青嵐会
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青嵐会(せいらんかい)は、1973年、自由民主党内で派閥横断的に結成されたタカ派の衆参両若手議員31名からなる政策集団。
会名は、渾沌停滞した政界に爽やかな風を送り込もうという意味を込めて石原慎太郎が命名したと言われる。設立趣意書には「いたずらに議論に堕することなく、一命を賭して、右、実践する」とあり、結成時に血判状を捺した事で知られる。
親蒋介石の立場をとり、田中角栄首相による日中国交正常化に絶対反対の姿勢を貫き、自民党外交部会などで強硬に主張した。当時のマスコミからは「自民党の右翼集団」などと叩かれ、その思想が近いことから「福田赳夫親衛隊」などと言われることもあった。中川、石原、玉置ら、福田・岸系列に近い人間が多かったため、それらの指摘がある側面も存在する。
[編集] 結成メンバー
衆議院議員26名、参議院議員5名。(当選回数、所属派閥は当時のもの)
衆議院議員 |
参議院議員 |
[編集] エピソード
- 結成から間もなくして、中国に対する強硬論についていけず、山崎拓が中川の度重なる説得にも翻意せず脱会し、それに続いて野田毅、綿貫民輔、内海英男ら離脱者が相次いだ。
- 1979年に解消。中川は石原ら一部のメンバーと青嵐会の意志を引き継いだ中川派を結成した。