鳥人間コンテスト選手権大会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鳥人間コンテスト選手権大会(とりにんげんコンテストせんしゅけんたいかい、JAPAN INTERNATIONAL BIRDMAN RALLY)はytv主催による人力飛行機の滞空距離を競う競技会。参加団体や関係者からはしばしば省略して鳥コンとも呼ばれる。司会は以前は桂三枝が務めていたが、2002年からは今田耕司が担当している。
1977年に第1回大会が開催された。以降、毎年7月に滋賀県彦根市の琵琶湖を舞台に開催され、その模様はytv制作・日本テレビ系列全国ネットで特別番組として放送されている。
目次 |
[編集] ルール
大会のルールは毎回少しずつ改定されている。毎年、公式ルールブックが発行されており、その年のルールに従って大会が行われる。発進時の規定、プラットフォームの標準数値、競技エリア、機体に対する制限などが詳細に定められている。
なお、危険な飛行と審査員が判断した場合は飛行距離に関係なく失格となる。
初期はハンググライダーの改良型程度だった参加機も徐々に高性能化が進み、新型機の登場や大記録が出るとその都度ルールの改定が行われている。
従来はプラットフォームから着水地点までの距離が記録となっていたが、第27回(2003年)に人力プロペラ機部門で日本大学理工学部のサークル、航空研究会のMove22(メーベ)が約34kmという現会場での事実上の限界記録(松原水泳場→琵琶湖大橋間)が出たため、翌年の第28回(2004年)からはルールが変更され、18kmで折り返しすると決められた。大音響のサイレンが鳴るとパイロットに折り返しせよと号令される(是により最大・往復で36㎞が期待出来る)。
[編集] 大会の競技部門
人力飛行機の技術開発の進展や番組の放送形態の変化に伴い、競技部門は開催年度によって大きく変化している。
- 第1回: 競技部門(飛距離を競う)のみ
- 第2~9回: 競技部門、コミックエントリー(飛距離を競わず、面白い飛び方を競う)
- 第10~11回: 滑空機部門、人力プロペラ機部門、女性パイロット部門、コミックエントリー(第11回は中止)
- 第12~14回: 滑空機部門、人力プロペラ機部門、女性パイロット部門
- 第15~18回: 滑空機部門、人力プロペラ機部門
- 第19~20回: 滑空機部門、人力プロペラ機部門、レディース部門
- 第21~23回: 滑空機部門、人力プロペラ機部門、チャレンジ部門(飛距離だけでなく機体デザイン・コンセプトなどを総合的に競う)
- 第24回: 滑空機部門、人力プロペラ機部門
- 第25~27回: 滑空機部門、人力プロペラ機部門、人力ヘリコプター部門(第25回は参考競技)
- 第28~29回: 滑空機部門(フォーミュラクラス / オープンクラス)、人力プロペラ機部門
- 第30回: 滑空機部門(フォーミュラ / オープン混合)、人力プロペラ機ディスタンス部門、人力プロペラ機タイムトライアル部門
※第28回(2004年)から、滑空機部門については機体の制限値がある「フォーミュラ」とそれがない「オープン」の2つのクラスに分けて行う。
※人力ヘリコプター部門については、プラットフォームから安全な離陸ができない恐れも考慮し、第27回(2003年)をもって一旦廃止された。
※人力プロペラ機部門では第27回(2003年)で30km以上の限界点を達した為、第29回(2005年)からは2箇所の折り返し地点が導入され最大50 km前後のビッグフライトが期待される。当初は前年第28回(2004年)でのルール変更の予定だったが、天候不良により競技不成立だったので、事実上この回からのルール変更となる。
※人力プロペラ機タイムトライアル部門は所定のコースをフライトするのにかかった時間を競うもので、上記の点で大会新記録が到底不可能を理由により第30回(2006年)において初めて実施された。
[編集] 司会者・リポーター
- 桂三枝
- 長嶋一茂
- 今田耕司: 第26回(2002年)~
- 堀江しのぶ: 第11回(1987年)
- 宇江佐りえ: 第12回(1988年)
- 冴木杏奈: 第13回(1989年)
- 大沢逸美: 第14回(1990年)
- 篠原涼子: 第19回(1995年)
- 佐藤藍子: 第21回(1997年)
