つる師一彦
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靍師 一彦(つるし かずひこ)は、1955年生まれ、宮城県小牛田町(現:美里町)出身の編集者。元『週刊SPA!』、月刊誌『言語道断』編集長であり、それ以前には『月刊OUT』編集部に在籍していたこともあった。
また、フリーライターとしてカタカナ表記のツルシ カズヒコでも活動している。
早稲田大学法学部卒業。
妻は、イラストレーター兼ソーイングデザイナー(本人曰く「洋裁のセンセー」)の、ワタナベ・コウ。 趣味は野球観戦。
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[編集] SPA!編集長時代
『週刊SPA!』編集長時代、小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』がオウム真理教批判を展開していたのに対し、靍師は宅八郎と上祐史浩との対談を載せるなどしたため、小林は編集部がオウムの手先となっていると受け取った(実際、靍師は『自分はオウムを擁護する記事を載せた』と発言している)。結果、小林は宅や松沢呉一、鈴木邦男ら他の連載陣及び編集部の批判を始め、宅は小林との公開討論を要求した。しかし小林は、靍師が宅と結託していると主張し、宅の要求を拒否。『SPA!』を去ることになった。『SPA!』での最終回は、靍師がオウムと結託していると決めつける内容だったが、靍師はそのまま掲載した。
その後、宅の記事による切通理作への名誉毀損事件が起こるに伴い、上層部による宅の連載中止要請に最後まで反対した靍師は宅とともに解任された。その後、靍師は自分の解任劇は『小林の陰謀だ』主張し、根拠として切通が扶桑社上層部に送りつけたファクシミリなどを挙げた(小林と行動を共にしていることが書かれていた)。靍師は小林を「『自分が正しい』しかない人」と評している。
だが奇矯な性格で酒乱の気がある靍師は数々のトラブルを起こしており、また先鋭にすぎる記事も軋轢を産みがちだった。勤め先の社長を怒鳴りつけたり、つきあいのあるライターを殴ったりもしており、素行の面で問題児ではあった。実際に小林よしのり騒動の時も編集部は35人もいるのに、靍師をかばったのは3人しかおらず、人望はなかった。その点から、解任の理由を小林の陰謀のみに求めることは出来ない。
[編集] その後
一時期、『創』誌にコラム「月刊ツルシ」を連載していた。また、単独の著作して小林への反論本を予定していたが、計画倒れに終わっている。ロフトブックスでムック本を出版するも、売れ行きは不振。スカトロ専門誌の『おもらし倶楽部』(三和出版)でエロ男優を勤める。
靍師がエロ男優として出演したのは、靍師がもともと同誌の熱心な読者だったから。『おもらし倶楽部』を読み終えるや編集部に電話をかけ、延々と感想や意見を言ったりもしていた。靍師が同誌に魅力を感じた理由は本当に編集者が好きなものを、愛読者のために制作するというスタンスに共感したからだ。この場合はスカトロということになるが、それほど愛した雑誌でエロ男優をやったことは、彼にとっていい経験になった。さらに生活は零落しバイト生活をしながら、ネット限定販売の雑誌『Crazy Yang』を編集している。
2006年、メディアックス社に新創刊の『言語道断』(形の上では『パソコンパラダイス』増刊)の編集長として迎えられた。靍師によると、本誌の創刊は、エロを中心に扱っているメディアックスが、じり貧の状況に危機感を感じたためであるという。しかし、創刊号は実売4%という惨憺たる成績で、この結果を見たメディアックスの岩尾悟志は、2号で廃刊を決定。3号雑誌にもなれなかった。
靍師は『創』9・10月合併号で、「何と2号で終わった雑誌創刊失敗体験記」と題しメディアックスを批判。出版者側の力量不足と営業努力のなさが失敗の原因と主張した。靍師の主張に単なる批判だけでなく、エロや中小出版社に対する侮蔑を見て取った『言語道断』元編集者の同僚は激怒(ただ、エロ広告の多さに想定した読者層に引かれてしまったのは事実であった)。『言語道断』の損失を補てんする形で創刊した『爆写EX』に「さようなら そしてありがとう いつまでもお元気で! 『言語道断』元カリスマ編集長・ツルシカズヒコさんに激励のコメント集!」という1ページの記事を掲載。
その内容は靍師に手厳しいものだった。かつて靍師が身をていしてかばった宅八郎が、靍師の性癖まで暴露する非難コメントを載せ、多額の編集費を投入された中村うさぎまでが靍師を酷評。さらに同誌を月刊化にこぎ着けたことで、靍師への反論の代わりとしたにとどまらず、靍師には悪霊が憑依している可能性があるとの妄想にとりつかれ、霊媒師に靍師を霊視してもらう企画まで提案した。
[編集] 経費着服疑惑
『言語道断』の立ち上げに失敗した後、靍師が100万円の経費流用したという疑惑が噴出した。週刊朝日とサイゾーが取材に動いたが、証拠がなかっため記事にはならなかった。不名誉な噂を流され動揺した靍師はメディアックスに執拗に問い合わせの電話をかける。同時に自身のサイトで経費の精算は2006年の7月に済んでおり、着服の事実はないと主張。そのような噂が流れたのはメディアックスの経理がザルだからと非難した。これらの靍師の行動に閉口したメディアックス側は靍師に絶縁(出入り禁止のみならず、電話・FAX・メールといった一切の連絡を受け付けない)を言い渡したという。
だが経費の着服をする場合、「A社に120万円のカラ発注→120万円の領収書を入手→A社から100万円のキックバック」といった手順をふむために、偽装工作により数字のつじつまがあうのがほとんど。精算が完了したからといって、靍師は疑惑をはらしたことには理論上はならない。
鳥嶋和彦に嘲笑されたのと同じ態度を、靍師はメディアックスに対して取ったと言える。また靍師がかつて小林を評した「『自分が正しい』しかない人」発言が、自らにあてはまってしまった。現在は新雑誌創刊の企画に動いてるとされるが、その実現が注目されている。
[編集] 参考文献
- ロフトブックス編 『教科書が教えない小林よしのり』 ロフトブックス、1997年、ISBN 4795200696(実際の著者は宅、松沢、靍師、玄田生ら)
[編集] 外部リンク
- 週刊ポチ&コウ(靍師・ワタナベ夫妻の公式HP)
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