海苔
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海苔(のり)は、紅藻類・藍藻類・緑藻類の食用とする海藻の総称。また、それらの海藻を漉いて紙状に乾かした食品。
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[編集] 海苔(海藻)
- (→海藻も参照のこと)
ノリとは、海藻を表す古語の一つであるので、食用としない多くの種類の海藻にも、○○ノリ、~~~ノリという名前がつけられている。食べ物としての「海苔」とは、(1)板海苔、岩海苔と称され、乾燥状態で赤黒い海藻類(アサクサノリ、スサビノリ:学名 P. yezoensis、ウップルイノリ:学名 Porphyra pseudolinearis など原始紅藻亜綱ウシケノリ科アマノリ属というグループに属する海藻)と、(2)佃煮やフリカケの原料となる青海苔と称される緑色の海藻類(緑藻類アオサ科アオサ属orアオノリ属の海藻)と、(3)その他、静岡県、高知県、埼玉県などの山間の清流に産するカワノリ、熊本県に産する藍藻類のスイゼンジノリなどを指す。(今後Wikipediaのこの項目に関して、特に説明がない場合は、(1)の海藻についての解説である。)
いわゆる韓国海苔と呼ばれるものは、主に(1)に属する海藻から作られる。また、イギリスのウェールズ南部地方で古くから食用にされているLaver(学名 P. umbilcalis)と呼ばれる海藻も(1)と同じグループの海藻である。
(1)、(2)は海を生育場所とする。(3)は川に産する。(1)~(3)それぞれ全く異なる海藻のグループに属するため、生活史(ライフサイクル)はそれぞれ異なるが解明されており、(1)、(2)については、解明された知見を利用して人為的にライフサイクルを制御し大量に種苗を作ることで、商業規模での養殖が可能となっている。
[編集] 海苔(食品)
ウップルイノリ(岩海苔)とスサビノリは、海苔巻き、おにぎり、磯辺餅、ふりかけ、ラーメンの具などに使われる。一方で、フノリ(布海苔)やアオノリ(青海苔)は、前者同様、おにぎり、ふりかけの他に、お好み焼きのふりかけ、お吸い物などに使われる。日本では極めてよく利用される食材である。
味を付けている海苔を「味付け海苔」と言う。そのほか、海苔を細かく刻んだきざみ海苔や、海苔の佃煮(関東では桃屋の「江戸むらさき ごはんですよ!」、関西では磯じまん・ブンセンの「アラ!」などが代表的)などがある。
なお、乾燥させた海苔は湿気に弱いので、乾燥剤を入れた密封容器に保存する。
[編集] 歴史
古くは紫菜(むらさきのり・あまのり)・小凝菜(いぎす・テングサ)・鹿角菜(ひじき)などをのりと称した。とくにヒジキなどは、粘りを利用し、紙と紙を接着する接着剤としても使用された。糊をのりというのは、奈良時代に於いて紙を貼り合わせる物が海苔だったことに由来すると考えられる。
古くは『常陸国風土記』(713年)に登場しており、ヤマトタケルに関して次のような記述が見られる。「古老のいへいらく、倭武の天皇 浜辺に巡り幸して 乗浜に行き至りましき時に浜浦の上に多に海苔を乾せりき」。同じく『出雲風土記』(733年)においても、「紫菜(のり)は楯縫郡(たてぬいこうり)がもっとも優る」という記述がある(なお楯縫郡は現在の平田市十六島海岸)。
和銅3年(710年)に遷都された平城京には、海草類を売る「にぎめだな」、海苔や昆布を佃煮のように加工したものを売る「もはだな」という市場が存在した。大宝2年(702年)2月6日に執行された大宝律令においても、海苔が租税として徴収されている(ここから2月6日が海苔の日となっている)。こうして海苔は日本の食文化に定着し、987年頃に書かれた『宇津保物語』には、甘海苔や紫海苔といった具体的な名称で海苔が登場している。
江戸時代になると養殖技術が確立し、東京湾で採れた海苔(紫菜)を和紙の製紙技術を用いて紙状に加工するようになり、現在市販されている板海苔が完成する(これに対して乾燥させない海苔は生海苔と呼ばれる)。なお江戸の海苔の代表とされる浅草海苔に関しては諸説あるが、岡村金太郎著『浅草海苔』(1909年)においては、遅くとも長禄年間(1457~1459年)頃まで遡らせる説が提示されている。
海苔が使われている食品には『磯辺』と表現され、また産地には『磯辺』、『石部』、『磯部』、『石辺』(何れも『いそべ』と読む)などの地名を見ることが出来る。
[編集] 養殖法