- 山田まりや: 第22回(1998年)
- 辺見えみり: 第23回(1999年)
- 菊川怜: 第24回(2000年)
- 上原多香子・佐藤江梨子: 第25回(2001年)
- 後藤理沙・山川恵里佳: 第26回(2002年)
- 乙葉・藤崎奈々子: 第27回(2003年)
- 石川亜沙美: 第28回(2004年)
- ユンソナ: 第29回(2005年)
- 安めぐみ・長谷川理恵: 第30回(2006年)
- リポーター
- 実況・解説・ナレーター・レポーター
[編集] 歴史
- 1977年 第1回大会を開催(近江八幡市・宮ヶ浜水泳場)、『びっくり日本新記録』内で放送
- 1980年 会場を彦根市・松原水泳場に移す
- 1986年 滑空機部門と人力プロペラ機部門を分離
- 1988年 強風のため人力プロペラ機部門が中止
- 1989年 前年に続き人力プロペラ機部門が中止
- 1990年 今度は滑空機部門が強風のため中止
- 1997年 台風直撃のため初の競技全面中止
- 1998年 2日間開催に移行
- 2004年 人力プロペラ機部門が天候不良のため競技不成立(事実上中止)
[編集] 大会記録の変遷
[編集] 滑空機部門
第10回記念大会(1986年) | 158.38 m | 柴野敏彦(POINT ONE MILE) |
第11回大会(1987年) | 176.71 m | 木島明良(茂原市フリーフライト) |
第12回大会(1988年) | 261.90 m | 糸谷浩(西富士友の会) |
第13回大会(1989年) | 205.10 m | 佐々木正司(TOA鳥人間の会) |
第14回大会(1990年) | 記録なし | ※台風の影響で強風のため中止 |
第15回大会(1991年) | 318.75 m | 木島明良(フリーフライト) |
第16回大会(1992年) | 232.08 m | 中村克(チームエアロセプシー) |
第17回大会(1993年) | 248.31 m | 栗野けんじ(東京都立大学人力飛行機研究会) |
第18回大会(1994年) | 329.83 m | 佐々木正司(TOA鳥人間の会) |
第19回大会(1995年) | 274.72 m | 佐々木正司(TOA鳥人間の会) |
第20回大会(1996年) | 300.36 m | 佐々木正司(TOA鳥人間の会) |
第21回大会(1997年) | 記録なし | ※台風9号の直撃のため、大会史上初の全面中止 |
第22回大会(1998年) | 364.08 m | 福森啓太(チームハマハマ) |
第23回大会(1999年) | 345.92 m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) |
第24回大会(2000年) | 256.53 m | 雨宮健一(夜鳥の会) |
第25回大会(2001年) | 417.49 m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) |
第26回大会(2002年) | 414.33 m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) |
第27回大会(2003年) | 420.48 m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) |
第28回大会(2004年) | 173.26 m | 阿知波哲史(チームTINKER) |
第29回大会(2005年) | 370.80 m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) |
第30回大会(2006年) | 258.21 m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) |
[編集] 人力プロペラ機部門
第10回記念大会(1986年) | 512.20 m | 田中紀彦(チームエアロセプシー) |
第11回大会(1987年) | 435.56 m | 上田稔(日本大学理工学部航空研究会) |
第12回大会(1988年) | 記録なし | ※午後から強風のため中止 |
第13回大会(1989年) | 記録なし | ※台風の影響で強風のため中止 |
