榊原政永
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榊原 政永(さかきばら まさなが、享保20年10月27日(1735年12月11日) - 文化4年12月29日(1808年1月26日))は江戸時代の大名。播磨姫路藩第4代藩主、越後高田藩初代藩主。榊原家9代当主。
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生誕 | 享保20年10月27日(1735年12月11日) | |||
死没 | 文化4年12月29日(1808年1月26日) | |||
藩 | 播磨姫路藩→越後高田藩 | |||
父母 | 父:榊原政岑 | |||
妻 | 正室:堀田正亮の娘 | |||
子 | 榊原政敦(次男)、榊原政晨(三男)、 榊原政億(四男)、榊原政成(五男)、 榊原職序(八男)、稲垣長続(十男)、 京極高貞(十二男)、大久保政敏(十三男) 娘・亀姫のち幸姫 (黒田治之正室)、 娘(喜連川彭氏正室)、娘(内藤正弘正室) |
享保20年(1735年)、榊原政岑の次男として生まれる。幼名、小平太。父が吉原での乱行を咎められ隠居を命じられたため、寛保元年(1741年)に7歳で家督を継ぐ。直後に姫路藩から高田藩に国替えを命じられた。石高は15万石で転封前と同じだが、陸奥国などに飛び地があるため実質的には減封で、藩財政の悪化を招いた。寛政元年(1789年)隠居し、後を次男・政敦に譲る。文化4年(1808年)死去。
[編集] 経歴
[編集] 官位位階
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