金原弘光
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金原弘光 | |
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基本情報 | |
本名 | |
あだ名 | UWFの智将 美獣、金ちゃん |
階級 | ミドル級 |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1970年10月5日 |
出身地 | ![]() 愛知県尾張旭市 |
現居住地 | ![]() |
スタイル | プロレス |
戦績 | |
総試合数 | 29(リングス、PRIDE HERO'S、その他) 07/3/22現在 |
総勝利数 | 11 |
KO勝ち | 4 |
一本勝ち | 3 |
判定勝ち | 4 |
総敗北数 | 17 |
KO負け | 5 |
一本負け | 3 |
判定負け | 9 |
引き分け | 1 |
無効試合 | 0 |
金原 弘光(かねはら ひろみつ、1970年10月5日 - )は、愛知県尾張旭市出身の総合格闘家、元プロレスラー。身長178cm、体重93kg。
1991年12月、UWFインターナショナルで前田雅和戦でデビュー。1992年末に開催されたジュニアリーグ戦では、高山善廣などを押さえて優勝した。同団体がタイからムエタイのコーチを招聘していたことからムエタイに傾倒。タイで幾度かの試合を経験、1996年にはK-1ルールでチャンプア・ゲッソンリットと対戦し、同時期には石井和義館長からもK-1本格参戦のラブコールを受けていた。頭脳的なファイトスタイルから「UWFの智将」と呼ばれた。その後キングダムに戦いの場を移し、1998年には前田日明が立ち上げた格闘技団体リングスの所属選手として活躍する。リングス時代は連勝記録を樹立、KOKルールに移行してからはダン・ヘンダーソン、ヒカルド・アローナ、ジェレミー・ホーン、マット・ヒューズ、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラらと激闘を展開。後にアブダビコンバットで優勝するアレッシャンドリ・カカレコには一本勝ちを収めるなどリングス最後のエースとして活躍。
2002年にリングスが解散すると、PRIDEに参戦。ヴァンダレイ・シウバとミドル級のタイトルマッチを行うが、シウバの勢いに防戦一方となり、セコンドの高阪剛のタオル投入でTKO負けとなった。その後、ミルコ・クロコップ、アリスター・オーフレイム、マウリシオ・ショーグンと戦うが全敗。
リングスのリトアニア興行やパンクラス、K-1の総合部門であるHERO'Sのリングにも上がっている。
2006年8月15日にエンセン井上がプロデュースした興行「『心』 ~Kill or be Killed~」に出場し、一本勝ちを収めたが、穿いていたスパッツの尻の部分が試合途中で破れるという前代未聞の珍事が起き、会場の笑いを誘った。
2007年3月18日にパンクラス主催大会で同団体所属のルーキー・川村亮と対戦、壮絶な殴り合いの末にKO負けを喫し、リング上であと一戦行っての引退を表明した。
[編集] 人物像
- 試合後のボヤキが多いことで有名である。例えば、ヴァンダレイ・シウバに敗れた際は、控え室への帰り際に「絶対勝てるよ」などとつぶやいていた。また、2005年にハリッド"ディ・ファウスト"に判定で敗れた際、自身のブログで判定に対する不満を書き連ねていた。
- 個性的で独特なルックスを皮肉った「美獣」というニックネームがある。
- 大の車好き。
- 矢沢永吉のファン。
- 過去、新日本プロレス学校に在籍していた。同期に天山広吉、西村修がいる。
- エンセン井上と友人であり、エンセンがプロデュースする興行にも出場した。