西武バス滝山営業所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西武バス滝山営業所(せいぶばすたきやまえいぎょうしょ)は、東京都東久留米市下里の滝山団地隣接地にあり、西武バスのうち、主に東久留米駅・清瀬駅・花小金井駅を発着する、西武池袋線以南の東久留米市や清瀬市、小平市東部や武蔵野市、西東京市周辺の路線を受け持っている営業所である。1994年に田無営業所が閉鎖されたのを受けて、一部路線(主にひばりヶ丘駅・田無駅周辺)の路線については、当営業所の支所的扱いの滝山営業所西原車庫(にしはらしゃこ)を設置して統合した(残りの田無営業所担当分は上石神井営業所に移管)。また、西東京市はなバスの運行も行っている。
車庫最寄りの停留所は「滝山営業所」(車庫前および車庫内に設置)または「滝山団地」である。なお、営業所内には社員の教習所が設けられている。本項では西原車庫の路線についても説明する。
目次 |
[編集] 沿革
滝山営業所は、公団滝山団地が開設されるのに先駆けて、1968年12月1日に設置・業務開始がなされ、東久留米市における西武バスの拠点となった。1988年~89年、清瀬営業所(現・新座営業所の前身)からの路線移管が行われたほか、1994年6月16日には田無駅前にあった田無営業所の閉鎖により、滝山営業所西原車庫が田無市(現・西東京市)西原町の文華女子高校前に設置された。
西原車庫を含む現・滝山営業所管轄地域の路線の歴史は、1921年に田無自動車商会が武蔵境駅~田無駅間のバスを開業したことに始まる。同商会は、東京角筈(現在の西新宿)の桑原晴民による創業であったが、同区間にはすでに地元の本橋による乗合馬車が運行されており、両者間の激しい競争を招くこととなった。結局この競争は、翌1922年に自動車路線の営業権を本橋が譲り受けることで決着し、以後昭和初期にかけて、田無町駅(現・ひばりヶ丘駅)や前沢などへの路線延長がなされていった。
その後、本橋のバスは、1934年に西武新宿線系統の前身会社である旧・西武鉄道に買収される。旧・西武鉄道は、このときすでに鉄道線に並行する青梅街道の関~田無~花小金井間にバス路線を有していたため、これにより田無を中心に各方角へ延びる主要道路上に同社の路線が築かれることとなった。これらの路線は、終戦を経て西武自動車(現・西武バス)となってからは、田無駅前に置かれた田無営業所の受け持ちとなった。
終戦直後から1950年代にかけては、急速に路線網が拡張された時期であり、この地域では東武東上線を北限、国鉄中央線を南限として各鉄道間を結ぶ長距離路線が多数開設されていった。田無営業所では、戦前から続く武蔵境~田無~田無町線が朝霞まで延長されたほか、西の小金井街道周辺では、清瀬営業所の下で武蔵小金井~清瀬~志木線、武蔵小金井~東久留米線が開通した。また、宅地化の進行に伴って運行回数も増加し、1959年に公団ひばりが丘団地が完成すると同団地への乗り入れも開始された。
1960年代に入ってからもこの地域の宅地化は続き、古河団地や滝山団地、久留米西団地の入居が開始された。特に滝山団地の規模は大きく、同団地輸送のための新たな拠点が必要となったため、1969年に滝山営業所が開設された。一方、この頃になると、交通量の増加や踏切待ちによる渋滞の悪化で、長距離路線を中心に正常運行が困難になってきた。これにより利用者が逸走し始めたことから、一部では路線の分断や短縮などによる効率化が図られていった。
その結果、主要道路上を東京と埼玉にまたがって運行されていた長距離路線はほぼ全廃され、西武池袋線を大まかな境界として運行エリアの分断化が進むこととなった。また、田無営業所や清瀬営業所は、それぞれ田無駅、清瀬駅に隣接して立地していたが、両駅前の再開発計画に従って移転の必要が生じてきた。これらを背景として1990年代に、営業拠点の郊外への移転と管轄地域の再編成が以下のように実施された。
