橋本卯太郎
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橋本 卯太郎(はしもと うたろう、明治2年(1869年)3月 - ?)は、日本の実業家。官僚、政治家の橋本龍伍は五男、内閣総理大臣を務めた橋本龍太郎は孫。
大日本麦酒(現・サッポロビール)の恵比寿工場長、常務取締役等を歴任し日本ビール界の発展に大きく貢献した。
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[編集] 年譜
- 1869年3月:岡山県吉備郡秦村(現・総社市)に農業・ 橋本源三郎の長男として生まれる
- 1894年:東京高等工業学校(現・東京工業大学)機械科卒業 同郷の馬越恭平に見込まれ日本麦酒株式会社入社
- 1900年:醸造業視察のため欧州各国に派遣される(~1901年)
- 1905年:麦酒機械購入のため再び欧州へ派遣される(~1906年) 養兄・富平方より分家し一家を創立する
- 1906年:札幌麦酒、大阪麦酒、日本麦酒の三社が合併し大日本麦酒株式会社が誕生。引き続き機械課長工務部長に就任する
- 1919年:取締役に就任
- 1921年:常務取締役に就任
[編集] 人物像
- たびたびの高梁川の洪水に見舞われ生家は流され、田畑は荒れ、非常に貧しい暮らしを強いられた。明治の中頃わらじを作って売り旅費を稼ぎ上京する。上京後は新聞配達、牛乳配達、時には雪をかんで空腹をいやし新聞のふとんで寒さをしのぐなど苦学を重ね東京高等工業学校を卒業し大日本麦酒の重役として活躍した岡山の立志伝中の一人である。
- 『明治大正人物史』には「幼より沈着誠実迫らざる態度は大人の風ありてその大成を嘱望せらる」とある。
[編集] 家族 親族
- 父・橋本源三郎
- 養兄・富平
- 妻・マツ(熊本県,軍人石光真清、陸軍中将石光真臣妹)
- 長男・宇一(学者)
- 長女・理家(岡山県,橋本良平に嫁する)
- 二男・宙二(軍人・海軍大佐)
- 二女・光枝(島根県,天野潔に嫁する)
- 三男・乾三(官僚・検事)
- 四男・坤四郎
- 五男・龍伍(官僚、政治家)
- 六男・虎六(学者・東北大学教授)
- 孫・龍太郎(政治家・首相)、大二郎(政治家)、明(ジャーナリスト)
- 曾孫・岳(政治家)
[編集] 参考文献
- 橋本明 『昭和抱擁 天皇あっての平安』 日本教育新聞社 1998年 112-114貢
[編集] 関連
[編集] 外部リンク
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