柳生宗冬
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柳生宗冬(やぎゅうむねふゆ、慶長18年(1613年)? - 延宝3年9月29日(1675年11月16日))とは、江戸幕府の征夷大将軍、4代徳川家綱の剣術の兵法師範。柳生宗矩の三男で柳生三厳(十兵衛)の同母弟、柳生友矩の異母弟、列堂義仙の異母兄。正室は京極高通の娘。子に宗春、宗存。東京都練馬区桜台の広徳寺に墓がある。
慶安3年(1650年)柳生家の家督を三厳から引き継ぐ。明暦3年(1657年)飛騨守となる。寛文8年(1668年)柳生藩の大名となる。(大和国山辺郡加増のため)
墓の調査により木製(黄楊・蝋石)義歯(総入れ歯)が発見される。
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父、兄、従兄と比して実力面では劣るとされ、物語上引き立て役に回ることが多い。しかし、大器晩成型で着実な宗冬の性格は、激しい兄や策略家の父と違った親しみを感じさせるキャラクターとして描写されることもあり、その味わいもなかなかおもむきがあるといえるのではないか。
- 吉川英治の短編『柳生月影抄』では、資質こそ認められてはいるものの女にうつつを抜かし、実力を発揮できずにいる。御前試合では父に厳しい叱責をうけすねているような凡庸な青年だが、作中最後には大器晩成して名を成したとある。
- 山岡荘八の小説『柳生宗矩』では、偉大な父に反発し書物と学問に耽溺する若者である。なお、この作品では列堂義仙は彼の子としてある(つまりは宗矩にとって孫)。
- 五味康祐短編『柳生武芸帳』では、まだ若い彼は父の命に従い抜歯してまで女装をし隠密行動を担う。
- 隆慶一郎の『吉原御免状』では、父から暗殺剣を封じられた表柳生当主として主人公・誠一郎に向き合い、弟にして裏柳生を率いる列堂義仙の阻止を懇願する。
- 隆慶一郎の短編『ぼうふらの剣』における彼は、剣術を苦手としていたが、あるとき池のぼうふらを見て奥義を悟った。
- 荒山徹の『柳生大戦争』では、黄色い乱杭歯を剥き出しにして兄・友矩に突っかかるいやらしい男である。
[編集] 著作
- 宗冬兵法物語
[編集] 参考文献
戸部新十郎ほか 『唸る豪剣、閃く秘剣 日本剣豪列伝(歴史読本増刊)』 新人物往来社、1992年。
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