- 1992年12月24日に清瀬市元町にあった清瀬営業所を新座市本多に移転し、新座営業所とする。これに先駆け、1989年に田無営業所の路線のうち、ひばりヶ丘駅北口発着路線を清瀬営業所に移管。清瀬営業所の路線のうち、清瀬駅南口発着路線の武13系統を滝山営業所に移管。
- 1992年6月16日に、清瀬営業所の路線のうち、清瀬駅南口発着の清02・下里循環を滝山営業所に移管。
- 1994年に田無営業所を廃止し、田無市(現・西東京市)における新たな拠点として滝山営業所下に西原車庫を新設。(これと同時に、田無営業所の路線のうち、保谷駅発着路線は上石神井営業所に移管、残りの大部分の路線は西原車庫が継承。)
近年では、バス前面の「後乗り」表示をサボ式からペイントで出場させたり、前面行き先表示(LED表示)の「○○経由」の「経由」を省略(ex.「前沢宿・花小金井駅入口経由」表示を「前沢宿・花小金井駅入口」とする)し、見やすい表示にしようとする独自の設定を滝山・西原共に行っている。
こうして滝山営業所は、従来の滝山団地周辺路線のみを担当する営業所から、分車庫を有して都下東部地域を広く管轄する営業所へと姿を変えた。
[編集] 現行路線
[編集] 久留米線
滝山管内でも伝統ある路線で、東久留米駅から東京都道234号前沢保谷線、小金井街道を経由して運行される。後述する武21系統などの開設で便数は減ったが、東久留米市の中央部を南北に通り抜ける路線として、清瀬小金井線・武13系統(清瀬駅南口~武蔵小金井駅)とともに利用者が多い。
なお、東久留米駅西口のロータリーが完成する前は、久留51・52系統と共に駅から少し離れた「東久留米駅バスターミナル」から発着していた(詳細は東久留米駅の項目を参照)。
[編集] 滝山・久留米線
- 久留51:東久留米駅西口~東久留米郵便局~前沢宿~前沢十字路~滝山団地~(→滝山営業所→)~久留米西団地
- 久留52:東久留米駅西口~東久留米郵便局~前沢宿~前沢十字路~滝山団地~滝山営業所
武12系統とは前沢住宅まで並行し、以後は滝山中央通りを走行する。東久留米市の中心部と滝山団地を結ぶのが主な目的。久留米西団地へ伸びる久留51系統は、後述する武21系統の開設もあり、以前より便数が少なくなった。久留52系統が滝山営業所内からの発着が開始される前は、近くの滝山団地停留所が終点となっていた。
[編集] 滝山・小金井線
- 武14:久留米西団地~(←滝山営業所←)~滝山団地~団地センター~花小金井五丁目~花小金井駅入口~小金井公園西口~武蔵小金井駅(朝夜のみ運行)
- 系統番号なし:久留米西団地←滝山営業所←滝山団地←団地センター←花小金井五丁目←花小金井駅←小金井公園西口←武蔵小金井駅(小平営業所が一部担当)
- 深夜バス:久留米西団地←滝山営業所←滝山団地←団地センター←花小金井五丁目←花小金井駅←小金井公園西口←武蔵小金井駅
- 武15:滝山営業所~滝山団地~団地センター~花小金井五丁目~花小金井駅入口~小金井公園西口~武蔵小金井駅(小平営業所が一部担当)
滝山営業所と花小金井駅・武蔵小金井駅を結ぶ路線。武21系統の新設もあり、以前よりは便数が減ったが、駅から遠い滝山・久留米西両団地への足として利用者が多く、ドル箱の一つといえる路線である。1969年に滝山団地の入居開始に伴い開設された。
武15系統は滝山営業所~武蔵小金井駅間の運行であったが、武13系統(武蔵小金井駅~清瀬駅)が小平管轄となり武蔵小金井方の同系統運用車輌補充の為、武15系統の一部が小平の管轄となった。なお、小平管轄による運行区間は、滝山団地~武蔵小金井駅となり、滝山営業所には入らない。
[編集] 花小金井・滝山線
- 花01:花小金井駅~花小金井五丁目~団地センター~滝山団地~(→滝山営業所→)~久留米西団地
- 花02:花小金井駅~花小金井五丁目~団地センター~滝山団地~滝山営業所
