寿都鉄道
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寿都鉄道(すっつてつどう)は、北海道寿都郡黒松内町の黒松内駅から同郡寿都町の寿都駅を結んでいた鉄道路線、およびそれを運営していた鉄道会社。
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[編集] 歴史
寿都でのニシンや鉱産物の輸送等を目的として1918年8月20日に会社が設立され、1920年10月24日に路線が開通した。鉱山の閉山やニシン漁の衰退により経営が悪化し、末期には日に上りのみ1便の運行という有様だった。それでも岩内線と連絡して函館本線のバイパスにする計画が存在していて、国鉄による買収を期待しながらバスやタクシー・砕石など経営の多角化を図った。だが、1968年に豪雨による河川増水で路盤が流出し運行休止、1972年5月に廃止となった上に会社も清算、バス事業は北海道中央バスに移管された(その後、1978年にニセコバスへ路線譲渡)。
ネコ・パブリッシングの「消えた轍―ローカル私鉄廃線跡探訪」(寺田裕一・著)では、山鹿温泉鉄道、北丹鉄道、野上電気鉄道とともに「悲惨な末路を迎えた鉄道」とされている。この4社はすべて外的要因により路線が廃止になり、会社解散に追い込まれている。
[編集] 路線
[編集] 路線データ
[編集] 駅一覧
黒松内駅 - 中の川駅 - 湯別駅 - 樽岸駅 - 寿都駅
[編集] 接続路線
- 黒松内駅:函館本線
[編集] 車両
- 蒸気機関車
- 1 - 旧鉄道院7170形7170。1920年開業時に入線。1951年事故廃車。
- 2 - 旧鉄道院7170形7171。1920年開業時に入線。1951年事故廃車。
- 5552 - 旧鉄道省5500形。1938年12月入線。1951年廃車。
- 9046(初代) - 旧国鉄9040形。1950年4月2日竣功。1953年10月、2代目9046(旧9045)と振替え。
- 7223 - 旧定山渓鉄道7223(←鉄道院)。1951年入線。1953年廃車。
- 7224 - 旧定山渓鉄道7224(←鉄道院)。1951年入線。1952年廃車。
- 7205 - 旧国鉄7200形。1952年入線。1958年廃車。
- 9046(2代)- 旧雄別炭礦鉄道9045(←鉄道省)。1953年10月、初代9046と振替え。1958年12月10日廃車。
- 8105(初代) - 旧定山渓鉄道8105(←鉄道院8100形)。1958年12月入線。1963年6月、2代目8105(旧8111)と振替え。
- 8108(初代) - 旧定山渓鉄道8108(←鉄道院8100形)。1958年12月入線。1963年6月、2代目8108(旧8119)と振替え。
- 8105(2代) - 旧茅沼炭鉱8111(←鉄道院8100形)。1963年6月、初代8105と振替え。廃止時まで在籍。
- 8108(2代) - 旧茅沼炭鉱8119(←鉄道院8100形)。1963年6月、初代8108と振替え。廃止時まで在籍。
- ディーゼル機関車
- DB501 - 1952年汽車製造製のL形機械式ディーゼル機関車。1953年3月竣功。1966年8月廃車。
- DC512 - 1955年汽車製造製のL形液体式ディーゼル機関車。1956年3月竣功。廃止時まで在籍。
- 客車
- ハ1, 2 - 開業時に用意された1903年鉄道作業局新橋工場製の木造2軸客車。ロ188, 172として新製され、払下げ時はロ435, 439で、寿都ではロ1, 2と称した。1914年度中にロ1はフロハ1となり、ロ2はフロ2となった。その後、戦時中にフロハ1は国鉄五稜郭工機部で、フロ2は苗穂工機部で車体更新され、ハ1, ハ2となった。1956年10月廃車。
- ハ3, 4 - 開業時に用意された1893年、1894年平岡工場製の木造2軸客車。参宮鉄道に4, 5として新製され、払下げ時はハ2356, 2357であった。1956年10月廃車。
- ハ5 - 1930年5月入線の木造2軸客車。もとは1898年新潟鉄工所製の北越鉄道ハ37で、払下げ時はハ2357であった。1956年10月廃車。
- ハ6(初代) - 1940年11月入線の木造2軸客車。もとは1902年汽車製造製の参宮鉄道は54で、払下げ時はハ2398であった。1956年10月廃車。
- ニ1 - 1936年7月入線の木造2軸客車。1906年日本鉄道大宮工場製のに82として新製され、払下げ時はニ4306であった。1956年10月廃車。
- オハ8518 - 1952年11月入線の木造3軸ボギー客車。もとは1909年11月鉄道院オイ8→オイ9231→ナロハ9416→オロハ8231→オハ8518ということになっているが、オイ5→オイ9251→ナイロフ7882で、戦時中の通勤車改造の際入れ替わったらしい。廃止時まで在籍したことになっているが、現車は解体済みであった。
- ハ6(2代) - 1957年3月入線の半鋼製片ボギー式客車。もとは1930年汽車製造東京支店製の北九州鉄道キハ7で、国有化によりキハ5024となり、下野電気鉄道、東武鉄道矢板線キサ24→キサ21を経て、寿都入りしたもの。書類上、初代ハ6の車籍を引き継いでおり、入線時の番号はハ21であったが、後に2代目ハ6に改番された。廃止時まで在籍。
- ユニ1 - 1954年10月に入線した半鋼製2軸客車。もとは1932年日本車両東京支店製の相模鉄道(相模線)キハ101で、同線の国有化に際して神中線に転じ、電化にともなって余剰となっていたものを譲り受けた。
[編集] バス
前述のとおり、鉄道は末期には上りのみ1便の運行であったが、鉄道を補完するためバスの運行を行っていた。路線は寿都駅から中の川駅、黒松内駅を経由して長万部町の国縫駅まで結んでいた。北海道中央バスへ路線を移譲した際、長万部駅までの運行となったため、その後の北海道中央バス、ニセコバスの時刻表には1997年頃まで長万部駅乗り継ぎの函館バスの時刻が掲載されていた。
[編集] 関連項目
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