いすゞ・117クーペ
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いすゞ・117クーペ | |
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製造期間 | 1968年 - 1981年 |
ボディタイプ | 2ドアクーペ |
諸元のモデル | 1973年型1800XE (量産丸型4灯) |
乗員 | 4名 |
全長 | 4310 ㎜ |
全幅 | 1600 ㎜ |
全高 | 1310 ㎜ |
ホイールベース | 2500 ㎜ |
車両重量 | 1075 kg |
路上最高速度 | 195km/h |
エンジン種別 | 水冷 直列4気筒 ガソリンエンジン |
エンジン型式 | G180WE |
ボア×ストローク | mm×mm |
排気量 | 1817cc |
圧縮比 | - |
弁形式 | DOHC 2バルブ |
出力・トルク | 140ps/6400rpm -kg・m/-rpm (昭和50年10月登場以後の 51年規制モデル:130ps/6400rpm -kg・m/-rpm) |
燃料タンク容量 | 56L |
後継車 | いすゞ・ピアッツァ |
車台が共通の車種 | いすゞ・フローリアン |
同クラスの車種 | トヨタ・セリカ 日産・シルビア 三菱・ギャランGTO マツダ・サバンナ |
この表は自動車のスペック表テンプレートを使用しています |
117クーペ (117Coupe) は、いすゞ自動車の乗用車。1970年代を代表する名車の1つで、1968年に発売され、長くいすゞのフラッグシップを務めた。
目次 |
[編集] 概要
形式名は1600cc車がPA90、1800cc車がPA95、2000cc車がPA96。これらの形式の電子制御エンジン車がPA90E、PA95E及びPA96E。ディーゼルエンジン搭載車がPAD96。車名の由来は開発コード番号で、117サルーンとのコード番号で開発されていたフローリアンのクーペ版との位置づけである。そのためシャーシ、ドライブトレーンをフローリアンと共有する。
カロッツェリア・ギアに在籍していた、ジウジアーロのスタイリングによる優美な車体は、1966年3月のジュネーブショーで発表され、同ショーのコンクール・ド・エレガンスを獲得した。大きなグラスエリアに細いピラー、半分だけヘアライン仕上げを施したウィンドウモール、リアウィンドウににかぶさるように閉じるトランクなど、各部に斬新で繊細なデザイン処理が伺える。117クーペが生まれてから既に40年が経過しているが、今日でもなお色あせることなくその美しさをたたえている。
技術的にも日本で初めて電子制御燃料噴射装置を搭載するなど、エポックを持つ車であり、4座のラグジュアリークーペとしてのカテゴリーを確立した車でもあった。
さらに、特筆すべき点として、本車は発売開始以来10年間1台も廃車が出なかったとの業界記録を持っており、総生産台数86,192台にもかかわらず、今日なお旧車の世界での人気は根強く、多くの愛好家によって保有されている。
[編集] 機構
駆動方式はFR。
エンジンは1600cc、1800cc、2000ccDOHCおよびSOHCが基本だが、晩年に2200ccディーゼル車が少数生産されている。サスペンションはフローリアンと共有で、前輪がコイルスプリング+ダブルウィッシュボーン、後輪がリーフスプリング+リジッド(ライブアクスル)であり、ステアリングギアボックスはリサーキュレーテッドボール(ボールナット)式であった。そのためスペシャリティカーとしては、若干の陳腐さを感じる点は否めない。トランスミッションは、デビュー時には4速MTであったが後に5速MTに変更、また3速ATも追加されている。117クーペの換気口はボティとリアウィンドウ上端の境目に内蔵されたスマートなものだが、なぜか逆流防止の弁が付けられておらず、ここから内部に水が浸入するため洗車の際の後部への直接放水は禁止されていた。
[編集] 歴史
117クーペには各種のグレードが存在しており、太字にてそれを示す。
[編集] ハンドメイド期
1968年12月発売。曲面を多用するジウジアーロのデザインは、当時、いすゞの製造技術では全ての外板をプレス機で再現することは難しく、また、設備投資の余裕も無かったことから、その発売が危惧される状況であった。しかしながらベレットより格上のイメージリーダーを欲していたいすゞは、外板の成型や組立てなど、生産工程の大部分を手作業とすることを決断、市販化にこぎつけることに成功した(手作業での生産ゆえ、ごく初期の車両ではスポット溶接の位置が揃っていなかったりする)。そのため、販売価格は当時としては破格の172万円となり、月産台数も30~50台程度と小規模に留まったが、こうした希少性が117クーペの名声をさらに引き上げることにつながった。
