田原俊彦
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田原俊彦(たはら としひこ、1961年2月28日-)は、日本の歌手、俳優。神奈川県横須賀市出身だが、小学校5年生の時に山梨県甲府市に移り、高校時代までそこで育った。かつてジャニーズ事務所に所属していた。愛称は「トシちゃん」。現在はJVCエンタテインメント・ネットワークス所属。山梨県立甲府工業高等学校卒業。
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[編集] 来歴・人物・活動概要
1979年に『3年B組金八先生』の生徒役でデビュー。同じく生徒役だった近藤真彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」と言われる。ただし、他の2人が「金八」出演時に実際に15歳だったのに対し、田原は18(放送中に誕生日を迎え19)歳と高校卒業の年齢だった。そのため、事務所の意向もあり、年齢を1歳ごまかして出演していた。1980年にその先陣を切ってレイフ・ギャレット/『ニューヨークシティナイト』のカバー『哀愁でいと』で歌手デビューし、1980年代のトップアイドルとして大活躍する。1982年のブロマイド年間売上実績の男性部門でトップに輝く。その後『教師びんびん物語』など多くのドラマに主演するなど俳優としても大活躍する。
オリコンシングルのTOP10入り38作の記録を持ち、この記録はサザンオールスターズの『愛と欲望の日々/LONELY WOMAN』に破られるまで歴代1位だった。またTBS系『ザ・ベストテン』の最多出場記録も持っており、そのため同番組では田原の名前入りの青いソファーが1988年1月7日よりスタジオに設置されていた。このイスは、1987年12月31日の『ザ・ベストテン』放送の際に紹介された。
1980年から『NHK紅白歌合戦』に7年連続出場していたが、1987年にまさかの落選というよりマスコミが田原俊彦の落選予想をするような報道があり、NHKから正式に発表前に紅白卒業宣言をしてしまった。この背景には、田原本人のお世辞にも上手いとは言いがたい歌唱力に加え、曲を出せばオリコン10位以内にランキングされるものの、ランキング番組では2~3週で圏外落ちするなど、以前のような大きなヒットに恵まれなくなっていたことがある。しかし、翌1988年に発売された『抱きしめてTONIGHT』がフジテレビ系ドラマ『教師びんびん物語』の高視聴率とリンクしたこともあり、久々の長期的ヒットに発展。同年の紅白に選ばれるが、前年度に紅白卒業宣言をしてしまった為か、本人の希望で出場者発表後に突然の辞退宣言を表明。一部のマスコミでは、前年度の腹いせに辞退と書いたところもあった。ほか、田原自身は再出場に意欲的であったが、結果的に代役出場となった男闘呼組を選出させるため、事務所サイドが辞退させたという説も当時囁かれている。1989年にも「ごめんよ涙」でヒットしたものの、結局不出場となった。
事務所を独立する前年度の1993年には、毎年行われるコンサートツアーが全面的に中止されている。そして、事務所から独立する前に発売した曲では、テレビ朝日系『ミュージックステーション』に出られなかった。
1994年3月1日に、ジャニーズ事務所から独立し個人事務所「ダブルティープロジェクト」を設立する。(この事務所独立は、田原とジャニーズ事務所との間において、マネージメント上の確執があったため、と言われている。)しかし、ジャニーズ事務所から独立する1週間前に、結婚記者会見の席上での「俺はビッグだ」発言がマスコミの反感を買ったこと(ただし、このフレーズについては田原自身1989年頃からインタビュー等で冗談交じりにたびたび使用している)に加え、所属事務所の圧力と影響力に左右されるテレビ出演等の仕事が激減し、人気は急落し、下積み生活同然の苦労・屈辱を味わう。この発言のせいで、CM契約を打ち切った会社もあった。長女が誕生したときも、記者たちがあっけにとられるような会見をした為、次女が誕生した時はほとんどのマスコミは報道はしなかった。その後、個人事務所が田辺エージェンシーと提携して一度はタレント活動の機会は増える傾向にあったが、提携解消後は再び減少した。現在は、ジャニーズ事務所所属のタレントとの共演は、元事務所の意向で不可能になっている。
1996年末に現事務所に移籍後は、細々とではあるが歌手活動を続け、新曲発売やライブ、ディナーショーを行っている。1999年以降2001年まで、かつて田原が主演し人気を呼んだドラマ『びんびんシリーズ』が、2時間ドラマ枠で放映された。2004年にNHKで研ナオコとダンディ坂野と『教師びんびん物語』のコントをした。2005年にデビュー25周年をむかえ、主婦層など一部の根強いファンの間でアイドル復帰への要望が一時的に高まった。
1993年10月にモデルの向井田彩子と結婚。2児(女児)の父でもある。
プロサッカー選手の「キングカズ」こと、三浦知良とは、田原に憧れていたまだ無名時代のカズが、静岡のコンサートに遊びに行ったことがきっかけで10数年来の親友。1993年、カズがJリーグアウォーズ表彰式で、Jリーグ初代MVPを受賞した時、着ていた真赤なタキシードは田原のアドバイス。カズのファッションの師匠のような存在。またかつてデュエット共演した研ナオコとは、非常に仲が良いことで知られる。 ただ「広く浅くではなく、本当に気の合う人達と狭くても深いお付き合いをしたい」との本人の生き方もあって、近藤真彦と違って芸能界の交友関係は決して幅広いとは言えない。
2006年12月19日まで『田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム』というインターネットラジオのDJをやっていた。
[編集] ジャニーズ時代の参加ユニット
[編集] リリース・シングル曲
- 哀愁でいと
- ハッとしてGood !
