議、極東の関係国は未解決の領土問題解決の2国間協定を結ぶべきだとし、具体的には北方領土に関して第二次世界大戦終結時にソ連により占領されたものとし日本と韓国間の竹島問題、中国との尖閣諸島問題を取り上げている。 ロシア外務省はこの決議に対し、日ロ二国間の問題解決に第三者の仲介は不要とコメントしている。なお、ロシア議会では議論になったこの決議文は日本の議会では取り上げられず、日本では読売新聞が報じた程度である[2]

カイロ宣言

(和訳原文の一部)

右同盟國ハ自國ノ爲ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土擴張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス
右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
現代文:
右の同盟国は、自国のために何の利益も要求するものではない。また、領土拡張などをも考えるものでもない
右同盟国(米・英・中)の目的は、日本国より1914年第一次世界大戦の開始以後において日本国が奪取し又は占領した太平洋における一切の島嶼を剥奪すること並びに満州、台湾及び澎湖島のような日本国が国民より盗取した一切の地域を中華民国に返還することにある

1943年、太平洋戦争(大東亜戦争)中に米・英・中がカイロで首脳会談をおこなった。この時のカイロ宣言で1914年の第一次世界大戦以後日本が諸外国より奪取した領土を奪還することを目的とし、この同盟国には領土拡張の意図がないとしている。そのため南樺太や千島列島は米・英・中の奪還の対象とはなっていない。

ポツダム宣言

ポツダム宣言 八 (和訳原文)

「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ
現代文: 「カイロ」宣言の条項は履行されなければならず、また、日本国の主権は本州、北海道、九州、および四国ならびにわれらの決定する諸小島に限られなければならない

ポツダム宣言はカイロ宣言を履行されなければならないとしている。カイロ宣言では南樺太・千島には言及されておらず、ポツダム宣言でも千島列島・南樺太にかんする事項がない。宣言ではソ連への千島・南樺太の譲与にも言及がない。

ソ連の対日参戦

  • 8月 8日 ソ連、対日宣戦布告
  • 8月10日 ポツダム宣言の受諾を連合国へ伝達
  • 8月11日 ソ連、南樺太の国境を侵犯し侵攻
  • 8月14日 ポツダム宣言の受諾を決定
  • 8月15日 日本国民に向けて玉音放送
  • 8月18日~8月31日 ソ連、カムチャツカ半島方面より千島列島に侵入し、得撫島以北の北千島を占領
  • 8月25日 南樺太を占領
  • 8月28日~9月1日 択捉・国後・色丹島を占領
  • 9月 2日 連合国への降伏文書に調印。(一般命令第一号発令。本命令により、千島の日本軍はソヴィエト極東軍最高司令官に降伏することが義務付けられた。)
  • 9月3日~9月 5日 ソ連軍が歯舞群島を占領

占領は連合軍「一般命令第一号(陸、海軍)」にしたがって行われた。北方領土を含む千島列島と色丹島、歯舞諸島は、一般命令には言及がなく、それに気づいたスターリンの指摘によってソ連占領地域とされた。翌年1月、連合軍最高司令官訓令SCAPIN第677号により、日本政府は、竹島琉球千島歯舞群島色丹島南樺太などの地域における行政権の行使を、正式に中止させられた。その直後、ソ連は占領地を自国の領土に編入している。サンフランシスコ平和条約に調印していないソ連が占領した島々を、ロシアが現在も実効支配している。 

サンフランシスコ講和条約(日本国との平和条約)

 第二章 領域  第二条(c) (和訳原文)

日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

日本はこの条約でソ連の調印のないまま千島列島を放棄する。条約では千島列島の範囲は明確になっていないが、国会議事録によると、政府は、日本が放棄した千島列島に国後・択捉が含まれると説明している。平和条約は、放棄した千島列島に国後・択捉が含まれるとの認識のもと、国会承認されている。この説明は国内的に1956年2月に正式に取り消され、その後、日本は「北方領土は日本固有の領土であるので、日本が放棄した千島には含まれていない」としている。

日ソ平和条約交渉と日ソ共同宣言

日ソ共同宣言(昭和三十一年条約第二十号) 9 

日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。

1955年6月、松本俊一を全権代表として、ロンドンで、日ソ平和条約交渉が始まった。当初、ソ連は一島も渡さないと主張していたが、8月9日、態度を軟化させ、歯舞・色丹を日本領とすることに同意した。松本はこれで、平和条約交渉は妥結すると安堵したが、日本政府は、突如、国後・択捉を日本領とすることを主張、交渉は行き詰まった。

