第35回NHK紅白歌合戦
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第35回NHK紅白歌合戦は、1984年12月31日にNHKホールで行われた、通算35回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHKで生放送された。
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[編集] 概要
- この年の5月12日よりNHKが放送衛星「ゆり2号a」によるアナログ試験放送を開始、BSのアンテナとチューナーさえあれば山間部や島部の難視聴地帯でも生放送で視聴出来るようになった。
- 引退を表明していた都はるみの最後の舞台ということで、非常な注目を集めた。都は「夫婦坂」を歌い、大トリを務めた。結果的に、この回の平均視聴率は78.1%、瞬間最高視聴率は84.0%(共にビデオリサーチ調べ、関東地区)であった。ちなみに、翌年の第36回以降、平均視聴率は70%を越えておらず、減少傾向にある。
- 都のステージは異様なほどの興奮に包まれ、いまだに語り継がれる。歌唱後、会場からは「アンコール、アンコール…」の声が鳴り響いた。白組司会を務めていた鈴木健二アナウンサーは、都に同意を求め、紅白史上初のアンコールが行われた。都の代表曲「好きになった人」であったが、本人は涙で声が詰まってほとんど歌えず、他の歌手たちが都を囲んで合唱した。
- 司会の逸脱が過ぎるとの批判も受けたが、段取りについて、鈴木本人やスタッフは周到に計画していたという。ただし、鈴木のせりふは台本になく、本人自身の言葉であった。「私に1分間時間を下さい」の句を含むスピーチは、放送史上に残るもので、次の通りである。
-
- (「夫婦坂」の歌唱が終わり、会場からの拍手と歓声、「アンコール…」の声)みなさん、みなさん、ご静粛に願います。みなさん、ご静粛に願います、私の話を聞いてください! はるみさんのために拍手と涙をありがとうございました。全国の家庭でもおそらくこういう光景があろうかと思います。その拍手と涙は、はるみさんのアンコールを期待してる声だと私は理解いたします。(会場からの拍手)しかしですみなさん、みなさん! 私どもはいつもそのことをはるみさんにお願いしました。しかしはるみさんは今の「夫婦坂」で燃え尽きたいとそうおっしゃって、すべてを拒否なさいました。練習もしてません。キーも合わせてありません。ということはプロ歌手としては歌わないということです。しかしです、私に1分間時間を下さい! 今、交渉してみます。交渉してみます、ちょっと待ってください!(都に鈴木が駆け寄る)はるみさん、はるみさん、あなたが燃え尽きたのはよくわかる。だけどもこういう状態です。1曲歌う気力がありますか?(都の了承が得られないまま、「好きになった人」の演奏が始まる)1曲歌う気力がありますか? お願いします、お願いします。いい、いかがですか?(都が小声で「はい」と返事をする)お待たせしました! これが都はるみさんの最後の曲です。皆さんどうぞ一緒に歌ってあげてください。練習もしてない、その点どうぞご容赦願います。お許しください、どうぞ! さあ、はるちゃんいこう!(「好きになった人」の1番が始まる)
- 異様な雰囲気の中で、総合司会の生方惠一が「ミソラ(美空ひばり)……都はるみさん」と失言し、週刊誌などに「ミソラ発言」としてバッシングを受けた(生方は翌年春にNHKを退職)。生方の証言によれば、生方自身は台本に自筆で「まだまだ、たくさんの拍手を、はるみさんに送りたいところですが」と書き込んでいた。ところが、直前に「ここは、はるみさんではなく、フルネームでなければいけない」と考えた。これが「とちり」の伏線だったという(「朝日新聞」1991年6月13日)。
- 高田みづえも、大相撲で当時大関の若嶋津の結婚を機に、歌手活動引退を噂された時期であった。都はるみと同様に、高田も紅白出場はこの回を最後と密かに決意、「秋冬」の歌唱中に感極まり、思わず涙ぐむシーンが見られた。翌1985年に高田と若嶋津は結婚式を挙げ、高田は芸能界を引退した。
- 細川たかしは、「浪花節だよ人生は」(日本レコード大賞最優秀歌唱賞)の冒頭で「肩を抱かれて……」と歌い出して間違いに気づき、歌唱中に「あれっ、すいません、歌詞間違ってごめんなさい」と笑顔で謝ったところ、かえって喝采を受けた。生方のケースとは対照的であった。細川は間奏・後奏でも「どうもすいませんでした」と繰り返し謝った。細川の回想によれば、「『どうもすいません、間違えました』と言ったら会場がどっと明るくなって、それからふつうの人間は倒れるんだけど、立ち直って全部歌ってしまった」とのことである(NHK「紅白名場面!感動熱唱編」1995年12月12日放送)。細川はその後、同曲を2006年の紅白で歌った際も歌詞をとちり、「この曲には魔物がすんでいる」と語っている(「デイリースポーツ」2007年1月1日ほか)。
