田沢湖線
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田沢湖線(たざわこせん)とは、岩手県盛岡市の盛岡駅から秋田県大仙市の大曲駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。
地方交通線とはいえ、東北本線沿線から秋田方面へは重要なリレー的路線の需要もあるのでミニ新幹線化して田沢湖線を秋田新幹線のルートにした。その際、1年間運休して軌間を新幹線と同じ1435mmの標準軌に広げる工事を行った。また、全線が単線であり、上下の秋田新幹線「こまち」が途中の駅等で行き交う光景が見られる。
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[編集] 路線データ
- 管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離:盛岡~大曲 75.6km(「鉄道要覧」では起終点が逆転している)
- 駅数:19(起終点を含む。うち2は信号場)
- 軌間:1435mm
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線(交流50Hz・20,000V)
- 運転指令所:秋田輸送指令室
- 支社境:志度内信号場~大地沢信号場
[編集] 運行形態
[編集] 広域輸送
秋田新幹線ルートの一部として東北新幹線直通特急「こまち」が東京~秋田間で運行されている。詳細は、秋田新幹線を参照されたい。秋田新幹線開業以前は、盛岡~秋田・青森間の特急「たざわ」が運行されていたが、改軌工事の開始に伴って廃止された。
[編集] 地域輸送
普通列車などは、岩手県側の盛岡~雫石・赤渕間と秋田県側の田沢湖~大曲間の運転がほとんどであり、全線に渡って運転する普通列車は少ない。一方で、県をまたいでの利用客が少ないためか、県境の赤渕~田沢湖間を運転する普通列車は1日4往復と非常に少ない。各駅で宅地開発の進む盛岡都市圏の通勤通学輸送が主という路線になっている。
全線電化区間でありながら、秋田県が特急列車の運転に必要な最小限の変電所のみでよいとしたため、特急列車以外は電車化されず、永年に渡ってローカル列車は全て気動車を使用していたが、改軌工事の完成(秋田新幹線開業)時に電車化され同時に一部列車でワンマン運転を実施している。車両は専用の701系電車(標準軌仕様の5000番台。秋田車両センター所属)である。
なお、秋田新幹線が開業した際には大曲駅でスイッチバックを行って奥羽本線秋田駅へ至る方式が採られたことや、従前より普通列車については奥羽本線との直通列車を運行していなかった関係で、山形線のような愛称路線名で呼ばれず田沢湖線のままで定着している。
秋田県大仙市の全国花火競技大会開催時は、秋田新幹線「こまち」を大曲駅発着に、また盛岡駅・田沢湖駅~大曲駅間の普通列車、秋田駅~大曲駅間の直通の快速列車としてそれぞれ運転される。余談ながら後者の場合、大曲駅と秋田駅以外の駅(神宮寺駅、刈和野駅は三線軌側を利用して走行するとき以外)ではホームが無いのですべて通過するか、止まったとしても、運転停車扱いとなる。
秋田新幹線の臨時列車運行の関係で、たびたび時刻が変更される列車がある。
[編集] 歴史
盛岡と大曲を結ぶ横断線として軽便鉄道法により計画された路線である。盛岡側は橋場軽便線(はしばけいべんせん)として1922年に盛岡~橋場(現在休止(実質廃止))間が、大曲側は生保内軽便線(おぼないけいべんせん)として1923年に大曲~生保内(現在の田沢湖)間が開業した(1922年に軽便鉄道法の廃止により、それぞれ橋場線(はしばせん)、生保内線(おぼないせん)と改称されている)。
昭和に入り、橋場~生保内間が生橋線として着工されたが、生保内~志度内(現在の志度内信号所付近)間の路盤が出来た時点で戦争の激化により中止され、1944年には橋場線の雫石~橋場間が不要不急線として休止(実質廃止)となってしまった。レールは取り外されて、釜石線の建設に使われた。