武14・15系統や、後述する清03・03-1系統とも多くの区間で並行する路線であるが、花小金井駅と久留米西団地を結ぶ路線として多数運行される。花小金井駅は、武蔵小金井駅発着系統は小金井街道沿いの西友前からの発着(バス停名は「花小金井駅入口」)で、花小金井駅前には乗り入れないため、駅前からの利用や踏切渋滞を避けて駅へ向かう需要に応えている。2006年春に、花小金井駅北口ロータリーが整備竣工される前は、駅北口折返場に隣接して乗り場と西武バス案内所が設けられていた。それらが設置される前は、駅北口東側の郵便局前に乗り場があり、多少不便であった。
武14・15系統よりも少し遅れて開設された。
[編集] 花小金井・下里線
- 清02:清瀬駅南口~東京病院~竹丘団地~下里団地
- 清02-1:清瀬駅南口~東京病院玄関前~竹丘団地~下里団地
- 番号なし:清瀬駅南口→東京病院→竹丘団地→下里団地→全生園角→上宮→東京病院北→清瀬駅南口(下里循環)
- 清03:清瀬駅南口~東京病院~竹丘団地~下里団地~久留米西団地~滝山団地~団地センター~花小金井五丁目~花小金井駅
- 清03-1:清瀬駅南口~東京病院玄関前~竹丘団地~下里団地~久留米西団地~滝山団地~団地センター~花小金井五丁目~花小金井駅
- 番号なし:清瀬駅南口~東京病院~竹丘団地~下里団地~久留米西団地~滝山営業所
- 番号なし:清瀬駅南口~東京病院玄関前~竹丘団地~下里団地~久留米西団地~滝山営業所
清瀬市南部から東久留米市西部を経て、花小金井駅へ向かう路線。かつては、清02系統がメインであったが、1988年に清03系統が新設されて分断されていた両地区が結ばれることになった。なお、久留米西団地~滝山団地間は久留51、武14、花01系統が北側を回る(白山公園・下里三丁目経由)のに対し、清03・03-1系統は、武21系統と共に南回り(柳窪一丁目経由)になる。枝番系統は国立病院機構東京病院の正面まで乗り入れる。
[編集] 久留米錦城小金井線
- 武21:東久留米駅西口~中央公民館前~都大橋~久留米西団地~滝山団地~錦城高校前~花小金井駅入口~小金井公園西口~武蔵小金井駅
- 番号なし:東久留米駅西口~中央公民館前~都大橋~久留米西団地~滝山営業所
東久留米市の都市計画道路開通により、東久留米駅から渋滞しやすい小金井街道を避けて久留米西団地や滝山団地を結ぶ路線として、1998年1月20日に開設された。滝山団地は西半分のみ経由し、新小金井街道および東京街道を経由する。東京街道区間は、小平駅北入口発着の武16系統を振り替えて開設したもので、新小金井街道交点以西の東京街道にはバスが走らなくなった(2006年8月16日からは、立川バスが一部区間をカバーする)。
なお、開設1年足らずの1998年12月からは、西武バス初のノンステップバスが充当されており、交通不便地域だった東久留米市中西部の利便性改善にも貢献している。
近年、西武新宿線踏切を通過せずに、アンダーパスで南北を移動出来る手段の道路としての新小金井街道の自動車交通量が増えており、武21系統にて大幅なダイヤの乱れが発生する事がある。この為もあって、主なバス停には、バスロケと連動した接近表示機能付きの物が使用されている。(駅前等のターミナル以外での設置例は、珍しい)
[編集] 境線(西原車庫担当)
- 境03:ひばりヶ丘駅~谷戸~住友重機械工業前~北原住宅~田無駅~柳橋~武蔵境駅
- 田42:ひばりヶ丘駅~谷戸~住友重機械工業前~北原住宅~田無駅
- 境05:ひばりヶ丘駅←団地西友前←住友重機械工業前←北原住宅←田無駅←柳橋←武蔵境駅
- 深夜バス:ひばりヶ丘駅~団地西友前~住友重機械工業前~北原住宅~田無駅~柳橋~武蔵境駅
- 深夜バス:ひばりヶ丘駅→団地西友前→住友重機械工業前→北原住宅→田無駅
