木佐貫洋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
木佐貫洋(きさぬき ひろし、1980年5月17日 - )は読売ジャイアンツ所属のプロ野球選手・投手である。背番号は41番。速球派投手。起用法は2003年は先発だったが、以降はリリーフが多い。
コーチからの助言を聞くときはもちろん、取材などでも直立不動と、生真面目な選手である。大学から同期で広島東洋カープの永川勝浩投手がライバルで、2003年にはシーズン最後まで新人王争いを演じた。本人曰く、大雑把な性格だったが、亜細亜大に入ってから変わったと話している。
目次 |
[編集] 来歴
- 2002年 亜細亜大学より自由獲得枠で巨人に入団。
- 2003年 新人ながらシーズン10勝を挙げ新人王。
- 2004年 勝ち星が伸びなく、シーズン途中から一時抑えに転向する。
- 2005年 相次ぐ故障により、14試合の登板にとどまり未勝利(0勝1敗5セーブ)、7月に右肩甲骨下の手術を行う。
- 2006年 6月19日のオリックス・バファローズ戦で約1年ぶりに1軍登録、即先発するも、3失点で敗戦投手になる。合計3度先発のチャンスを与えられるが、いずれも序盤にKOされてしまい0勝3敗でシーズンを終える。2年連続未勝利という屈辱的な結果に終わり、2007年シーズンは正念場となる。
- 復活を期す2007年、オープン戦で素晴らしい投球を見せ、上原浩治、ジェレミー・パウエルの故障もあって開幕ローテーション入りを果たした。
- 2007年4月12日、広島市民球場での対広島東洋カープ3回戦で先発し、6回2/3を無失点(自責点1)の投球で3年ぶりの勝利投手となった。
[編集] 略歴
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
年度 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 先発 | 投球回数 | 奪三振 | 防御率 | 勝率 | 背番号 | 所属 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003年 | 25 | 10 | 7 | 0 | 18 | 175 | 180 | 3.34 | .588 | 21 | 巨人 |
2004年 | 31 | 7 | 8 | 5 | 19 | 139(2/3) | 154 | 5.03 | .467 | 21 | 巨人 |
2005年 | 14 | 0 | 1 | 5 | 0 | 13(2/3) | 17 | 3.95 | .000 | 21 | 巨人 |
2006年 | 3 | 0 | 3 | 0 | 3 | 10(1/3) | 7 | 9.58 | .000 | 21 | 巨人 |
2007年 | 41 | 巨人 | |||||||||
通算 | 73 | 17 | 19 | 10 | 40 | 338(2/3) | 358 | 4.25 | .472 |
[編集] 主なタイトル
- 新人王 2003年
[編集] エピソード
- 1998年、高校3年次の夏の選手権大会・鹿児島予選決勝では杉内俊哉(現福岡ソフトバンクホークス)の鹿児島実業に1-3で惜敗。惜しくも甲子園出場を逃した。鹿児島県大会はこの年まで準々決勝と準決勝の間に休養日がなく、日程の関係上、杉内は準決勝と決勝の2連投だったが、木佐貫は準々決勝から3日連続登板。準決勝は雨によりナイターゲームとなった為、翌日の決勝に疲労を残していた。一方、鹿児島実業は1日の休養が有った。これを受けて県大会の日程に問題有りとされ、後に日程が見直される発端となった。
- 高校時代から注目されていた投手で、当時から速球とフォークのコンビネーションで三振の山を築いていた。
- いつでも謙虚で、かつ前向きな姿勢がファンから慕われている。新人の頃の素晴らしい投球の復活を望むファンが多い。
- 日記を書く際には、文字を一定の間隔を空けて書くことがテレビ番組で紹介されたことも。