第14回大会(1990年) | 1810.54 m | 小林稔(日本大学理工学部航空研究会) |
第15回大会(1991年) | 500.20 m | 阪本佳久(日本大学理工学部航空研究会) |
第16回大会(1992年) | 2019.65 m | 中山浩典(チームエアロセプシー) |
第17回大会(1993年) | 2180.78 m | 野呂元紀(日本大学理工学部航空研究会) |
第18回大会(1994年) | 2371.65 m | 宮脇康成(日本大学理工学部航空研究会、日大バードマンOBチーム) |
第19回大会(1995年) | 8764.00 m | 中山浩典(チームエアロセプシー) |
第20回大会(1996年) | 9761.56 m | 中尾誠(大阪府立大学堺風車の会) |
第21回大会(1997年) | 記録なし | ※台風9号の直撃のため、大会史上初の全面中止 |
第22回大会(1998年) | 23688.24 m | 中山浩典(チームエアロセプシー)※大会初の琵琶湖横断に成功 |
第23回大会(1999年) | 4913.46 m | 大倉彰浩(大阪府立大学堺風車の会) |
第24回大会(2000年) | 7945.85 m | 嘉藤伸一(大阪府立大学堺風車の会) |
第25回大会(2001年) | 3823.70 m | 成相健太郎(東京工業大学Meister) |
第26回大会(2002年) | 6201.74 m | 梶原聖太(東京工業大学Meister) |
第27回大会(2003年) | 34654.10 m | 平綿甲斐(日本大学理工学部航空研究会)※琵琶湖大橋まで到達 |
第28回大会(2004年) | 944.11 m(参考記録) | 渡邊峰生(早稲田大学宇宙航空研究会WASA)※18チーム中半数が天候不良でフライトできず、競技不成立 |
第29回大会(2005年) | 22813.05 m | 田中丸真輔(日本大学理工学部航空研究会)※初の折り返し成功 |
第30回大会(2006年) | 28628.43 m | 宮内空野(東北大学Windnauts) |
[編集] 人力プロペラ機タイムトライアル部門
第30回大会(2006年) | 7分2秒61 | 中山浩典(チームエアロセプシー)※唯一の完走者 |
[編集] 人力ヘリコプター部門
第25回大会(2001年) | 6秒30 | 上岡健治(東大阪青年会議所トライズ)※参考競技 |
第26回大会(2002年) | 4秒07 | Rodney Bordallo(東大阪青年会議所トライズ) |
第27回大会(2003年) | 2秒89 | 西山雅也(ドボン会) |
[編集] テレビ放送
これらの模様は、ytv制作・日本テレビ系列全国ネットの『木曜スペシャル』→『スーパースペシャル』→『THEスペシャル!』で放送されてきた。定時のスペシャル番組枠終了後も、毎年秋の番組改編時期に単発特番として放送される。番組VTR送出は通常はよみうりテレビからとなっているが、過去数回、日本テレビから番組VTR送出を行っていたこともある(放送前にytvからの放送素材を日本テレビで受けて収録したのと提供クレジットテロップ表示が日本テレビから出しているため)。
なお、2007年に3年ぶりとなる単発番組枠(「モクスペ」)が、木曜夜7時~8時54分に再設されることになり、同じytvが番組制作されている「ベストヒット歌謡祭」と同時にこれまでの秋の特別番組からこの枠での放送へと移行される可能性がある。
[編集] 特記事項
- この大会には多くの芸能人がパイロットとして出場している。
- パイロットではないが、宇宙飛行士の若田光一も第11回(1987年)~第13回(1989年)に九州大学チームの一員として参加している。
- 第30回(2006年)にはイメージテーマソングとして森山直太朗の「風になって」を起用した。また、この大会の放送は日本テレビ枠の『ぐるナイ』と『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』を休止して9月22日の夜7時~8時54分に放送した(クレジットと提供読みは日本テレビの担当)。
- 2006年に30回を迎えたことを記念して、『鳥人間コンテスト 30th ANNIVERSARY DVD-BOX』が10月6日に発売された。