戦後、両線を結ぶ鉄道の建設運動が再び起こった。1964年に橋場線(初代)雫石~橋場を復活させる目的であったが、復活扱いでは予算がつきにくいことを考えた盛岡鉄道管理局は、盛岡~赤渕間を「新線建設」として本社の承認を得たため、休止中の雫石~橋場間を含む橋場線と、新線として建設された橋場線盛岡~赤渕間が併存する形となった。休止中の生橋線のルートは橋場~生保内間から雫石~生保内間に変更され(休止した雫石~橋場間の途中の赤渕と志度内を結ぶ短絡ルートとなった)赤渕~橋場間は放棄されたが、正式に廃止はされなかった。1966年に全通し、田沢湖線と改称された。全通後も、比較的地味な地方交通線であったが、1982年の東北新幹線盛岡開業に伴って、盛岡~秋田間の連絡ルートとして電化工事が行なわれ、新幹線接続特急「たざわ」が運行を開始した(このとき電化工事のため、赤渕~田沢湖間でバス代行運転が約1年間行われた)。
その後、東京~秋田間のミニ新幹線構想が浮上し、そのルートの一部として約1年間の列車の運行停止を行い、新幹線と同じ軌間1435mmに改軌が行なわれ、1997年に秋田新幹線が開業。新在直通特急「こまち」が運行を開始した。
[編集] 橋場線
- 1921年6月25日 【開業】橋場軽便線 盛岡~雫石(16.0km) 【駅新設】大釜、小岩井、雫石
- 1922年7月15日 【延伸開業】雫石~橋場(7.7km) 【駅新設】橋場
- 1922年9月2日 【線名改称】橋場線
- 1944年10月1日 【一部休止】雫石~橋場(-7.7km) 【駅休止】橋場
- 1964年9月10日 【延伸開業(旅客営業のみ)】雫石~赤渕(6.0km) 【駅新設】春木場、赤渕
[編集] 生保内線
- 1921年7月30日 【開業】生保内軽便線 大曲~角館(16.8km) 【駅新設】羽後四ツ屋、羽後長野、角館
- 1921年12月11日 【延伸開業】角館~神代(6.0km) 【駅新設】神代
- 1922年9月2日 【線名改称】生保内線
- 1923年8月31日 【延伸開業】神代~生保内(12.7km) 【駅新設】刺巻、生保内
- 1955年7月10日 【駅新設】生田
- 1960年4月1日 【駅新設】鑓見内
- 1965年11月21日 【駅新設】北大曲、鶯野
- 1966年10月1日 【駅名改称】生保内→田沢湖
- 1966年10月19日 無煙化(C11)
[編集] 全通以後
- 1966年10月20日 【延伸開業】赤渕~田沢湖(18.1km) 【線名改称】田沢湖線(橋場線に生保内線を編入し改称) 【信号場新設】大地沢、志度内
- 1982年4月1日 【貨物営業廃止】全線
- 1982年11月15日 【電化】全線(交流50Hz・20kV)
- 1987年4月1日 【承継】東日本旅客鉄道(第1種)
- 1996年3月30日 【運休】改軌工事のため列車運休。同線バス代行(羽後交通、岩手県交通、JRバス東北盛岡支店)。
- 1997年3月22日 【改軌】1067mm→1435mm(全線) 「秋田新幹線」運行開始
[編集] 駅一覧と接続路線
- この書体は列車交換設備がない駅。
- 「こまち」停車駅は列車項目を参照のこと。なお、普通列車は全ての駅に停車するため、省略。
駅名・施設名 | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
盛岡駅 | 0.0 | 東日本旅客鉄道:東北新幹線、東北本線、山田線 いわて銀河鉄道:いわて銀河鉄道線 |
岩手県 | 盛岡市 |
大釜駅 | 6.0 | 岩手郡滝沢村 | ||
小岩井駅 | 10.5 | |||
雫石駅 | 16.0 | 岩手郡雫石町 | ||
春木場駅 | 18.7 | |||
赤渕駅 | 22.0 | |||
大地沢信号場 | (28.6) | |||
志度内信号場 | (34.4) | 秋田県 | 仙北市 | |
田沢湖駅 | 40.1 | |||
刺巻駅 | 44.4 | |||
神代駅 | 52.8 | |||
生田駅 | 55.3 | |||
角館駅 | 58.8 | 秋田内陸縦貫鉄道:秋田内陸線 | ||
鶯野駅 | 61.6 | 大仙市 | ||
羽後長野駅 | 64.6 | |||
鑓見内駅 | 67.9 | |||
羽後四ツ屋駅 | 70.2 | |||
北大曲駅 | 72.0 | |||
大曲駅 | 75.6 | 東日本旅客鉄道:奥羽本線 |