成田 (杉並区)
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[編集] 地名の由来
成田とは「成宗」と「田端」という旧地名の合成語である。従って、成田山新勝寺のある千葉県成田市とはつながりはない。1963年に住居表示にともなう地名変更である。
もともと「田端」が「成宗」を挟む形なので東側を「東田端→東田町」、西側を「西田端→西田町」と称した。また、明治17年同地域に開設された小学校は「成田尋常小学校」と称していた(現在の杉並第二小学校)。 なお、「杉並」という地名は成宗の小字で杉並木のあった青梅街道沿いの地域があたる。
西田町は現在の荻窪一丁目、荻窪二丁目、荻窪三丁目の一部(東側)も含まれる。戦前の宰相近衛文麿の住居「荻外荘」は西田町一丁目(現、荻窪三丁目)にあった。
[編集] 該当する地域
- 成田東一丁目、成田東二丁目、成田東三丁目、成田東四丁目、成田東五丁目
- 成田西一丁目、成田西二丁目、成田西三丁目、成田西四丁目
- 大まかにいえば、五日市街道(東京都道7号杉並あきる野線)を中心に、北端は青梅街道(東京都道4号東京所沢線)。南端は大宮八幡宮から五日市街道柳窪交差点に向かう細い道である。
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] バス
[編集] おもな道路
- 青梅街道
- 五日市街道
- 東京都道427号瀬田貫井線(ここ近辺は都道とは思えないほど細い道である)
[編集] おもな公園
- 東京都立善福寺川緑地公園(善福寺川に沿った公園)
- 杉並区立杉並児童交通公園
- 成田東四丁目には東京都立善福寺川緑地公園に隣接する形で阿佐ヶ谷住宅がある。1958年(昭和33)に入居が始まった日本住宅公団(現:都市再生機構)の分譲住宅で、テラスハウスという住宅形式と広大な共有スペース(公園)を有する余裕ある住棟配置が見られる。
[編集] 学校
- (注) 成田地区に所在する学校。成田地区の学区域とは合致しない
[編集] 高等学校
[編集] 中学校
- 杉並区立東田中学校
[編集] 小学校
- 杉並区立杉並第二小学校
- 杉並区立東田小学校
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