坂上是則
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坂上是則(さかのうえのこれのり:生没年不詳)は、平安時代前期から中期にかけての歌人。父は坂上田村麻呂の三男の坂上浄野(次男の坂上広野ともいう)の孫の坂上好蔭。子に「梨壺の五人」の一人で「後撰和歌集」の撰者坂上望城(さかのうえのもちき)がいる。三十六歌仙の一人。
大和権少掾・少内記・大内記をへて、924年(延長2年)従五位下加賀介に至る。「寛平后宮歌合」や「大井川行幸和歌」など、宇多天皇朝から醍醐天皇朝にかけての和歌に関する行事に度々進詠し、「古今和歌集」の撰者らにつぐ歌人であった。また、歌道だけでなく、蹴鞠(けまり)にも秀でていたとも言う。
「古今和歌集」以下の勅撰和歌集に入集。家集に「是則集」がある。