憲法 (佐藤幸治)

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憲法学者佐藤幸治の主著『憲法』 （けんぽう、青林書院、第3版1995年）は京都学派憲法学を代表する書籍であり、芦部信喜『憲法』(岩波書店)と並び憲法学の二大基本書とされる。佐藤功の書との区別で『佐藤(幸)憲法』と略記されることが多い。

[編集] 特色

特色としては以下のような点を挙げることができる。

形式的には一般の体系書と異なり統治機構-基本的人権-平和主義の順で叙述されていること。

内容的には八月革命説を採用しないこと、自然法思想を否定し人権の前国家性も認めないことなどが挙げられる。これらのことから憲法の理念を軽視しているのではないかとして違和感を持つ読者も少なくない。また裁判所を法原理機関という独自の用語で以って位置付けていることでも有名である。

全体的に法の支配を重視する解釈を展開する。

なお師である佐々木惣一の押し付け憲法論は採られていない。

[編集] 叙述順序について

はしがきでは全編を貫き「立憲主義へのアフェクション」を以って書いたものであるとしている。

人権は全人類の歴史を通じた唯一絶対の価値ではなく、統治の手段として国家的に創造された観念であるという前提に立ち、さらに現行憲法の本質は明治憲法のアンチテーゼにあるのではなく(従って八月革命論は採られない)近代立憲主義における現代的日本的バリエーションの一つであると考えるならば、統治の後に人権というこの順序が論理的であろうということになる。

また、近代国家はその前提となる社会契約の代償として内部的には警察機構を、外部的には軍隊を契約の構成員たる国民を守る為に整備しなければならないという本質を持つが、本文の記述によれば、二度に渡る世界大戦によって軍事力の無制限な行使が必ずしも国民を守る最善の手段ではないということが判明した。そのため各国の事情に応じて憲法的にこれを予め制限する必要が生じた、それが立憲主義における平和主義の本質なのであり、憲法9条はその日本的バリエーションであるとする。これによれば平和主義は近代立憲主義の原則に対する例外あるいはその修正部分に相当するため、近代憲法の現代的変容として最後に置かれるのが適当であるということになる。

ちなみに、有斐閣から出された法律学全集中の清宮四郎『憲法 I』宮沢俊義『憲法 II』はI 統治、II人権となっており、このような叙述順序がとりたてて異様というわけではない。

[編集] 法原理機関について

国会内閣という多数決によるいわば「政治原理」機関に対応する概念であると考えられる。従って叙述順序も統治機構の中では最後に置かれ、第二編『国民主権と政治制度』(国民-国会-内閣-天皇-地方の政治制度)に次ぐ第三編『裁判所と憲法訴訟』(裁判所-憲法訴訟)の中に別個に置かれている。

多数による国家の意思決定は民主主義の本質的要素であるが、多数決によれば何でも決められることになってしまっては最終的にはかえって国家に不利益を与えることとなりかねない。(ナチス・ドイツが良い例である。)そこで一定の歯止めを掛けるものとして民主主義の修正ないし例外としていわゆる憲法の番人たる裁判所が憲法訴訟の場面で働くということになる。

このような立場からは立法行政の不手際に対しては司法がより積極的に干渉すべきだといういわゆる司法積極主義の立場は採られない。よりリアルタイムで民意を反映する国会内閣の方が民主主義における原則なのであって、裁判所はそれに対する少数者にすぎないからである。

[編集] 解釈上の問題点

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日本国憲法前文を軽視しているのではないかということが佐藤説の弱点として指摘されている。

すなわち、前文を素直に読む限り、日本国憲法は「その崇高な理想と目的」は「人類普遍の原理」であるとし、これを「達成することを誓」っている立場であるから、上述のような立場を前提とする憲法解釈は成り立たないのではないかとする批判^[要出典]である。

しかし、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」が人権思想に限るという明らかな根拠は無い。自然法説によって人権の普遍性を論じる立場も極めて有力であるが、自然法なるものがあるとして、それが何故王権神授説等ではなく人権思想のみを導くのか不明である。人権論への疑問は憲法学以外の世界においてもなお根強く燻っており、現に例えば伝統仏教の中にも、人権概念は西洋社会から生みだされた特有のイデオロギーであって個人を煩悩の塊であると把握する仏教的人間観とは必ずしも相容れないのではないかとして無批判な人権賛美に懐疑的な見方もある。^[要出典]基本的人権の享有を規定する日本国憲法第11条も、「この憲法が国民に保証する」ものについてであり、「現在及び将来」であって過去に遡るわけではない。

佐藤も本文中において人権が何に基礎付けられるかは法理学的・宗教的・哲学的に極めて難しい問題であり一概には言えないとし、自然法思想によってではなく、人権思想が現在の国民にある程度以上広く受けいれられてきていることを以て憲法的に認められてよかろうとする趣旨の記述がある。押し付け憲法論を採らないのも同様の理由からである。前文の、国政の「権威は国民に由来」するとの立場にも合致する。この点に関し憲法草案作成の中心人物チャールズ・ケーディスの項も参照のこと。

なお、これとは逆に、人権の存在はただ憲法の法規(11条・13条等)によってのみ基礎付けられるに過ぎないとの立場を採れば、憲法を改正すれば理論上は人権の消滅すらありうるとして憲法改正無限界説へ帰結することになるだろう。

いずれにせよ、佐藤説においても憲法の理念性を全く排除する趣旨であるとは考えられないから、これをどの程度認めるかという程度問題に過ぎないとも言いうる。

[編集] 評価

新憲法を絶対の超越的な理念としてあたかも国家神道に代わる新たな国教であるかのごとくしようとする戦後の熱狂に対する冷やかな態度がはしがき等から見受けられ(自らを絶望も恐れもされど歓喜も無き世代としている。敗戦という「絶望」の末に新憲法を新たな理念として「歓喜」を持って迎え入れた芦部等の世代が念頭にあるであろうことは想像に難くない)、それが憲法の条文法規に客観化され、かつ国民の「日常的感覚」に合致する限りにおいてしか憲法のイデオロギー性を認めようとはしないという解釈態度(はしがきでは「交差光線」という独特の表現でこのことが表されている)に繋がったのではないかと考えられる。

常に歴史的観点から憲法の基本原理に立ち返りつつ、保守・革新といったような特定の政治的立場に拠らずに純法律的に各論点を解釈しようとするため、憲法訴訟について初めて詳細に書かれた体系書であったこともあって実務家の評価も高い。一方で独自難解な言い回しが多いこともあり、主観的・イデオロギー的な憲法論に慣れた初学者にはとかく難解であると考えられる傾向にある。逆に、民法など他の法律学を学んだ後で読めば、その法律学的な記述がかえってわかりやすいとの評価もある。