松沼博久
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松沼 博久(まつぬま ひろひさ、1952年9月29日 - )は、西武ライオンズに所属した元投手である。引退後はフジテレビ解説者、ロッテ、西武でコーチを務め現在はJ SPORTSなどで解説者を務める。通称「兄やん」。現在はマスターズリーグの札幌アンビシャスに加入。
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[編集] 来歴・人物
1978年オフ、読売ジャイアンツとの激しい争奪戦の末、弟の松沼雅之と共に西武に入団、1979年、球団創設1年目だった西武は開幕から12連敗するがこの連敗を止め、球団初勝利を挙げたのはこの松沼であった。そしてこの年アンダースローから繰り出される独特のボールを武器に16勝を挙げ、新人王に輝いた。1982年には西武の初優勝に貢献した。以後も主力投手としてチームを支え、12年間の現役生活で6度二桁勝利を挙げた。1990年限りで引退。
コーチ歴は1995年からロッテで4年間。西武では2002年から2年間努めた。しかしロッテ時代には1998年の18連敗を経験し、2003年には西武の投手陣崩壊に関わったとされ、また森慎二の酷使や松坂大輔との確執(松坂本人が雑誌Sports Graphic Number 誌上で語った)で指導法にも疑問が残った。結局同年7月には投手陣崩壊の責任を取り弟・雅之と1・2軍投手コーチを入替え、事実上の更迭。そのシーズン限りで兄弟共に退団した。
自宅が西武池袋線のひばりが丘にあるらしく、試合のある日は西武ドームまで歩いてくると本人が語っている。それが元で2ちゃんねるではスタスタと呼ばれている。
[編集] 略歴
- 身長・体重 1m75cm、68kg
- 投打 右/左
- 出身地 東京都墨田区
- 血液型 O型
- 出身校 取手二高-東洋大-東京ガス-西武ライオンズ(1979年~1990年)
- プロ入り年度・ドラフト順位 1978年(ドラフト外)
[編集] 通算成績
- 297試合 112勝94敗1S 975奪三振 防御率4.03
[編集] タイトル・表彰
- 新人王 1979年
- シーズン最多三振奪取 1982年
[編集] エピソード
西武ライオンズ球場でのとある南海ホークスとの試合で初回に門田博光を敬遠する際、カウント0-3からキャッチャーが立っているにもかかわらず緩い球をど真ん中に放り込み門田は空振り、思わず南海ベンチの杉浦忠監督も笑っていた。
[編集] 現在の出演番組
[編集] 関連項目
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