1956年7月、重光外相を主席全権、松本を全権として、モスクワで、日ソ平和条約交渉が再開された。当初、重光は四島返還を主張したが、ソ連の態度が硬いと見るや、8月12日、歯舞・色丹二島返還で交渉を妥結することを決心し、本国へ打診。ところが、当時、保守合同直後の与党には、派閥間の思惑もあり、重光提案を拒否、日ソ平和条約交渉は膠着した。さらに、8月19日、重光はロンドンで米国務長官ジョン・フォスター・ダレスと会談、席上ダレスは、二島返還で妥結することをきびしく禁止し、4島返還を主張しないならば、沖縄の返還も無いと指摘した。保守党内部の反鳩山勢力の思惑や米ソ冷戦下の米国の指図などにより、平和条約交渉は完全に行き詰まった。

1956年10月、鳩山首相は局面を打開すべく、領土問題を棚上げして、すでに妥結している他の問題(戦争の終結、国交回復、未帰還日本国民送還など)で条約(日ソ共同宣言)を締結することを決断、自らモスクワに渡りソ連との交渉に当たった。モスクワ交渉に先立ち、領土問題は棚上げすることで両国の合意が得られていたにもかかわらず、訪問直前になって、自民党は歯舞・色丹を日本領と確約することを共同宣言締結の条件とすることを決議、日ソ共同宣言締結に新たな条件をつけた。鳩山はフルシチョフとの会談で、歯舞・色丹を平和条約締結後に日本に引き渡すことを明記することに成功、日ソ共同宣言の締結を果たした。(参考、松本俊一著『モスクワにかける虹』)

日本の返還要求の根拠

  • 北方領土が太平洋戦争以前にロシア領であったことは一度もない日本固有の領土である。
  • 1855年日露和親条約で日露の領土が確定した時に択捉島以南が日本領となっている。
  • 1875年樺太・千島交換条約で、日露で共同管理していた樺太とロシア領であった千島列島とを交換した際、得撫島以北を千島列島としている。従って千島列島とは得撫島以北のことを指す。
  • ソ連の対日参戦や日本敗戦後に千島・南樺太をソ連へ割譲することを決めたヤルタ協定は連合国の秘密会談であり、日本には何の関係もない。
  • 日本は日ソ中立条約を1946年4月の期限切れまで厳守することを明らかにし、ソ連に対してまったく攻撃を加えていないにもかかわらず、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し北方領土を含む千島列島・南樺太などへ侵攻しており、重大な条約違反を犯している。
  • 日本がポツダム宣言を受諾した1945年8月14日の後、8月28日から9月5日にかけてソ連軍が占領している。連合国が停戦を受け入れた後ソ連だけが一方的に侵攻継続した事態は日本領土への新たなる侵略に他ならない。
  • 日本はサンフランシスコ講和条約に調印し千島列島・南樺太を放棄したが、日本が放棄した千島列島に北方領土は含まれていない。千島に属するというソ連の意見があったにせよ、ソ連自身この条約に調印していない。
  • ヤルタ協定の当事者であるアメリカは『北方領土は常に日本の領土であったので、日本に主権があることは正当として認められなければならない』と戦後日本の領有権を一貫して支持している。
  • ソ連はヤルタ会談上、領土要求の密約をしており、ヤルタ協定には国際法上領土を移転させるための根拠がない。
  • 欧州議会は、2005年7月7日に日本の立場の支持を決議している。

四島返還論に対する異論・反論(ロシアの主張を含む)

  • 一度も他国の領土になった事の無い土地が他国に編入されるのは歴史的にはそう珍しい事ではない。
  • そもそもこれらの島々は日本、ロシア双方共に固有領土として領有した訳ではなく、アイヌ民族その他を制圧して帰属下に置いたものである。
  • 固有領土などというものは厳密には存在しない。
  • そもそも日本は関東軍特別大演習などで当時のソ連が連合国側にたって日本に侵攻する可能性を警戒していたので、日ソ中立条約破棄を一方的なものと断定することは難しい。
  • ヤルタ会談で、ソ連の参戦や戦後の千島列島・南樺太割譲は米英両国に対し承諾されている。
  • 進撃開始は日ソ中立条約の破棄を日本国駐ソ大使に宣言した後である。条約破棄の伝達が遅れたのは、日本政府の探知が遅れただけに過ぎない。
  • 東京裁判確定判決は日ソ中立条約を“誠意なく、またソビエト連邦に対する日本の侵略的な企図を進める手段として結ばれたもの”と認めている[3]
  • 1945年、北方領土警備の任務を受けていた中川中将、岩田中尉と交わした四島の暫定的移譲の合意密約「国後密約」の効力を認めている。(1960年にロシア側で判明したが、日本はその存在を認めていない。)
  • サンフランシスコ講和条約において日本は千島列島を放棄している。
  • 当時歯舞諸島を除く3島は千島国とされていた。また明治初年に導入された旧国制度では国後までが千島国とされた。
  • 千島の範囲が国後までという根拠は、日本国の辞書に択捉島と国後島を南千島としている事からも明らかである。
  • サンフラスシスコ講和条約以前の1950年3月8日の衆議院外務委員会にて島津久大政務局長が、同条約直後の1951年10月19日の衆院特別委員会にて西村熊雄条約局長が、同年11月6日の参院特別委員会に草葉隆圓外務政務次官が、それぞれ「南千島は千島に含まれている」と答弁している。(但し、西村・草葉は歯舞・色丹に関しては千島列島ではないと答弁した)