- 恋=Do !
- ブギ浮ぎI LOVE YOU
- キミに決定 !
- 悲しみ2(TOO)ヤング
- グッドラックLOVE
- 君に薔薇薔薇・・・という感じ
- 原宿キッス
- NINJIN娘
- 誘惑スレスレ
- ラブ・シュプール
- ピエロ
- シャワーな気分
- さらば・・・夏
- エル・オー・ヴイ・愛・N・G
- チャールストンにはまだ早い
- 騎士道
- 顔に書いた恋愛小説(ロマンス)
- ラストシーンは腕の中で
- 銀河の神話
- 堕ちないでマドンナ
- 夏ざかりほの字組(Toshi & Naoko、研ナオコとのデュエット)
- 華麗なる賭け
- It's BAD
- Hardにやさしく
- ベルエポックによろしく
- あッ
- KID
- “さようなら”からはじめよう
- どうする?(連続ドラマ「ラジオびんびん物語」主題歌)
- どうする?(12インチシングル)
- 夢であいましょう
- 抱きしめてTONIGHT(連続ドラマ「教師びんびん物語」主題歌)
- かっこつかないね(連続ドラマ「金太十番勝負!」主題歌)
- 愛しすぎて
- ごめんよ涙(連続ドラマ「教師びんびん物語Ⅱ」主題歌)
- ひとりぼっちにしないから
- ジャングルJungle(連続ドラマ「日本一のカッ飛び男」主題歌)
- NUDE
- 夏いまさら一目惚れ
- 思い出に負けない
- 雨が叫んでる(現在のところ、オリコントップ10入りした最後の曲)(連続ドラマ「逃亡者」主題歌)
- ダンシング・ビースト
- KISSで女は薔薇になる(連続ドラマ「愛してるよ」主題歌)
- 雪のないクリスマス
- 魂を愛が支配する
- 真夜中のワンコール
- DA・DI・DA
- A NIGHT TO REMEMBER
- EASY・・・LOVE ME・・・
- キミニオチテユク
- 涙にさよならしないか
- 抱きしめていいですか
- DO-YO
- DANGAN LOVE-弾丸愛-
- 恋すれどシャナナ(研ナオコとの19年ぶりのデュエット)
- 願いを星の夜へ・・・・
- ジラシテ果実
[編集] 出演
[編集] 映画
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ第1弾「青春グラフィティ スニーカーぶる~す」
(1981年 東宝・河崎義祐監督)【準主演】
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ第2弾「ブルージーンズメモリー BLUE JEANS MEMORY」
(1981年 東宝・河崎義祐監督)【準主演】
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ第3弾「グッドラックLOVE」
(1981年 東宝・河崎義祐監督)【主演】
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ第4弾「ハイティーン・ブギ」
(1982年 東宝・舛田利雄監督)【準主演】
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ第5弾「ウィーン物語 ジェミニ・YとS」
(1982年 東宝・河崎義祐監督)【主演】〔二役〕
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ第6弾「嵐を呼ぶ男」
(1983年 東宝・井上梅次監督)【準主演】
- 「Love Forever」(1983年 東宝)【主演】
- 「L・O・V・I・N・G」(1983年 東宝・舛田利雄監督)【主演】
- 「瀬戸内少年野球団 青春篇 最後の楽園」(1987年 松竹・三村晴彦監督)【主演】
- 「課長島耕作」(1992年 東宝・根岸吉太郎監督)【主演】
- 「必殺始末人」(1996年 松竹・石原興監督)【主演】
[編集] テレビドラマ
- 3年B組金八先生(1979年 TBS)
- 心(1980年 TBS)
