藤原基俊
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藤原基俊(ふじわらのもととし:1060年-1142年1月16日)は、平安時代後期の公家・歌人。父は右大臣藤原俊家。母は高階順業(たかしなののぶなり)の娘。
藤原氏の主流である藤原北家の出身であるが、官位には恵まれず従五位上左衛門佐にとどまった。1138年(保延4年)に出家し、覚舜(かくしゅん)と称した。
歌壇への登場も遅かったが、歌合では作者のほか、多くの判者もつとめ、源俊頼とともに当時の歌壇の指導者として活躍した。漢詩文にも通じ「新撰朗詠集」を撰集している。