エンジンは、日本初の量産DOHCとなる、1600ccのG161Wエンジンを新規に開発する。型式の記号と番号の意味は、Gはガソリンエンジン、16は1.6L、1は、0から始まる開発番号で2番目に開発されたこと、Wはダブルオーバーヘッドカムシャフトをそれぞれ表す。また、エンジン開発に、エンジニアのみならず、デザイナーが加わったことにより、外観も非常に美しいエンジンに仕上がった。1970年11月に電子制御燃料噴射装置(BOSCH社製Dジェトロインジェクション)搭載モデルECと1800cc(厳密には1817cc)ツインキャブSOHCが追加されるが、電子制御インジェクションは、これも日本初となるなど、エンジン技術の面でも国内他車を常にリードし続けた。
一方で、本車の普及に対する試みとして1971年11月に1800ccSOHC車をシングルキャブとした廉価版、1800Nが追加されたが、高価な車であることに変わりはなかった。
この世代の室内は上質な発泡レザートリムや台湾楠のウッドパネル(1800Nを除く)、ブロワー(送風)式のリアウィンドーデフォッガ(最初の一年間に生産された車両のみ マイナーチェンジの際に普通の熱線式に改められた)、ダイヤルで開閉する三角窓、センターコンソールに付けられたクーラースイッチ(通常スイッチはクーラー本体に付く)など、造り込まれた豪華なものであった。しかし、イタリア車のように、「革」を用いた内装を手がけられなかったことは、画竜点睛を欠くものであり、当時の日本車の限界が現れている。
組み立ての自動化率は最後まで上がらず、3年間の総生産台数は2458台に留まった。
[編集] 量産丸型4灯期
1971年にGMと提携したいすゞは、乗用車事業の再検討を余儀なくされるが、117クーペについては、GMからの資金と技術の習得により、機械によるプレス成型の目処が立ったことで、1973年3月より量産化される。その際、エンジンは無鉛ガソリン対応の1800cc(G180型シリーズ)に統一され、電子制御DOHC車がXE、SUツインキャブDOHC車がXG、ツインキャブSOHC車がXC、シングルキャブSOHC車がXTをそれぞれ名乗る。おおよそのイメージはハンドメイドと大差はないものの、ステンレスモールの仕上げやメッキの質は一般的なレベルに低下した。外観は、細部のリデザインをカロッツェリア・ギアの当時のチーフデザイナー、トム・チャーダが担当した(117クーペをベースとしたショーカーのためのデザインが流用された)。フロントターンシグナルランプがバンパー上から下に移動し、あわせてレンズをアンバー化したことと、リアコンビランプがイタリア風から、短形で横長のものに変更されたこと、リアクォーターパネルに117ロゴ入りのリフレクターを装着したこと、タイヤ径が14→13インチになり地上高が低くなったことなどが差異として目立つ。また、内装は量産化にあわせシートを中心にコストダウンが図られ、最上位グレードに位置づけられたXEこそモケット張りだったが、他はビニールレザーシートに変更となる。その後、排ガス規制のため、エンジンの出力ダウンを余儀なくされ、1975年10月より、規制適合が困難なXGがカタログ落ち、XCも電子制御Lジェトロインジェクションに変更され、インジェクションSOHC車の若年層をターゲットにしたグレードとしてXC-J(JはJoyの略)が追加された。
[編集] 量産角型4灯期
1977年12月にフェイスリフトが行われ、ヘッドランプを角型4灯に変更。内装もプラスティック成型物を多用し、一段とコストダウンが図られる。このマイナーチェンジの際、カタログ落ちしていたXGが減衰力可変ダンパー、リアディスクブレーキ、LSDを装備する117クーペのスポーティーモデルとの位置づけで復活した。
1978年11月に排ガス規制による出力低下を補う目的で、エンジン排気量を2000cc(厳密には1949cc)に拡大、以後、「53年規制適合」モデルは「スターシリーズ」と名乗る。
さらに1979年12月に、ファスターなどで実績のある2200ccのC223型ディーゼルエンジンを搭載したXDが投入されるが、ディーゼルエンジンの高級パーソナルカーは世界初の試みでもあった。
従来117クーペは各グレード間の序列が厳然と存在するモデルであったが、1978年に比較的冷遇されていたシングルキャブSOHC車の最上位機種としてXT-Lが加わる。これは最高級車であるXEのSOHC版と言えるものであったが、以後のハイフンLのモデルは特別仕様(Luxury/ラグジュアリー、但しXE-LはLimited edition の略)をあらわすモデルという位置付けとなり、特別限定車として内装レベルを引き上げたXD-L、XC-L、 XE-L、ジウジアーロカスタムが相次いで登場する。
1981年に後継車としてピアッツァが登場したことで生産終了となった。