- ただいま放課後(1980年 フジテレビ)
- 東芝日曜劇場「愛情」(1981年 TBS)
- 東芝日曜劇場「おんなの家」(1981年 TBS)
- 東芝日曜劇場「妻の寝顔」(1982年 TBS)
- さよなら三角またきて四角(1982年 TBS)
- 看護婦日記PartⅠ(1983年 TBS)
- こぶしの花(1984年 日本テレビ)【主演】
- 燃えて散る炎の剣士 沖田総司(1984年 日本テレビ)【主演】
- サントリーミステリーロマン「運命交響曲殺人事件」(1984年 テレビ朝日)
- 聖夜に愛が死んだ(1984年 日本テレビ)
- 3年B組金八先生スペシャルⅢ~小さな嘘~(1984年 TBS)
- 東芝日曜劇場「夢かける甲子園」(1985年 TBS)【主演】
- ロックシンガーは闇に沈む(1985年 NHK)【主演】
- 3年B組金八先生スペシャルⅣ~イジメられっ子金八先生~(1985年 TBS)
- はらはらと雪月花(1986年 TBS)
- 東芝日曜劇場「春の雪ダルマ」(1986年 TBS)
- 森繁久弥の七人の孫(1987年 TBS)
- SF氏の不思議なトリップ(1987年 TBS)【主演】
- ラジオびんびん物語(1987年 フジテレビ)【主演】
- 教師びんびん物語(1988年 フジテレビ)【主演】
- SPびんびん物語(1988年 フジテレビ)【主演】
- 金太十番勝負!(1988年 フジテレビ)【主演】
- 赤ひげ(1989年 TBS)【主演】
- 教師びんびん物語II(1989年 フジテレビ)【主演】
- 俺たちの時代(1989年 TBS)【主演】
- 日本一のカッ飛び男(1990年 フジテレビ)【主演】
- 張り込み(1991年 フジテレビ)【主演】
- 次男次女ひとりっ子物語(1991年 TBS)【主演】
- 逃亡者(1992年 フジテレビ)【主演】
- 家族の食卓'93「妻の入院」(1993年 フジテレビ)【主演】
- 死刑台のエレベーター(1993年 フジテレビ)【主演】
- 愛してるよ(1993年 テレビ朝日)【主演】
- 怪談Ⅲ「牡丹燈篭」(1994年 フジテレビ)【主演】
- 半熟卵(1994年 フジテレビ)
- 世にも奇妙な物語「ブルギさん」(1995年 フジテレビ)【主演】
- 素浪人 花山大吉(1995年 テレビ朝日)
- 巡査びんびん物語(1999年 フジテレビ)【主演】
- 教師びんびん物語スペシャル(2000年 フジテレビ)【主演】
- 教師びんびん物語スペシャルⅡ(2001年 フジテレビ)【主演】
[編集] バラエティ
- カックラキン大放送(日本テレビ)
- 森田一義アワー笑っていいとも!(1995 - 1996年 フジテレビ)
- ドリフ大爆笑(1994年 雷様コントのゲスト出演)
- 8時だョ!全員集合(1982 - 1985年 TBS 不定期のゲスト出演)
- 見た目が勝負!?(1997年 テレビ東京)司会
[編集] 音楽番組
- レッツゴーヤング(NHK)サンデーズとして出演後に司会に。
- たのきん全力投球(TBS)
[編集] CM
- 江崎グリコ
- ライオン
- 牛乳石鹸
- キッコーマン
- タケダ
- JT
- 大阪ガス
- サントリー
- フマキラー
- ハウス食品
- ダイハツ シャレード (1990年~1992年)
- 資生堂
- DDI
- UCカード
- NEC
- テクニクス(松下電器)
- APAグループイメージキャラクター(2005年~2006年)
- WORLD アダバット
- サッポロビール 黒ラベル
- ポッカ じっくりコトコト煮込んだスープ
- 食糧庁 ごはん食推進委員会
[編集] 舞台
- 夢泥棒(1985年 東京宝塚劇場)
- ACB(1987年 日生劇場)【主演】
- マランドロ(1990年 日生劇場)【主演】
- 心を繋ぐ6ペンス(1991年 帝国劇場)【主演】
- ガイズ・アンド・ドールズ(1993年 帝国劇場)【主演】