藤原義孝
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藤原義孝(ふじわらのよしたか、天暦8年(954年) - 天延2年9月16日(974年11月8日))は、平安時代中期の公家・歌人。父は藤原伊尹。母は惠子女王(醍醐天皇の皇子代明親王の娘)。子に三蹟の一人藤原行成がいる。中古三十六歌仙の一人。
正五位下右少将に至る。幼少の頃から仏教の信仰に篤かったが、当時流行した疱瘡(天然痘)にかかり、兄・藤原挙賢と同日に21歳の若さで没した。
「後拾遺和歌集」に入集。家集に「義孝集」がある。
- 小倉百人一首
- 50番 君がため 惜しからざりし 命さえ 長くもがなと 思ひけるかな([後拾遺和歌集」恋二669)