赤染衛門
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赤染衛門(あかぞめえもん 天暦10年(956年)頃? - 長久2年(1041年)以後)は、平安時代の女房、女流歌人。中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人。
赤染時用の娘といわれているが。母がまだ前夫の平兼盛と居た頃に妊娠し、再婚先の赤染家で出産したと思われる。従って実際には赤染時用の子ではなく、平兼盛の娘であると見られる(なお、後に彼女の親権を巡って兼盛と時用の間で裁判沙汰になったが、兼盛が敗訴している)。 夫の大江匡衡(おおえ の まさひら)は文章博士として有名。赤染衛門とは、おしどり夫婦として知られる。子に大江挙周(おおえ の たかちか)、江侍従(ごうじじゅう)らがおり、挙周の孫に大江匡房(おおえ の まさふさ)がいる。
赤染衛門は、藤原道長の正妻源倫子と、その娘である上東門院彰子に仕え和泉式部と並び称された。和泉式部が情熱的な歌風なのに対して、赤染衛門は穏やかで典雅な歌風と言われる。1012年(長和元年)の夫匡衡が没した後は信仰と子女の育成に尽くした。1035年(長元8年)関白左大臣頼通歌合や、1041年(長久2年)弘徽殿女御生子歌合などに出詠している。
歌集は「赤染衛門集」。「栄花物語」の作者と目される。