領土問題の交渉過程

1956年日ソ共同宣言では歯舞、色丹を平和条約締結後に日本に引き渡す取り決めを結ぶ。(終戦後の日本国との平和条約にはソ連は調印していない) しかし、択捉、国後の帰属を巡って対立、結局合意できなかった。その後、冷戦の進行によりソ連の立場は領土問題は解決済みへと変化した。日本もソ連との間では、まず北方領土問題が解決しなければ何もしないとの立場をとった。

1991年の4月にゴルバチョフ大統領が来日し、領土問題の存在を公式に認めた。1997年のクラスノヤルスク合意では、日本は「すべての分野について両国の関係を発展させる。その中に領土問題を含める」とし、両国の間で領土問題が明文化、共有された。

日本側は四島返還が大前提であるが、ロシア側は歯舞・色丹の引き渡し以上の妥協はするつもりがなく、それ以上の交渉は進展していない。

2005年11月21日の未明に、訪日したプーチン大統領と小泉純一郎首相(当時)の間で日露首脳会談が行われた。これによって領土問題の解決を期待する声もあったが、領土問題の交渉と解決への努力の継続を確認する旨を発表したのみに留まり、具体的な進展は何も得られなかった。 また、ロシア側も、石油の高騰による経済成長で日本に対し優位であることと、ラトビアエストニアもソ連併合時に国境を変更させられたことから、両国などとの間にも国境問題を抱えており、北方領土解決を複雑にしている。

地方自治体としての北方領土

北方領土四島には色丹村泊村留夜別村留別村紗那村蘂取村の6村が地方自治体として存在していた。

現在では「北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律」(昭和57年8月)第11条により日本国民の誰でも本籍を置くことが可能となっている。これは上記6村が元来北海道根室支庁に属する自治体であったため、各村自治体が実効的な存在を喪失して以降も上位の地方自治組織が機能しているためである[4]。現在この手続きは根室市役所が行っている。

ロシア施政下の北方領土

現在、ロシアの施政権が行使されている状態にある北方四島は、ロシアの行政区分ではサハリン州に属しているものとされている。

また、この地域は開発が遅れたためにカニウニなどの魚介類を始め、ラッコシマフクロウなど、北海道をはじめとした周辺地域では絶滅あるいはその危険性が高い生物の一種の「聖域」状態となっている。ロシア政府は北方領土を含む千島一帯をクリリスキー自然保護区に指定して、禁猟区・禁漁区を設定するなど、日本の環境保護行政以上の規制措置が取られている。だが、ソ連崩壊後には密猟などが後を絶たず、一部の海産物は日本国内に流れているという説もある。

現在、一部の環境保護団体の間には北方領土を含む千島一帯の世界遺産登録を求める主張があり、また日本の環境保護行政は水産関係団体や開発業者に対して甘すぎるため、領土返還後には貴重な生態系が破壊される恐れがあるとして返還を危惧する人達もいる。一方、日本国内にも領土問題とは一線を画して、北方領土の対岸で先に世界遺産に登録されている知床とともに、日露両国が共同で一つの世界遺産地域を作っていくべきである、という声もある。だが、世界遺産に登録された状態の北方領土が返還された場合、旧島民の持つ土地所有権漁業権をどうするのかについて不透明であるために、何らかの特別法制定が必要となる可能性がある。

四島返還以外の解決策

日本政府が従来から主張している四島一括返還論の他にも、北方領土問題については、日露両国で様々な解決策が提言されている。以下はその主なものである。

  • 二島返還論日ソ共同宣言に基づき、歯舞色丹の二島をまず日本へ返還
  • 三島返還論国後島を日本領、択捉島をロシア領とすることで双方が妥協
  • 共同統治論:択捉・国後の両島を日露で共同統治

