平田満 (歌手)
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平田 満 | ||
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基本情報 | ||
出身地 | ![]() |
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ジャンル | 歌謡曲 コミックソング | |
職業 | シンガーソングライター | |
活動期間 | 1973年作曲家として 1976年歌手として |
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レーベル | キングレコード |
平田 満(ひらた みつる、****年**月**日 - )は、日本の歌手、作曲家。
目次 |
[編集] 概略
- つづく『もしもお許し願えれば女について話しましょう』はもちろんヒットせず。ジャケット写真の衣裳もバックのホリゾントも、なぜか『愛の狩人』と同一のものが使用されている。
- 『愛の狩人』等の作曲の金野孝は作曲家浜圭介の本名であり、編曲の土持城夫は『男どアホウ甲子園』(作詞佐々木守、1970年)の作曲者であり、平田隆夫とセルスターズ『ハチのムサシは死んだのさ』(作詞内田良平、作曲平田隆夫、1972年)の編曲者として知られる。
- 作詞の本野丈弾は、JASRACにも信託しておらず、平田の4曲しか作詞をした形跡がない。正体不明である。彼が作詞しした『愛の狩人』も、『もしもお許し願えれば女について話しましょう』も、なぜかかつてヒットした洋画のタイトルを借用している。前者はマイク・ニコルズ監督の1972年の作品、後者はエットーレ・スコラ監督の1964年のデビュー作。
- 「『東村山音頭』は、志村けんに先駆けて正調でリリースするもヒットせず」との説が一部マニアの間で流布しているが、これは誤り。平田ヴァージョンの発売は1976年6月21日、志村ヴァージョンの発売は9月1日と確かにリリースは平田が先だが、バラエティ番組「8時だョ!全員集合」における同曲の登場は1976年3月6日であり、志村のほうがやはり早かった。
- 内山田洋とクール・ファイブに強烈な影響を受けたグループ、原みつるとシャネル・ファイブに楽曲を提供しているが、原みつるとの同一人物説が有力。
- 俳優の平田満とは別人。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
- 東村山音頭 (作詞土屋忠司/作曲細川潤一) セブンシーズミュージック
- もしもお許し願えれば女について話しましょう (作詞本野丈弾/作曲金野孝/編曲土持城夫) 日音
[編集] 楽曲提供
- 484のブルース (作詞平田満 補詞高月ことば/作曲平田満 補曲野崎眞一) 木立じゅん テイチク
- ハッキリ小唄 (作詞平田満 補詞森山としはる/作曲平田満) 1973年 原みつるとシャネル・ファイブ キングレコード
- c/w すすきの情話 (作詞森山としはる/作曲平田満) 原みつるとシャネル・ファイブ
- くやし泣き (作詞森山としはる/作曲平田満) 原みつるとシャネル・ファイブ キングレコード