鴻上尚史
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鴻上尚史(こうかみ しょうじ、1958年8月2日 - )は、愛媛県新居浜市出身の劇作家・演出家。劇団「第三舞台」主宰。2001年より劇団活動を10年間封印することを宣言し、現在はプロデュースユニット「KOKAMI@network」を中心に活動している。ホリプロ所属。日本劇作家協会理事、日本劇団協議会理事を務めている。
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経歴
演劇活動
愛媛県立新居浜西高等学校を卒業後、早稲田大学法学部に入学し、早稲田大学演劇研究会に所属する。在学中の1981年に岩谷真哉、大高洋夫らと劇団第三舞台を結成、旗揚げ公演として、ベケット作『ゴドーを待ちながら』と、当時流行していたルービックキューブをモチーフに『朝日のような夕日をつれて』を作・演出、大隈講堂裏の特設テントで上演した。『朝日~』に加えて、『宇宙で眠るための方法について』『プラスチックの白夜に踊れば』は、世界の終焉というゆるい主題の連関をもち鴻上自身により「核戦争三部作」と呼ばれる。
1983年、シアターグリーン主催のシアターグリーンフェスティバルに『朝日のような夕日をつれて’83』で参加、これが最初の劇場公演となる。口コミで人気が広まり、公演の度に着実に観客動員数を増やし、次第にマスコミにも取り上げられザ・スズナリなどに進出していく。その作風は、その時々の風俗を取り入れた軽妙な台詞のやり取り、流行の音楽を多用しダンスを取り入れた舞台進行、速い場面の移り変わり、作品全体を覆う虚無感と閉塞感により「明るい虚無」といわれる。
劇団への注目が高まる中、大高洋夫が就職により一時舞台を離れたり(『リレイヤー』の解散した劇団という設定はこの時の状況を反映したものである)、岩谷真哉のバイク事故死などの困難を経るが、1985年1月紀伊國屋ホールで『朝日のような夕日をつれて '85』の上演を成功させ、同年早稲田大学演劇研究会を離れ劇団を会社化してプロ化へ乗り出す。1986年の『デジャ・ヴュ’86』で初の大阪公演を行う。小劇場ブームと相まって、チケット即日完売、大入り満員の超人気劇団へと成長を遂げる。
1994年に上演した『スナフキンの手紙』で、翌1995年には岸田國士戯曲賞を受賞。1997年に文化庁の芸術家在外派遣研修制度でロンドンに1年間留学して俳優教育法を学ぶ。帰国後活動を再開するが、2001年の『ファントム・ペイン』をもって第三舞台の活動を10年間封印(停止)した。2003年には新国立劇場制作で『ピルグリム』を再演した。
2005年には蜷川幸雄演出『KITCHEN』に俳優として出演した。
ラジオ
演劇活動のかたわら、1983年10月15日から1985年3月30日までニッポン放送のラジオ深夜番組「オールナイトニッポン(金曜深夜2部)」のパーソナリティを担当し、「日比谷公園でジェンカ」「裏コピーコーナー」など伝説とも言われる独創的なコーナーを生み出した。1987年10月17日から1989年4月1日まで担当した「オールナイトニッポン(金曜深夜1部)」での「究極の選択・どっちを選ぶ」「10回クイズちがうね」といったコーナーは、他のテレビ・ラジオ番組などで取り上げられ、その遊びが流行した。ちなみに当時のギャラは1ヶ月7万円(金曜1部時代)だったと、東貴博の『ニッポン全国ラジベガス』で告白している。それでも金曜2部時代のギャラが1ヶ月3万円(金曜1部の最終回で本人が告白)だったことを考えればかなり上がっている。
金曜1部時代には、番組内で「ドラゴンクエストが好きで好きでしょうがない」と発言したことから話が進み、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』のエンディングとフィールドの曲をアレンジし、自ら作詞とボーカルを担当し、シングルレコード/CD『ヴォーカル版 ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(A面:そして伝説へ… Into The Legend、B面:冒険の旅 Adventure)を発売した。このシングルはオリコンシングルチャートで初登場29位を記録した。
