臼田宇宙空間観測所
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臼田宇宙空間観測所(うすだうちゅうくうかんかんそくじょ)とは長野県佐久市臼田(旧臼田町)に、ハレー彗星観測用惑星探査機『さきがけ』・『すいせい』やその後の火星探査機『のぞみ』、小惑星探査機『はやぶさ』等の惑星探査機との通信用観測所として設置された宇宙航空研究開発機構(JAXA) 宇宙科学研究本部(ISAS(旧文部省宇宙科学研究所))の施設のこと。宇宙基幹システム本部の配下にある。
太陽系内にて観測を行っている深宇宙探査機に向けての動作指令や、探査機からの観測データの送受信を行えるよう、東洋一の大きさを誇る64mパラボラアンテナを持つ。観測員は常時待機しておらず、宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究本部との専用線ネットワークにて接続され、操作されている。
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[編集] 設立までの経緯
1986年に76年周期で回遊してくるハレー彗星の最接近が予定されており、それに合わせて欧州宇宙機関が1985年7月にジオットを、ソ連が1984年12月にヴェガ2機をハレー彗星に向かわせた。アメリカのNASAは新規衛星の打ち上げは見送ったが、それ以前に打ち上げられていた探査機である ISSE-3(その後、国際彗星探査機 (ICE) と名称を変更)を、5回の月スイングバイにより軌道修正させ、ハレー彗星に送り込むことが決まっていた。
日本においては、宇宙研究の先導的な2極(アメリカ・ソビエト連邦(現ロシア))による研究体制を見習い、新たな1極を目指そうという目標と、3極(アメリカ・ソビエト連邦・欧州)との国際協力による詳細な彗星観測の実績を得るため、旧文部省宇宙科学研究所 (現宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究本部) もまた、ハレー彗星や太陽系の各惑星の探査を目指すプロジェクト(PLANET計画)を立ち上げた。
当時、日本には人工衛星打ち上げの技術はあっても、惑星間空間への探査機投入の経験はなく、当然、アメリカのジェット推進研究所(JPL)のディープスペースネットワークような通信インフラさえ存在していなかった。しかし、探査機を操作するにも自前の通信設備が必要であり、本施設の建設につながっている。
[編集] パラボラと送受信機
本観測所のメインであるパラボラアンテナの大きさは64m。東洋一の大きさを誇る。 パラボラの利得(ゲイン)は半径の2乗に比例する。一般的な衛星軌道上通信アンテナである10mサイズと比較して40倍の利得(ゲイン)がある。
パラボラアンテナの構造は、野辺山宇宙電波観測所にある45m電波望遠鏡開発にて培われた、ホモロガス変形法を用いることによって、高い集光力を誇る。電波望遠鏡とは違いシビアな調整が必要ないため、パラボラ面の裏面にカバーをしたり、温度調整や鏡面精度の測定は行われていない。
受信用LNAは超遠距離からの微弱な電波を受信するため、液体ヘリウム冷却で極低温に冷却されていて、熱雑音を極限まで低減させている。
指令電波は8GHz帯(Xバンド)と2GHz帯(Sバンド)で行われる。 送信機器においては、
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- Xバンドは出力20kwの水冷式クライストロン(受信)
- Sバンドでは出力20kwの水冷式クライストロン2機を並列接続した40kw。(送受信)
となっている。
これらの機器は三菱電機製。
[編集] 国際協力
ボイジャー2号の天王星探査時において、天王星が北半球側での観測に適していたため、ボイジャー2号との通信の一部を受け持つことになった。現在でも、惑星間を飛行する米国・欧州の探査機の通信も担うこともある。
[編集] 周辺地区と見学
長野県佐久市臼田を設営地としたのは、周囲が山に囲まれ電波雑音レベルが低い点と、当時計画中であった新幹線や長野自動車道、建設中の中部横断自動車道などのジャンクションがあり、交通の便が良い点からである。
臼田宇宙空間観測所周辺は十石峠に近く、山菜の宝庫でもあり、春のたらの芽と蕨、秋のキノコ狩りとアケビ狩りなど四季を通じて観測員や警備関係者の食卓を潤している。
見学は昼間随時可能であり、パラボラアンテナ周辺の散策と敷地の広さを利用した太陽系モデルの展示、JAXAの資料が展示されている展示室などがある。また、見学者には無料で臼田宇宙空間観測所のパラボラアンテナを描いたJAXA UDSC 64m(裏面には臼田宇宙空間観測所 東洋一 64m)と記載されたキーホルダが、1名に1つずつ渡される。
[編集] 関連項目
[編集] その他
国立天文台及び国土地理院等において進められている、日本全土をカバーするVLBI観測計画の一部を担うことになった。
[編集] 外部リンク
- 臼田宇宙空間観測所(JAXA内)