ひばりヶ丘・田無・武蔵境の3駅を最短距離で結ぶ路線。西武バスの中でも屈指のドル箱路線でもある。「谷戸経由」と案内される。谷戸新道~武蔵境通り(旧道)が繋がっていた2000年5月まではほぼ一本みちに結んでいたが、都市計画道路の完成により田無駅付近の経路が複雑化した。後述の田44・境07系統(古河団地線)とは共通運用になっており、ひばりヶ丘駅では田44・境07系統で到着した車両が境03系統になって折り返すことや、その逆も多い。田42系統は早朝・夜間のみの区間便、境05系統は夜間にひばりヶ丘駅行のみ運行し、谷戸を通らずにひばりが丘団地を経由する(谷戸小学校以北は後述する鷹22系統と同じ経路)。深夜バスは、境05系統と同一経路であり、こちらは武蔵境駅行、及び田無駅行も設定されている。
[編集] 境・ひばりヶ丘線(西原車庫担当)
- 境04:ひばりヶ丘駅~団地西友前~六角地蔵尊前~田無駅~柳橋~武蔵境駅
- 田43:ひばりヶ丘駅~団地西友前~六角地蔵尊前~田無駅
ひばりが丘団地の東側を通る路線で、前面の行先表示器には「ひばりが丘団地」の経由地表示が出る(かつては「団地経由」と表示していた)。かつては、境03系統よりも利用者が多いドル箱路線であったが、狭隘な沿線道路を通過する為、団地の建て替えによる一時的な人口減少もあり、1998年以降は中型車への置き換えがなされている。運行経路内のひばりが丘一丁目付近には狭隘なクランク路があり、田無営業所時代から西原車庫の大型車両は、短尺車(H尺、K尺)が使われてきた。この路線については中型化されたが、大型車での運行も時折行われている。田無駅付近にも一方通行路があり、中型車の機動力が生かされているが、反面中型車はツーステップ車ばかりのため、最もバリアフリー化が遅れている状況である。
[編集] 古河団地線(西原車庫担当)
- 境07:ひばりヶ丘駅~東京道~南沢五丁目~文華女子中学高校前~田無駅~柳橋~武蔵境駅
- 田44:ひばりヶ丘駅~東京道~南沢五丁目~文華女子中学高校前~田無駅
- 番号なし:ひばりヶ丘駅~東京道~南沢五丁目~文華女子中学高校前
- 番号なし:文華女子中学高校前~田無駅
- 番号なし:文華女子中学高校前~田無駅~柳橋~武蔵境駅
- 深夜バス:文華女子中学高校前←田無駅←柳橋←武蔵境駅
- 深夜バス:ひばりヶ丘駅→東京道→南沢五丁目
ひばりが丘団地北西側の東久留米市にまたがり、ひばりヶ丘・田無間では最も西に逸れる路線である。古河団地線の名称は、古河機械金属の社宅が沿線にあったことに由来する(現在は跡地がマンションになっている)。また、かつては「日本火災経由」と案内されていたが、日本火災海上が日本興亜損保になるのに先駆けて2000年10月に「日本火災前」停留所が南沢四丁目に改称したため、現在は「南沢五丁目経由」として案内されている(なお、日本興亜損保の事務所は古河団地停留所の前にある)。
1980年代半ばまでは、ひばりヶ丘駅~古河団地間の区間便(ひばり31系統)があったり、東久留米駅~田無駅の系統(田45系統)、さらに昔は田無駅と所沢駅を所沢街道経由で結ぶ系統(所沢田無線、田46系統→後年短縮等を経て、現在は所46:所沢駅東口~全生園~清瀬駅南口間を運行)もあったため、田44系統として運行する便は1980年頃は平日15回、休日は10回程度にとどまっていたが、これらの系統がいずれも田44系統に集約され、西原グリーンハイツや文華女子高校の開設による経由地の変更、さらに三和銀行や熊谷組グラウンド跡地にマンションや住宅が開発されたこと、途中の文華女子高前に西原車庫が設置されたこともあり、1990年代後半からは利用者も増加、便数もそれに合わせて増加した。そして、2006年10月1日からは田無駅~武蔵境駅間を延伸した境07系統の開設により、利便性が向上している。番号なし系統は、いずれも出入庫系統。深夜バスは入庫系統として運行するため通し運行のものはないが、武蔵境駅発の最終便は田無駅を1時32分に発車する。
[編集] 三鷹線(一部西原車庫担当)
- 鷹22:ひばりヶ丘駅~団地西友前~住友重機械工業前~北原住宅~田無町二丁目~東伏見~八幡町~武蔵野営業所~三鷹駅