同番組ではそれ以外にも、当時芸能界でいわゆる「二世ブーム」が起きていたことに対して「○○のジュニア」というパロディコーナーを仕掛けていたが、鴻上の「売れない演歌歌手の息子はつらいだろうな」の発言に、演歌歌手の鏡五郎の息子が反応し、これをきっかけに長らくヒットに恵まれなかった鏡五郎にスポットライトを浴びせさせ、息子も「鏡五郎の息子」という芸名でCDデビューさせたりもしている。
なお、オールナイトニッポンでは2部時代・1部時代ともに「言いやすい・呼ばれやすい」という理由から自ら「こうかみ」でなく「こうがみ」と名乗っていた。
その他
1987年秋のフジテレビキャンペーン「ウーヤーター、スーパーテレビ宣言」のイメージキャラクターとなり、一般的に顔を知られるようになる。
またコラムニストとしても、「週刊朝日」連載の「鴻上夕日堂の逆上」「鴻上の知恵」、「週刊SPA!」連載の「ドンキホーテのピアス」など長期に渡り執筆活動を続けている。
テレビゲーム制作にも関わり、「星をみるひと」(1987年)では脚本、「G・O・D~目覚めよと呼ぶ声が聞こえ~」(1996年)では制作総指揮を行っている。(『オトナファミ』でのインタビューでは「星をみるひと」には関わっていないと明言している)両作品とも成功したとはいいがたく、クソゲーとの評価もある。なお、「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」のアッサラームの町には、東の国で劇場を開く夢を持っていた人物が存在するが、彼のモデルは鴻上である。
映画「ジュリエット・ゲーム」(1989年)で初監督。その後オムニバス作品の監督をいくつか手がけた後、1994年にはサードステージが自ら制作した「青空に一番近い場所」を監督するが、興行的には成功したとは言いがたく、その後しばらく「借金返済のため」(本人談)に地元・あいテレビを初めとして多くのテレビ出演をこなす。
タモリ倶楽部においては下ネタ系の回によくキャスティングされ、番組内においてはそのイメージがほぼ完全に定着しており、本人は半ば呆れ気味に感心しながらも、それを認めている。
2006年NHKで放映された『フランス・ジャパンエキスポ特集』においてフランス人に対して様々な問題発言を行い話題となった。
映画(監督作品)
- 青空にいちばん近い場所(1994年)
- サザンウインズ(1993年、オムニバスの一編)
- ボクが病気になった理由(1990年、オムニバスの一編)
- ジュリエット・ゲーム(1989年)
舞台
脚本・演出
- 1993年 トランス(小須田康人、長野里美、松重豊)
- 1996年 トランス(古田新太、手塚とおる、つみきみほ)
- 2000年 ララバイまたは百年の子守唄(筧利夫、石田ゆり子、佐藤アツヒロら)
- 2003年 ピルグリム(市川右近、山本耕史、富田靖子ら)
- 2003年 ミュージカル 天使は瞳を閉じて(佐藤アツヒロ、辺見えみり、純名りさら)
※第三舞台、KOKAMI@networkの公演についてはそれぞれの記事を参照のこと。
演出
脚本
主な著書
- 1987年 冒険宣言~モダン・アドベンチャー・フェスティバル(光文社)
- 1989年 鴻上夕日堂の逆上(朝日新聞社)
- 1994年 ここではないどこかへ(角川書店)
- 2000年 ロンドン・デイズ(小学館)
- 2004年 名セリフ!(文藝春秋)
- 2004年 ラブ アンド セックス(角川書店)
- 2006年 俳優になりたいあなたへ(筑摩書房)
- 2006年 ヘルメットをかぶった君に会いたい(集英社)
- 2006年 孤独と不安のレッスン (大和書房)
テレビ・ラジオ(レギュラー出演)
テレビ
- 地球ZIG ZAG(TBSテレビ)
- 特盛鴻上丼(あいテレビ)
- デリバティブTV(テレビ東京)
- COOL JAPAN!(NHK-BS2、日曜日19:30-20:15(月1回程度)、2006年4月~現在放映中)
ラジオ
- 鴻上尚史のオールナイトニッポン(ニッポン放送、1983年10月~1985年3月30日金曜2部、1987年10月16日~1989年3月31日金曜1部)
- オールナイトニッポンアゲイン(ニッポン放送、2007年1月7日)
- 鴻上尚史の博愛ライダー(TBSラジオ)
- 鴻上尚史のことばの寺子屋(文化放送、2004年10月~2006年10月)
- 鴻上尚史の生きのびるために笑う(インターネットラジオ局「klap」木曜日更新)
関連項目
外部リンク
- thirdstage.com - 第三舞台公式サイト