稲葉泰通
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稲葉 泰通(いなば やすみち、享保15年(1730年) - 明和5年7月2日(1768年8月13日))は、豊後国臼杵藩の第9代藩主。父は第8代藩主・稲葉菫通(泰通は長男)。母は河合氏。正室は牧野貞通の娘。官位は従五位下、能登守、右京亮。
幼名は万治郎。初名は稲葉治通。元文2年(1737年)、父の死去により後を継ぐが、翌年には藩内の領民の多くが逃散し、寛保・寛延年間には大火と風雨による災害が相次いで藩内は大被害を受け、その復興費による出費が莫大なものとなった。おまけに幕命による手伝い普請も相次いで藩財政は窮乏化の一途をたどった。このような中で明和5年(1768年)7月2日、39歳で死去し、後を子の稲葉弘通が継いだ。墓所:東京都港区高輪の東禅寺。
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