- ひばり81:ひばりヶ丘駅~東京道~南沢五丁目~前沢十字路~東久留米第七小学校~滝山団地~滝山営業所
ひばりヶ丘駅と三鷹駅を結ぶ路線である。東伏見以南は鷹21系統(上石神井営業所担当、関東バスと共同運行)と並行する。1997年以降は、スロープ板付き中型ワンステップバスの限定運用になっている。ひばりヶ丘駅入口~谷戸小学校間は、境05系統の経路と同じである。西原車庫も担当するが、本来は滝山営業所の本所で担当する。ひばり81系統は鷹22系統に使用する車両が滝山営業所との間で出入庫するために設定。この系統はもとは南沢五丁目止まり(以遠回送、逆方向は文華女子高始発)だったものを営業所まで営業化したもので南沢五丁目以遠は多くの区間で独自の経路をとる。なお南沢五丁目~前沢十字路間はかつて運行されていた田46系統と同じルートを通る。
[編集] 小金井・吉祥寺線
- 吉64:花小金井駅~橋場~田無駅入口~東伏見~北裏~吉祥寺通り入口~関町南2丁目~吉祥寺駅
花小金井駅から青梅街道と吉祥寺通りを経由して運行する。田無駅入口は田無駅から歩いても近いため、ここから吉祥寺へ向かう利用者も多い。吉祥寺駅では、自社・他社含めいずれも前のり先払い方式の中で、当路線のみ中乗り後払いの整理券方式となっている。運行回数は1時間のうちに約2~3本である。西武新宿線とそう離れていない区間や他社並走区間、道路渋滞の影響を受けやすい路線だが、乗車率は良好である。
尚、2007年4月1日より、関連の上石神井営業所管轄路線と共に、「女子大入口」停留所が「東京女子大入口」へとバス停名がなされた。
[編集] コミュニティバス
[編集] 西東京市はなバス
- 第1ルート:保谷駅北口→あらやしき公園北→北町5丁目→北荒屋敷→青嵐台→あらやしき公園北→保谷駅北口(循環)
- 第2ルート:東伏見駅北口~天神山~文理台公園~保谷庁舎~保谷駅
- 第2ルート:東伏見駅北口~天神山~文理台公園~保谷庁舎
- 第3ルート:田無駅~田無庁舎前~境橋~女子学院前~東伏見~東伏見駅
- 第3ルート(向台循環):田無駅→田無庁舎前→田無高校→向台中央通り→田無庁舎前→田無駅
- 第3ルート(東伏見循環):東伏見駅→東伏見→電通裏→東伏見4丁目→東伏見駅
- 第5ルート(住吉・泉町循環):ひばりヶ丘駅→又六→保谷高校→保谷庁舎→西東京郵便局保谷分室→如意輪寺→又六→ひばりヶ丘駅
- 第5ルート:ひばりヶ丘駅~又六~如意輪寺~西東京郵便局保谷分室~保谷庁舎
詳細ははなバスを参照にされたい。
[編集] 過去の担当路線
[編集] 滝山営業所担当
- 武13(清瀬・小金井線):清瀬駅南口~前沢宿~通信住宅~花小金井駅入口~小金井公園西口~武蔵小金井駅
- 清11:清瀬駅南口~前沢宿~団地センター~滝山団地~滝山営業所
- 武16:小平駅北入口~小西~花小金井駅入口~小金井公園西口~武蔵小金井駅
- 小平駅北口から少し離れた東京街道沿いの折返場から花小金井五丁目交差点へ向かい、小金井街道に合流する。便数は廃止直前には1時間に2~3回程度であった。1998年に武21系統に一部を振り替える形で、新小金井街道から西の区間が廃止された。なお、小平駅北入口の折返場は現在も駐車場として残っている。
- 久11:清瀬駅南口~上宮~全生園前~青葉町二丁目~久米川駅
- 久米川・田無線:久米川駅~田無駅、田無駅~滝山団地
- 滝山・久米川線:久米川駅~滝山団地
[編集] 田無営業所・西原車庫担当
- 境01:東伏見駅~東伏見~女子学院前~柳橋~武蔵境駅
- 田45(田無・久留米線):東久留米駅(バスターミナル)~東久留米本町通り~住宅前~多聞寺前~火の見下~南沢十字路~東京道~古河団地~文華女子高前~田無駅
- ひばり31(古河団地線):ひばりヶ丘駅~東京道~古河団地