歯舞・色丹の両島を日本領とすることでは、四島一括返還論も含めた全ての案で一致しており、それぞれの案で異なる点は、残りの択捉・国後の両島への対応である。

二島返還論は日本側においては主に「二島先行返還論」または「2+2方式」と称される案を指す。これは、日ソ共同宣言で日本への返還が確認されている歯舞・色丹の二島を、ひとまず日本側に返還させ、残った択捉・国後の両島については、両国の継続協議とする案である(二島返還論で詳述)。この方式の支持者としては鈴木宗男が知られており、当時の首相であった森喜朗も訪露した際、ロシア側へ提案したこともあるが、先方からは拒否された。鈴木宗男は、「二島先行返還論」はマスメディアによる造語であるとして、自らの立場を「段階的返還論」と呼んでいる[5]。対して、ロシア側における二島返還論とは主に、歯舞・色丹の返還のみでこの問題を決着させようとする案のことであり、現在のロシア政府の公式見解である。

三島返還論は別名を「フィフティ・フィフティ」と言い、中国とロシアが係争地の解決に用いた方式である。この方式では、領土紛争における過去の経緯は全く無視し、問題となっている領域を当事国で半分ずつ分割する。これを北方領土に形式的に当てはめると、国後島が日本領、択捉島上に国境線が引かれる、三島返還論に近い状態になる。岩下明裕政治学者はこの案を称揚しているが、もともとこの方式は、戦争により獲得した領土ではなく、単に国境をはさんだ2国のフロンティアがぶつかって明確な国境線が決め難かったケースに用いられたもので、北方領土問題には適用し難く、四島一括返還論に比べ実現する可能性が高いかどうかは不明瞭である。三島返還論に言及した政治家には、麻生太郎河野太郎らがいる。とくに麻生太郎は、外相時代に三島返還論に触れたため、日露両国で反響を巻き起こした。

共同統治論は「コンドミニウム」とも呼ばれ、近現代史上にいくつかの例がある[6]。成功例として代表的なものにはアンドラがあり、失敗例には樺太ニューヘブリディーズ諸島(現バヌアツ)がある。具体案としては、例えば、かつてのアンドラのように、日露両国に択捉・国後の両島への潜在主権を認めながらも、住民に広い自治権を与えることで自治地域とすることが考えられる。もし日露両政府が島の施政権を直に行使すれば、日露の公権力の混在から、樺太雑居地(1867-1875)のような混乱を招く可能性が指摘されている。このため、住民に自治権を認め、両政府が施政権を任せることで、そうした混乱を防ぐことが必要になる。また、両島を国際連合信託統治地域とし、日露両国が施政権者となる方法も可能である。この場合は施政権の分担が問題となる。

共同統治論の日本側にとってのメリットとしては、難解な択捉・国後の領有問題を棚上げすることで、日本の漁民が両島の周辺で漁業を営めるようになることや、ロシア政府にも行政コストの負担を求められることなどが挙げられる。ロシア側にとってのメリットは、日本から官民を問わず投資や援助が期待でき、また、この地域における貿易の拡大も望めることである。共同統治論には、鳩山由紀夫プリマコフ、ロシュコフ駐日ロシア大使(当時)、富田武(政治学者)らが言及している。

なお、以上の三案の他に、北方四島の潜在主権をロシアに残しつつ、その施政権を日本へ賃貸することがロシアの研究者から提案されたこともある。

関連項目

和書

外部リンク

公的機関のサイト

その他のサイト

脚注

  1. ^ 日ソ交渉に先立って、サンフランシスコ条約起草国である米国や、英国、フランスに対して、同条約中、放棄した千島の範囲について問い合わせをした。米国は北方領土は常に日本の領土であったので、日本に主権があることは正当として認められなければならないと国務省の覚書として明文化された公式見解を示し、日本の立場を支持している。しかし、英・仏からは日本に好意的な回答は得られなかった。フランスからは、サンフランシスコ会議議議事録は、日本代表が国後、択捉を南千島として言及しているところに注意を喚起する、との回答があった。
  2. ^ EU「Relations between the EU, China and Taiwan and security in the Far East」2006年8月20日確認
  3. ^ 北方領土問題「東京裁判判決(部分)」
  4. ^ 同じく領有権の問題が残っている樺太に関しては、すでに樺太庁が消滅しているためこのような措置は行われていない。
  5. ^ 國民新聞「二島先行返還論 鈴木宗男衆院議員に聞く(2)」
  6. ^ 世界飛び地領土研究会「共同統治領」

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