- 「浪花節だよ人生は」は、細川たかしと水前寺清子とがそれぞれ歌った。同じ年に同じ曲を別の歌手が歌うのは紅白史上初であった(1974年の紅白で森進一と島倉千代子が共に「襟裳岬」を歌っているが、これらは別の曲)。
- この第35回の金杯・銀杯の授与は、それぞれトリを務めた都はるみに金杯、森進一に銀杯と決定した。
- この年に「ミス・ブランニュー・デイ」で出場を確約されていたといわれるサザンオールスターズが直前になって落選。以後紅白を辞退し続け、この年から自身で年越しライブを行うようになり、現在のアーティスト自身によるオリジナルの年越しコンサートの走りとなった。
[編集] 司会者
[編集] 演奏
- ステージ:ダン池田とニューブリード・東京放送管弦楽団(指揮 ダン池田)
- オーケストラボックス:豊岡豊とスウィング・ウエスト・東京放送管弦楽団(指揮 豊岡豊)
[編集] 審査員
- 江上由美(バレーボール選手)
- 釜本邦茂(ヤンマーディーゼルサッカー部監督)
- 名取裕子(女優)
- 風間杜夫(俳優)
- 石井幹子(照明デザイナー)
- 連城三紀彦(作家)
- 里中満智子(漫画家)
- 衣笠祥雄(広島東洋カープ内野手)
- 松坂慶子(女優)
- 市川海老蔵(歌舞伎俳優)
- 菊地綜一・NHK番組制作局長
- ほか地方審査員のみなさん16名と会場審査員(NHKホールの観客全員)
[編集] 出場歌手
紅組 | 白組 | ||
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歌手 | 曲 | 歌手 | 曲 |
早見優(2) | 誘惑光線☆クラッ! | シブがき隊(3) | アッパレ!フジヤマ |
堀ちえみ(初) | 東京Sugar Town | 舘ひろし(初) | 泣かないで |
高田みづえ(7) | 秋冬 | 千昌夫(12) | 津軽平野 |
河合奈保子(4) | 唇のプライバシー | 西城秀樹(11) | 抱きしめてジルバ |
研ナオコ(8) | 名画座 | 山本譲二(4) | 奥州路 |
川中美幸(4) | ふたりの春 | 新沼謙治(9) | 旅先の雨に |
中森明菜(2) | 十戒 (1984) | 近藤真彦(4) | ケジメなさい |
松田聖子(5) | Rock'n Rouge | 郷ひろみ(12) | 2億4千万の瞳~エキゾチック・ジャパン |
水前寺清子(20) | 浪花節だよ人生は | 細川たかし(10) | 浪花節だよ人生は |
小泉今日子(初) | 渚のはいから人魚 | チェッカーズ(初) | 涙のリクエスト |
牧村三枝子(4) | 冬仕度 | 村田英雄(23) | 冬の海 |
高橋真梨子(初) | 桃色吐息 | 沢田研二(12) | AMAPOLA(アマポーラ) |
小柳ルミ子(14) | 今さらジロー | 田原俊彦(5) | チャールストンにはまだ早い |
石川さゆり(7) | 東京めぐり愛 | 芦屋雁之助(初) | 娘よ |
岩崎宏美(10) | 20(はたち)の恋 | 菅原洋一(18) | 忘れな草をあなたに |
森昌子(12) | 涙雪 | 大川栄策(2) | 盛り場おんな酒 |
島倉千代子(28) | からたち日記 | 三波春夫(27) | 大利根無情 |
八代亜紀(12) | 恋瀬川 | 北島三郎(22) | まつり |
小林幸子(6) | もしかして | 五木ひろし(14) | 長良川艶歌 |
都はるみ(20) | 夫婦坂 | 森進一(17) | 北の螢 |
[編集] 外部リンク
- NHK紅白歌合戦公式サイト
- 紅白歌合戦完全マニュアル - 視聴率など。
- Red and White Song Festival
- 紅白歌合戦出場歌手・曲目一覧
- 紅白歌合戦情報 - リンク集など
- NHK総合「紅白歌合戦」 - ビデオリサーチ。1962年(第13回)以降のテレビ視聴率を掲載。
NHK紅白歌合戦 1951 | 1952 | 1953 1月 | 1953 12月 | 1954 | 1955 | 1956 | 1957 | 1958 | 1959 |
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