- 田45系統は、田44系統(古河団地線)と田無駅~東京道間で並行し、東久留米駅へ向かっていた路線。もとは田44系統よりも本数が多かったが、次第に立場が逆転し1988年に田44系統へ振り替える形で最後まで残った3往復が廃止された。ひばり31系統は、田45系統などの存在もあり、古河団地で折り返す系統として設定されていた。1980年頃は田44と便数が同数程度だったが、1985年3月に全便を田44系統に変更して廃止された。折返場は停留所前の交差点横、古河機械金属社宅の一角にあった。なお、1980年8月に廃止された田46系統(所沢田無線)は、所沢営業所の担当で、長らく平日8往復・休日6往復、廃止時には2往復であった。
- 境02(境保谷線):保谷駅~保谷市役所~田無駅~柳橋~武蔵境駅
- 田41(境保谷線):保谷駅~保谷市役所~田無駅
- 鷹21(保谷三鷹線・関東バスと共同):保谷駅~保谷市役所~柳沢駅通り~東伏見~八幡町~武蔵野営業所~三鷹駅
- 吉63(保谷線):保谷駅~保谷市役所~柳沢駅通り~東伏見~北裏~関町二丁目~吉祥寺駅
- 吉65(保谷線):保谷駅~保谷市役所~富士町~武蔵関駅入口~関町二丁目~吉祥寺駅
- ひばり71(片山線):ひばりヶ丘駅北口~別れ道~火の見下~片山小学校~東福寺~下片山~下の原入口~水道道路入口~朝霞台駅
- ひばり72(片山線):ひばりヶ丘駅北口~別れ道~火の見下~片山小学校
- 系統番号なし(片山線):片山小学校→東福寺→下片山→下の原入口→水道道路入口→朝霞台駅(1988年、新座栗原郵便局から営業扱い開始。ひばり75系統となり、朝の朝霞台駅行き・夜の栗原郵便局行き往復運行化)
- ひばり74(片山線):ひばりヶ丘駅北口~別れ道~火の見下~片山小学校~東福寺
- ひばり75(片山線):新座栗原郵便局~別れ道~火の見下~片山小学校~下片山~下の原入口~水道道路入口~朝霞台駅
ひばり73(足立新座線)以外のひばりヶ丘駅北口の路線は、かつては田無営業所が担当していた。1989年10月に、ひばり71・72は清瀬営業所に全面移管した。ひばり73系統は、現在のひばり75系統に相当するため、当表記のひばり75系統とは関係ない。ひばり72系統は清瀬移管時の1989年に平日のみの運行となり、1992年に廃止となった。
これらのほか、かつてはひばりヶ丘駅~田無駅~武蔵小金井駅や、三鷹駅~花小金井駅といった路線も存在した。
[編集] 酒気帯び検知における不祥事
2006年12月9日早朝、当営業所内における乗務前の点呼・検査(点呼者・20歳代管理代理人)にて、50歳代運転手から、社内規定を超えるアルコール濃度を検出したにも関わらず、運転手の「栄養ドリンクを飲んだので。」「うがい薬でうがいをした直後で。」と言う主張を受け入れ、そのまま営業路線バスに乗務させていた。なお、これらは事実が発覚してから3日後に発表されており批判されることとなった。
[編集] 車両など
一般路線用は、日産ディーゼル車に統一されていたが、2007年1月にいすゞ車が西原車庫に配置された。はなバス用は、クセニッツ、日野・リエッセ、日産ディーゼル・RNが使われる。貸切兼用車(用途外車)も在籍するが、混雑する路線が多いためか、座席数の多い用途外車は好まれないようだ。
滝山営業所は開設当初、日デ車が集中配置されたが、1970年代の三菱ふそう車時代を経て、再び日デ車に統一される時代が長く続いた。一方、西原車庫の前身、田無営業所は1970年代以前は日野車を主力とする営業所であり、一部は関東バスにも見られた前-後方式の扉配置となっていた。
車内放送装置は、旧田無営業所とともにテープ時代からネプチューン製を使用しており(他の営業所はクラリオン製だった)、アナウンサーや放送内容が他の営業所とは異なっていた。現在も音声合成放送装置はネプチューン製である。また、換気扇についても他営業所に多いゴールドキング製ではなく、藤森電機製作所製が使われている。
尚、2007年3月より、一部の一般車輌での運賃表示器の更新が確認されている。
カテゴリ: 西武バス | 関東地方のバス営業所 | 東京都の交通