哲学的ゾンビ
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哲学的ゾンビ(てつがくてきゾンビ、Philosophical Zombie) または単にゾンビとは、 心の哲学で使われる言葉で、『外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、その際 内面的な経験(意識やクオリア)を全く持っていない人間』のこと。哲学的ゾンビは存在可能なのか、またなぜ我々は哲学的ゾンビではないのか、等が意識のハード・プロブレムと関わる問題のひとつとして議論される。
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[編集] 二つの哲学的ゾンビ
議論の混乱を防ぐために、次のような二つの区分がある。
- 行動的ゾンビ(Behavioral Zombie) 外面の行動だけ見ていては、普通の人間と区別できないゾンビ。解剖すれば人間との違いが分かる可能性がある、という含みを持つ。例として、SF映画に出てくる精巧なアンドロイドは、「機械は内面的な経験など持っていない」という前提で考えれば、行動的ゾンビに当たる。
- 神経的ゾンビ(Neurological Zombie) 脳の神経細胞の状態まで含む、すべての観測可能な物理的状態に関して、普通の人間と区別する事が出来ないゾンビ。普通、哲学的ゾンビと言うと、こちらのことを指す。
[編集] 哲学的ゾンビはどのように見えるか
哲学的ゾンビが仮に存在するとして、それはどのように見えるだろうか? 結論から先に言うと、その定義から、普通の人間と全く区別がつかない。 哲学的ゾンビとどれだけ長年付き添っても、普通の人間と区別することは誰にも出来ない。 特に神経的ゾンビの場合には、頭を解剖しても普通の人間と区別できない。 哲学的ゾンビは外から見る限りでは、普通の人間と全く同じように、笑いもするし、怒りもするし、熱心に哲学の議論をしさえする。 しかし普通の人間と哲学的ゾンビの唯一の違いは、哲学的ゾンビにはその際に楽しさの「ウキウキ」とした感覚も、怒りの「ムカーッ」とした感覚も、議論の厄介さに対する「イライラ」とした感覚も、全くない、という点である。 またこのような気分だけではなく赤いものを見たとき感じる「赤のクオリア」、 音のクオリア、味のクオリア、匂いのクオリア等々、ありとあらゆる内面的経験を全く持たない。 これが哲学的ゾンビである。 しかし哲学的ゾンビが実際にいる、と信じている人は哲学者の中にもほとんどおらず、 もっぱら「哲学的ゾンビは存在可能なのか、またなぜ我々は哲学的ゾンビではないのか」などが心の哲学の他の諸問題と絡めて議論される。
[編集] 哲学的ゾンビとは次のような意味では「ない」
繰り返しになるが、哲学的ゾンビという言葉は、心の哲学の分野における純粋な理論的なアイデアであって、単なる議論の道具であり、「外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験(意識やクオリア)を全く持たない人間」という形で定義された仮想の存在である。
[編集] より詳細な分析
ここからは哲学的ゾンビに対するより詳細な分析を紹介していく。
まずゾンビ問題を理解するためには、「意識」という言葉がいくつもの意味で使われる多義語であることに注意する必要がある。 ここではチャーマーズによって導入された、意識という語の持つ二つの大きな意味、機能的意識と現象的意識の違いをまず紹介する。
- 機能的意識
- 機能的意識とは、『人間が外部の状況に対して反応する能力』のことである。脳を物体として捉える観点から言えば、入力信号に対して出力信号を返す脳の特性としての意識である。これは機能的意識または心理学的意識と言われ、外面的に観測することができる客観的な特性である。行動主義心理学などが扱うのは、こういった外面的な意識である。
- 現象的意識
- これに対し現象的意識とは、『主観的で個人的な体験』のことである。ある一人の人間だけが体験し、外部からは観測できない主観的な特性としての意識である。これは意識体験、現象、クオリアなどとも呼ばれるが、機能的意識と対比させるときは現象的意識という名前で呼ばれる。
ここで紹介した機能的意識、現象的意識という言葉を用いると、哲学的ゾンビをより厳密に再定義できる。すなわち
- 「哲学的ゾンビとは、意識の機能的な側面に関しては普通の人間と全く同じだが、一切の現象的意識を欠いた存在、のこと。」
つまり図で示すと次のようになる。
[編集] 主な論点
- 哲学的ゾンビは、存在可能なのか。
- なぜ我々は哲学的ゾンビではないのか。
- 機能主義との関連。
- チューリング・テストをパスした、人工知能 (AI) は意識を持つのか。また意識を持たない人工知能は実現可能なのか。
[編集] 哲学的ゾンビと独我論
哲学的ゾンビは独我論に関わる深刻な問題を提起する。独我論者によれば、「われわれはなぜ哲学的ゾンビでないのか?」という問いは、「他者もまた意識を持っている」という信念ないしは推定を前提とした問いであり、外部からは観測できない内面を有するのは自分だけであって、自分を除くあらゆる他人が内面そのものを有しない神経的ゾンビである可能性を考慮していないと批判される。
[編集] 外部リンク
日本語の文章
- サイト「哲学的な何か、あと科学とか」:項目 「哲学的ゾンビ」 - 身近な表現で、哲学的ゾンビについてわかりやすく解説している。
- 論文 柴田正良著 『ゾンビは論理的可能性ですらないか?』 2003年 - 可能世界や付随性(スーパーヴィーニエンス)の概念を用いて、チャルマーズの論法を下敷きにしつつ、ゾンビ問題を含む意識の因果の問題を詳細に分析している。専門的。 『コネクショニズムの哲学的意義の研究』(平成12~14年度科学研究費[基盤研究(B)(1)]研究成果報告書)より
英語の文章
- 「Zombies」 - スタンフォード哲学百科事典にある哲学的ゾンビについての項目
[編集] 参考文献
- デイヴィッド・チャーマーズ著, 林 一訳 「意識する心」 128-129頁 白揚社 2001 ISBN 4-8269-0106-2
- ダニエル・デネット著 「解明される意識」 95-96頁 青土社 1998年 ISBN 4-7917-5596-0
- 信原幸弘著 『意識の哲学 - クオリア序説』「第二章 ゾンビは可能か」 31-63頁 岩波書店 2002年 ISBN 4-00-026588-1
[編集] 関連項目
心の哲学のトピックス | |
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概念 | 意識 - クオリア - 心身問題 - ハード・プロブレム - 付随性 - 因果的閉鎖性 - 自由意志 - 素朴心理学 - 消去主義 |
現行モデル | 同一説- 機能主義 - 相互作用説 - 随伴現象説 - 並行説 |
古典的モデル | 唯物論 - 唯心論 - 汎心論 - 機械論 - 生気論 - 一元論 - 二元論 - 多元論 - モナドロジー |
思考実験 | チューリング・テスト - 中国語の部屋 - 哲学的ゾンビ - スワンプマン - 水槽の脳 - マリーの部屋 |
人物(日本国外) | デイヴィッド・チャーマーズ - ジョン・サール - ダニエル・デネット - フランシス・クリック&クリストフ・コッホ -ジェラルド・イーデルマン&ジュリオ・トノーニ |
人物(日本) | 信原幸弘 - 柴田正良 - 河野哲也 - 西脇与作 / 前野隆司 - 茂木健一郎 - 郡司ペギオ幸夫 |
関連項目 | 理論物理学 - 脳 - 神経科学 - 認知科学 - 心理学 - 進化心理学 - 現象学 |