- 妻(一般人・元介護福祉士)と井手迫弘美(ローカルタレント)は共に川内高校の同期。
- 漫画への造詣は浅からぬものがある。大学時代、オフの時間は漫画喫茶をよく利用していたといい、またこの時代に女性の知人から読ませてもらったベルサイユのばらに大変感動、木佐貫は少年・男性漫画だけでなく少女・女性漫画も幅広く読む。
- 2004年に出身地・川内駅で一日駅長も務めた。
- 尾花高夫投手総合コーチからは「斉藤和巳クラスになりうる投手、上原浩治に次ぐエース級になってほしい」と潜在能力を高く評価されている。今後の真価が問われる。
- 登板時のBGMは入団してからずっとヴァン・ヘイレンの『JUMP』を使用している。
- 2007年から背番号は21から41にかわったが、原監督からは「巨人のトム・シーバーになってほしい」という期待のあらわれと復活して欲しいという意味がこめられているものとみられる(また、巨人の41番といえば、かつての大エース斎藤雅樹が着けていた番号でもある)。
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
00 川中基嗣 | 0 木村拓也 | 2 小笠原道大 | 5 ルイス・ゴンザレス | 6 小坂誠 | 7 二岡智宏 | 8 谷佳知 | 9 清水隆行 | 10 阿部慎之助 | 11 久保裕也 | 12 鈴木尚広 | 13 林昌範 | 15 辻内崇伸 | 17 姜建銘 | 19 上原浩治 | 20 豊田清 | 21 高橋尚成 | 22 福田聡志 | 23 脇谷亮太 | 24 高橋由伸 | 25 李承燁 | 26 内海哲也 | 27 門倉健 | 28 金刃憲人 | 29 前田幸長 | 30 西村健太朗 | 31 小関竜也 | 32 円谷英俊 | 33 野間口貴彦 | 35 亀井義行 | 36 岩舘学 | 37 斉藤宜之 | 38 上野貴久 | 39 吉武真太郎 | 40 村田善則 | 41 木佐貫洋 | 42 ジェレミー・パウエル | 43 真田裕貴 | 44 大道典嘉 | 45 小田嶋正邦 | 46 野口茂樹 | 47 松本哲也 | 48 矢野謙次 | 49 デーモン・ホリンズ | 50 吉川元浩 | 51 古城茂幸 | 52 十川孝富 | 53 實松一成 | 54 三浦貴 | 56 加藤健 | 57 三木均 | 58 星孝典 | 59 深沢和帆 | 60 深田拓也 | 61 坂本勇人 | 62 越智大祐 | 63 会田有志 | 64 酒井順也 | 65 梅田浩 | 66 田中大二郎 | 67 加登脇卓真 | 68 栂野雅史 | 69 寺内崇幸 | 90 深町亮介 | 92 木村正太 | 93 東野峻 | 96 伊集院峰弘 | 100(育成選手) 佐藤弘祐 | 101(育成選手) 山本光将 | 102(育成選手) 山口鉄也 | 103(育成選手) 芦沢明 | 104(育成選手) 下山学 | 106(育成選手) 林羿豪 | 107(育成選手) 隠善智也 | 108(育成選手) 作田啓一 | 109(育成選手) 鈴木誠 | 110(育成選手) 大抜亮祐 | 129(育成選手) ウィルフィン・オビスポ
88 監督 原辰徳 | 87 尾花高夫 | 78 伊原春樹 | 85 斎藤雅樹 | 81 篠塚和典 | 84 内田順三 | 71 伊勢孝夫 | 89 村田真一 | 83 西岡良洋 | 76 白坂契 | 82 木村龍治 | 77 二軍監督 吉村禎章 | 70 小谷正勝 | 72 香田勲男 | 98 玉木重雄 | 75 岡崎郁 | 86 岸川勝也 | 79 福王昭仁 | 73 緒方耕一 | 74 西山秀二 | 94 木樽正明 | 95 宮本英治 | 97 伊藤博 | 99 内藤重人 | 111 藤田浩雅 | 130 金杞泰 |
読売ジャイアンツ 2002年ドラフト指名選手 |
---|
自由獲得枠:木佐貫洋 / 自由獲得枠:久保裕也 / 4巡目:長田昌浩 / 5巡目:山本光将 / 6巡目:矢野謙次 / 7巡目:入野久彦 / 8巡目:横川雄介 |