海苔の養殖は江戸時代には始まっていたことが確認されるが、海苔の生態が判らなかったため経験則を頼りとしており、その不安定な生産高から「運草」とも呼ばれていた。しかし昭和24年(1949年)にイギリスのドリュー女史が海苔の糸状体を発見し、それまで不明であった海苔のライフサイクルが解明され、不確実な天然採苗に代わる人工採苗を実用化し、養殖が可能な地域の拡大にも繋がった。
秋、海水温度が約20℃の時、河口近くの海にノリヒビを設置する。(ノリヒビとは、養殖ノリを付着し、成長させる道具。昔は木や竹ヒビが使われた。現在は網ヒビが主流。)
ノリヒビに、胞子が付着し、発芽・成長してノリになる。そして、葉状に成長したノリを冬に収穫する。
[編集] 世界の海苔
海苔は日本のほか、中国、韓国、イギリス、ニュージーランドで養殖もされている。一時はアメリカでも養殖されていたようである。
イギリス品種であるLaverは、イギリスのウェールズ南部地方で古くから食用にされている。Laverを茹でてペースト状にしたものがLaverbread[1]と呼ばれる物で、そのままパンに塗ったり、油で揚げるなどして食べられている。Laverbreadは日本で言う「珍味」の類であり、同じウェールズでも北部山岳地方ではその存在を知らない人も多く、現地でも決してポピュラーな食べ物ではない。
海苔の大消費地である日本は輸入枠を割り当て制にしており、従来は韓国にのみに輸入枠が割り当てられていたが、2003年に中国から輸入枠の割り当て申請があり、自国の輸入枠減少を恐れた韓国が日本の海苔市場の自由化を要求、2004年、最終的にWTOへ協定違反として提訴している。日本における水産物輸入枠割当制度は他国にない制度であり、WTOの紛争処理小委員会(パネル)が「クロ」と裁定する可能性は高く、海苔で敗訴すれば他の水産物輸入枠割当制への影響は必須と見られたために、日本は韓国への海苔輸入枠割当を大幅に増やすことで妥協を図った結果、韓国は2006年1月に提訴を取り下げた。韓国からの海苔の輸入枠は2015年までに順次増えてゆき、最終的には2004年の5倍、市場占有率にして7倍までに拡大されることになった。
朝鮮半島における海苔についての史料は限られている。『三国遺事』(13世紀末)に「海衣」という言葉が見られ、これが海苔を指すものと考えられている。同様に地理書である『慶尚南道地理誌』(1425年)や『東国興地勝覧』(1478年)においても、「土産」の項に「海衣」の名称が確認される。また両班である許筠の美食書『屠門大嚼』(1600年前後)には「海衣 南海に産するが、東海の人が採って干したものがもっともよい」と書かれており、珍味の一種として認知されていたようである。なお莞島郡の伝承では「薬山面蔵龍里で、金有夢という人が、海岸の流木に海苔が着いているのを見て、海苔養殖を始めた」とされ、このために海苔を「キム」という[要出典]ようになったと伝えている。
近代に入ると、明治43年(1910年)の日韓併合前後から日本式の養殖が導入されることとなる。また昭和3年(1928年)頃には、朝鮮総督府水産試験場主任技師・富士川きよし、全羅南道水試技師・金子政之助が浮きヒビ養殖法を開発し、生産量を向上させた。なお鄭文基著「朝鮮海苔」(1935年)には、光陽郡の蟾津江河口で1本ヒビの養殖が行なわれていたという記述があるようである。
韓国産の味付け海苔を「韓国海苔」という。韓国海苔は日本の板海苔の等級[2]で比較すれば全体的に下級品であり、発色が悪く木目が荒い。また、塩と胡麻油で味付けがされている。なお韓国では、スサビノリとは別種のオニアマノリ、マルバアマノリ、ツクシアマノリなどが好まれているとされる。[要出典]
[編集] 雑学
- 日本で主に食用とされている品種は、ウップルイノリとスサビノリとアオノリである。近年ではアサクサノリは稀少である。[3]
- 日本国外では板海苔を見てカーボン紙を連想する人も多く、また「歯の裏にくっつく」、「紙を食べているよう」と嫌がることがある。
- 「海苔」はラテン語圏でも「Nori」で通じる。「Laver」は板海苔にはせず、また、イギリス以外では余り通用していない言葉である。
- 海苔のつるつるしているほうが表、そうでない方が裏だといわれている。
[編集] 脚注
- ^ Laverbread Homepageも参照のこと
- ^ 海苔産業情報センター-海苔の品質と等級
- ^ 盤州里海の会
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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