アイスマン
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アイスマンは、1991年に標高3000mを越えるアルプスで見つかった、約5300年前の男性のミイラ[1]の愛称である。アルプスの氷河の中から発見されたので「アイスマン」と呼ばれる。
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[編集] 概要
発見当時、現地でオーストリアの新聞記者が発見場所のエッツタール渓谷にちなんでエッツィ(Ötzi)と名付けた。のちに発見場所がわずかに国境を越えていたことが判明、イタリアに引き渡され、ボルツァーノ県立考古学博物館で公開されている。イタリアではヒベルナトゥスと呼ぶ。
[編集] アイスマンの特徴
[編集] 死因の謎
彼の死亡の原因は確定していない。凍死の説が有力だが、X線撮影にて左肩に矢尻が見つかり、これが死因である説が議論されている。[2]
アイスマンは発掘現場の周辺より採取した植物の分析から、標高700mの麓に居住していたと推定されている。その地点では有史以前の遺跡も存在している。また付着した花粉分析から死亡時季は晩春と推定されているが、残雪が大量に残っている季節に岩と氷しかない3000mを越える地点に登った理由も不明である。
部族間の争いに巻き込まれ、山を超えて逃亡していた最中に死亡したという説がある。また、アイスマンは麓の牧人であり、放牧のために高地に登ってきた際に何らかの災難にあったという説がある。また獲物を追って高度を上げていくうちに遭難したという説がある。いずれも仮説の域をでないものであり、実証できる証拠は殆どない。その他、純粋に山登りをして遭難した、即ちアイスマンは判明している最古の登山家だ、などという説などがある。
[編集] 状況
現在もイタリアの南チロル考古学研究所で調査が続けられている。また同研究所は、発見当時の氷の中のアイスマンの精巧なレプリカの他、彼の所持品のレプリカと研究の成果を合わせて、世界各国で「氷の中からやってきた男」(der Mann aus dem Eis)と題した展示会を開いている。2005年4月には、愛知県で開催された愛・地球博にちなんで、この資料展が、名古屋の名古屋ボストン美術館と豊橋の自然史博物館で「アイスマン展」と題して展示公開された。
[編集] その他
また、2005年10月までにエッツィに関わった7人の法医学者、ジャーナリストらが相次いで死亡しており、「ミイラの呪いでは?」と話題を寄せている。
[編集] 参考文献
- 『アイスマン 5000年前からきた男』(デイビッド・ゲッツ、金の星社、1997年、ISBN 4323060718)
- 『5000年前の男 解明された凍結ミイラの謎』(コンラート・シュピンドラー、文春文庫、1998年、ISBN 4167309777)
[編集] 外部リンク
- der Mann aus dem Eis インスブルック大学のアイスマン研究報告、ドイツ語サイト
- 氷河から蘇ったアイスマンの真実日経サイエンス
- ボルツァーノ県立考古学博物館 イタリア語サイト