鳳蘭
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鳳 蘭(おおとり らん、1946年1月22日 - 兵庫県神戸市出身)は、元宝塚歌劇団星組男役トップスターでミュージカル女優。愛称ツレちゃん。身長170㎝、血液型A型。 もともとは中国籍で,本名は 荘芝蘭(ツエン・ツウレン)であったが、近年日本国籍取得、現在の戸籍名は荘田蘭 (しょうだ・らん)である。
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[編集] 略歴
- 神戸中華同文学校卒業後、1962年に宝塚音楽学校に入学。同期生に汀夏子、大原ますみ。
- 1964年に宝塚歌劇団に50期生として入団。『花のふるさと物語』で初舞台。
- 1970年、『僕は君』で星組トップスター就任。
- 1976年の『ベルサイユのばらⅢ』にはフェルゼン役で出演。
- 1977年の『風と共に去りぬ』のレット・バトラー役、1978年の『誰がために鐘は鳴る』のロバート・ジョーダン役など大役を次々に演じた。
- 専科に移動した後、1979年『白夜わが愛』(作・演出植田紳爾、原作五木寛之『朱鷺の墓』より)を最後に退団。
[編集] 宝塚時代のスター像
第1次『ベルサイユのばら』ブームの時には榛名由梨、汀夏子、安奈淳とともに「ベルばら四強」の異名をとった。
舞台では包容力にあふれ、またオフでは陽気で気さくな男役スターとして絶大な人気と歌劇団屈指の観客動員力を誇り、宝塚の黄金時代をリードして一世を風靡した。
[編集] 退団後の活動
退団後はミュージカルを中心に活躍。2001年からは宝塚OG公演である狸シリーズの中心をつとめるなど、精力的に活動している。
私生活では1980年に結婚し二女をもうけるも、1986年に離婚している。
2005年、紫綬褒章を受章。
また、北京料理に造詣を持ち、関西圏を中心に展開しているフランチャイズの「北京料理 萬楽」のオーナーをやっている。関西圏では、餃子の王将・百楽・中央軒等の老舗の中華・北京料理店があり、熾烈な営業合戦を繰り広げている。
[編集] 主な舞台
[編集] 宝塚時代
- 『虞美人』(1975年)
- 『ブリガドーン』(1975年)
- 『ベルサイユのばらⅢ』(1976年)(フェルゼン役)
- 『風と共に去りぬ』(1977年)(レット・バトラー役)
- 『テームズの霧に別れを/セ・マニフィーク』(1977年)
- 『誰が為に鐘は鳴る』(1978年)(ロバート・ジョーダン役)
- 『いのちある限り』(1978年)(バウホール公演)
- 『宝花集/セ・シャルマン!』(1978年)
- 『白夜わが愛―朱鷺の墓より―』(1979年)
[編集] 宝塚退団後
- 『ファニー・ガール』
- 『スウィーニィ・トッド』(1981年)
- 『シカゴ』(1987年)
- 『王様と私』
- 『三文オペラ』
- 『東京行進曲』(1990年)
- 『ジプシー』(1991年)(ジプシーの母役)
- 『魔女の宅急便』(コキリ役)
- 『エリザベス』(1995年)
- 『レ・ミゼラブル』(1995~2001年)(テナルディエの妻役)
- 『桜祭り狸御殿』(2001年)
- 『HONK!』(2002年)(近鉄劇場)
- 『桜吹雪狸御殿』(2003年4月)
- 『新版・桜吹雪狸御殿/ボンジュール・タカラジェンヌ―ドンブラコからエリザベートまで―』(2004年)
- 『オイディプス王』(2004年)
- 『桜絵巻狸源氏/ショー・イズ・オン』(2005年)
- 『ボーイ・フロム・オズ』(2005年6月)(ジュディーガーランド役)(青山劇場)
- 『アムール・タカラヅカ』(2005年7月)(愛・地球博イベント)
- 『虹と夢と愛と~ファンタジータカラヅカ』(2005年7~8月)
- 『鳳蘭 Sweet Heartsコンサート』(2005年9月~10月)
[編集] 映画
- 『ぼくんち』(2003年)(映画初出演)
[編集] 受賞歴
- 1982年『スウィーニィ・トッド』で菊田一夫演劇賞
- 1987年『シカゴ』で日本芸術祭賞
- 1988年『レ・ミゼラブル』で都民文化栄誉特別賞
- 1990年『王様と私』で名古屋ペンクラブ賞
- 1992年『ジプシー』『ハウ・ツー・デイト』で文化庁芸術選奨文部大臣賞大衆芸能部門
- 1996年『ラ・マンチャの男』のアルドンサ役と『ラヴ』のエレン役で菊田一夫演劇大賞
- 2005年紫綬褒章受章
[編集] CM
- サントリー 赤玉パンチ(1977年~1979年)
※当時サントリーが宝塚歌劇団のスポンサーだったこともあり、退団するその年まで同製品のCMに出演していた。(今でも古書店でその当時発売された「歌劇」の閉じ表紙にその広告が載っている。)