日本人とロシア人の友好の家
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日本人とロシア人の友好の家(にほんじんとロシアじんのゆうこうのいえ、友好の家(ゆうこうのいえ)と略される場合もある)とは、衆議院議員鈴木宗男の尽力により、北方領土国後島の中心都市、古釜布(ユジノクリリスク)に完成した施設のこと。通称ムネオハウス。
国後島の行政府からすぐの市内中心部、北海道国後郡泊村古釜布グネチコ通りに建つ。電話番号は 7(ロシアの国番号)-42455(市外局番)-22155 であり、日本からの通話はロシア向け国際電話となる。
[編集] 建設の経緯と現状
建設に際しては鈴木宗男と地元ゼネコンとの談合があったなど、黒い噂が流れた。日本共産党の衆議院議員佐々木憲昭がこの疑惑を衆議院予算委員会で追及する際に「ムネオハウス」という俗称があることを紹介し、マスコミがこれを喧伝したため、「友好の家」はこの名前で知られるようになった。
建物は2階プレハブ建ての比較的簡素なつくりで、内部はほぼ完全に日本の様式になっている。ロシア人の避難所という名目であるが、実態は、ビザなし交流で国後島を訪れた日本人訪問団の宿舎として利用されてきた。
施設の管理は、ロシア側が行っている。鈴木宗男代議士が外務省に対し権勢を振るっていたころは、日本政府から潤沢な維持費が提供されていたが、鈴木代議士の失脚後はすべて打ち切られた。このため、内部の維持に経済的に苦慮する状態となっており、ビザなし交流団だけでなくいろいろな人を宿泊させる一般ホテルのように利用されて維持費を捻出している。2006年8月16日に発生したロシアによる日本の蟹かご漁船への銃撃・拿捕事件(詳しくは貝殻島を参照)で、乗組員が一時この施設に拘束されたことは、記憶に新しい。
[編集] ネット上の反響
この疑惑が浮かび上がった2002年2月頃に、インターネット掲示板のひとつ2ちゃんねるのテクノ板で「アシッドハウス=ムネオハウス」というスレッドが立てられた。
当初はただの駄洒落で立てられたというスレッドだったが、スレッドの中でDJ SHIKARABAなどのテクノ板の住人達が、鈴木宗男ら当時の国会議員の答弁等の声をサンプリングしたハウスミュージックを発表すると、その完成度の高さがネット内外で大きな話題となった。ちょうど学校の春休みの時期であり、心得のある大学生などが、楽曲は勿論、楽曲を題材にしたPV仕立てのFlashムービーや、架空のCDジャケットを制作し、そのクオリティの高さでも話題となった。
楽曲はハウスやテクノは勿論、ユーロビート、トランス、ヒップホップ、R&Bなど多岐にわたったが、これらのジャンルも総称して「ムネオハウス」と呼ばれた。 2002年の春から夏にかけて、新宿・京都のディスコ、クラブなどでイベントが開催され、それに伴い楽曲のダウンロード数も連日増加し、一時は楽曲を保管するサーバの転送量が問題になるほどの盛り上がりを見せた。
2003年以降、ブームが去った後も、場所を公式サイトの掲示板に移して楽曲は制作し続けられ、現在に至るまでアルバムにして約20枚相当の楽曲が完成している(公式サイト)。
当初は当然のことながら本人の許可を取らないアングラ的な活動として行われていたが、2004年5月に札幌で、2006年2月に東京で開催されたムネオハウスのクラブイベントには「MCムネオ」として鈴木宗男本人も参加するなど、現在では事実上本人公認となっている。
なお、このときのブームは、後の2ch内での各種音楽・Flashムービー制作や楽曲ファイルのサーバ管理等に少なからず影響を与えている。(FLASH・動画板、のまネコの原型Flashムービー、『VIP STAR』、『フルスロットル』など)