EDSAC
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EDSAC(エドサック、Electronic Delay Storage Automatic Calculator=電子遅延記憶式自動計算機)は、初期のイギリスのコンピュータのひとつである。このマシンはジョン・フォン・ノイマンの独創的なEDVACリポートに刺激され、モーリス・ウィルクス (Maulice Wilkes)とケンブリッジ大学の数学研究所のチームが開発した。プロジェクトは J. Lyons & Co. Ltd. が資金援助し、同社はEDSACのデザインに基づいた初の商用コンピュータ LEO I を開発した。1949年5月6日、EDSAC上で最初に動作したプログラムは、0から99までの整数の二乗の表を作るプログラムと、素数のリストを作るプログラムであった。
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[編集] ハードウェアの特徴
EDSACは、世界初の実用的なプログラム内蔵方式の電子計算機であるが、プログラム内蔵方式を採用した世界初のマシンではない(Manchester Mark IのプロトタイプであるBabyの方が早い)。EDSACが開発されると即座に大学の研究用に使われ始めた。つまり EDSAC は実験的ではなく、あくまでも実用的であった。3000本の真空管を使用し、消費電力は12kW。主記憶装置には水銀遅延管を使用し、容量は1024ワード(1ワードは18ビット)。18個の命令を備えていた。
1953年、デビッド・ホイーラー(David Wheeler)はイリノイ大学から戻ると、インデックスレジスタを設計してEDSACのハードウェアを拡張している。
[編集] EDSACの利用例
- 1951年、Miller とホイーラーは当時としては最大の 73 桁の素数を発見した。
- 1960年代、EDSACコンピュータは楕円曲線の解法に関する数値演算に使われた。これは、バーチ・スウィンナートン=ダイアー予想を導いた研究の一環である。
[編集] その後の開発
EDSACの後継機 EDSAC 2 は1958年に動作を開始した。1961年、EDSAC 2 用のAutocode(ALGOL風の科学技術計算用高級プログラミング言語)を D.F. Hartley が開発した。
1960年代半ばには EDSAC 2 の後継機が計画されたが、結局 Atlas 2 のプロトタイプである Titan が導入された。Atlas 2 はマンチェスター大学、フェランティ、Plessy の三者で開発した Atlas コンピュータの後継機である。