甲斐善光寺
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甲斐善光寺 | |
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本堂(重要文化財) |
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所在地 | 山梨県甲府市善光寺3-36-1 |
位置 | 北緯35度39分57.53秒 東経138度35分34.4秒 |
山号 | 定額山 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 善光寺式阿弥陀三尊(秘仏、重要文化財) |
創建年 | 永禄元年(1558年) |
開基 | 武田信玄 |
正式名 | 定額山 浄智院 善光寺 |
別称 | 甲斐善光寺、甲州善光寺、甲府善光寺 |
札所等 | 甲斐百八霊場1番 |
文化財 | 本堂、山門、銅造阿弥陀三尊像ほか(重要文化財) 絹本著色浄土曼荼羅図ほか(県指定文化財) |
甲斐善光寺(かいぜんこうじ)は山梨県甲府市善光寺にある浄土宗の寺院。山号は定額山(じょうがくざん)。詳しくは定額山浄智院善光寺(じょうがくざんじょうちいんぜんこうじ)と称する。長野県長野市にある善光寺をはじめとする各地の善光寺と区別するため甲斐善光寺(かいぜんこうじ)と呼ばれることが多く、甲州善光寺(こうしゅうぜんこうじ)、甲府善光寺(こうふぜんこうじ)とも呼ばれている。
目次 |
[編集] 起源と歴史
永禄元年(1558年)、戦国武将武田信玄によって創建された。信玄は越後の上杉謙信との間で現在の長野県長野市南郊において川中島の戦いを行うがこの際信濃善光寺に戦火が及ぶことを恐れた信玄が、自分の領地である甲斐のこの地に本尊などを移したのだといわれている。全部で五回あった川中島の戦いのうち二回目のものが直接の動機となっており、最初の移転地は現在の長野県東御市であったがその後甲斐国内の法城寺を経てこの地に移された。この地が移転先に選ばれたのはこの附近に信濃善光寺の由来にかかわりのある本田善光についての伝説があるからだといわれており、今でも甲斐善光寺の北1キロメートルほどの場所には本田善光の墓とされる「善光塚」がある。
[編集] 伽藍
- 本堂 - 当初永禄8年(1565年)に完成し桁行およそ50メートル、梁間がおよそ22メートル、高さがおよそ23メートルと信濃善光寺のものとほぼ同じくらいの大きさであったが宝暦4年(1754年)2月の火災によって失われ、現在の本堂は寛政8年(1796年)8月に再建されたものである。善光寺に特有の撞木造で、桁行がおよそ38メートル、梁間はおよそ23メートル、高さが26メートルと最初のものに比べると規模は小さくなっているがそれでも東日本においては最大級とも言われる木造建築物である。昭和30年(1955年)6月22日に重要文化財に指定された。
- 山門 - 本堂とともに焼失したがのちに再建され現在のものは桁行およそ17メートル、梁間およそ7メートル、棟高およそ15メートルとなっている。門の両脇には未完成の金剛力士(仁王)像が祀られている。山門も本堂と同日に重要文化財に指定された。
現在の本尊は銅造阿弥陀三尊像である。これはかつての本尊の前立像であったが、この本尊が信濃善光寺に再度移されるにあたって新しく本尊とされたと伝わり、昭和48年(1973年)6月6日に重要文化財に指定された。秘仏であるが平成9年(1997年)からは7年毎に開帳が行われることとなった。
重要文化財としてはそのほかに、文禄年間に当地を治めていた浅野長政が、それぞれ現在の甲府市中心部の光増寺と現在の韮崎市の大仏堂から移したものと伝わる木造阿弥陀三尊像2組がある。これらは明治39年(1906年)、重要文化財(当時の国宝)に指定されている。
当寺は以上のほかに山梨県指定文化財4件(絹本著色浄土曼荼羅図、銅製梵鐘、現存最古のものとされる木造源頼朝像、絹本著色善光寺如来絵伝)、甲府市指定文化財8件(加藤光泰墓、木造法然上人坐像、木造蓮生法師坐像、木造玄和居士坐像、木造本田善光坐像、木造本田善光夫人坐像、現存最古の木造源実朝坐像、麻布朱地著色地蔵十王図)を有するなど多数の文化財を所有している。これらの文化財の一部は境内に昭和57年(1982年)に建てられた宝物館で公開されている。
[編集] 文化財
[編集] 重要文化財(国指定)
- 本堂 附:厨子1基・棟札2枚 棟札によれば寛政元年(1789年)の上棟。竣工は寛政8年(1796年)と伝える。
- 山門 附:棟札1枚 棟札によれば明和4年(1767年)の上棟
- 銅造阿弥陀如来及両脇侍立像:建久6年(1195年)銘
- 木造阿弥陀如来及両脇侍像:12世紀前半
- 木造阿弥陀如来及両脇侍像:12世紀前半
[編集] 山梨県指定有形文化財
- 木造源頼朝坐像:胎内背面に文保3年(1319年)墨書銘あり、最古の頼朝像
- 絹本著色浄土曼荼羅図 一幅:鎌倉時代製作
- 絹本著色善光寺如来絵伝 二幅:15世紀後半作と推定
- 銅鐘:正和2年(1313年)鋳造
[編集] 甲府市指定文化財
- 木造法然上人坐像:鎌倉時代末期作と推定
- 加藤光泰墓:文禄2年(1593年)死去
- 木造蓮生法師坐像
- 木造玄和居士坐像
- 木造本田善光坐像
- 木造本田善光夫人坐像
- 木造源実朝坐像:鎌倉時代末期作と推定、最古の実朝像
- 麻布朱地著色地蔵十王図 一幅
[編集] 所在地
山梨県甲府市善光寺3-36-1
[編集] 交通アクセス
鉄道利用の場合東日本旅客鉄道(JR東日本)中央本線の酒折駅または東海旅客鉄道(JR東海)身延線の善光寺駅下車。後者の近くからは全長およそ500メートルの参道が伸びている。自動車利用の場合は中央自動車道の一宮御坂インターチェンジまたは甲府昭和インターチェンジからが近い。
[編集] 参考文献
- 吉原浩人『ものがたり甲斐善光寺』戎光祥出版,2003.