ミイラ
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ミイラ(漢字表記では木乃伊)とは、人為的加工ないし自然条件によって乾燥され、長期間原型を失わないで保全可能な状態となった死体(永久死体)の一形態。古くより神秘的な力があると考えられ、死者を後世まで残すなどの目的で古代から行われた。数百年・数千年を経過したものでも生前の面影を漂わせるものも数知れない。
なお、同様に長期間保全される状態となった死体には死蝋(しろう)がある。これは乾燥によって生成されるミイラの逆で、湿潤環境によって生成される。
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[編集] 生成
死後、身体の腐敗が進行するよりも早く急激な乾燥(人体組織の50%以下)が起きると、細菌の活動が弱まる。脱水症状などの条件から死体の水分含有量が少ない場合にはミイラ化しやすい。自然発生ミイラが砂漠の砂の中からみつかることが多いが、これは急速な乾燥をもたらす自然条件のほかに、そこにできる死体が脱水症状を起こして餓死するなどで死亡したものであるため、死亡時の水分量がもとより少ないという条件が整っているからと考えられる。自然条件においては、成人一人がミイラ化するのに必要な期間は3ヶ月と言われている。こういった自然のミイラは全身が完全なミイラとなっている例は少なく、身体の一部分のみがミイラ化して残っている場合が多い。
自然環境において全身ミイラが少ない理由の一つとしては、死体の中で一番先に腐敗が進行するのが内臓であることが挙げられる。自然状態においては内臓が体外に出ることがないため、人体の完全なミイラ化は起きにくい。ただし逆に、内臓の腐敗までが進行(→液化して体外に流出)したあとに急速に乾燥した場合などには、うまい具合にミイラが形成される。そのため、人為的にミイラを作る場合には、脳を含めた内臓を摘出し、外部で火気などを用いて乾燥させ、あるいは薬品によって防腐処理をほどこした。その内臓は体内に戻すか、副葬品の壷の中などに納めるなどの手段が取られた。
古代エジプトでは、心臓以外の内臓を摘出したあとの死体を70昼夜にわたって天然炭酸ナトリウムに浸し、それを取り出したあと、布で幾重にも巻いて完成させた。そのため、包帯がミイラの特徴であるかのような理解が生まれた。なお、内臓の摘出には開腹手術をおこなったが、脳の場合には頭蓋骨を開かず、鼻から鉤状の器具を挿入して取り出したらしい。現代人からすれば脳を崩してしまうことは復活の条件を失わせることのように感じられるが、理性の宿る場所を脳と見做さなかった当時においては死後身体から離れた魂にこそ霊性が宿るとの観念に立てば、心理的抵抗は無かったと考えられる。むしろ心臓が理性の場と考えられたため、これは取り出さず死体に残された。ほかの臓器は「カノプス壺」と呼ばれる壷に入れられ大切に保管された[要出典]。
古代エジプトなどでは来世・復活信仰と密接に結びついていたミイラ作りだが、それはミイラ化処理をおこなっていたすべての文化において共通のものだったわけではない模様である。
[編集] 語源
ミイラ(mirra)の語源は防腐処理に使われた樹脂ミルラ(没薬/もつやく、myrrh)のことである。漢字表記の「木乃伊」は、オランダ語のmummieの音訳と言われている。ミイラには一種の漢方薬として不老不死の薬効があると信じられ、珍重された。そのため、ミイラを取ることをなりわいとする者が増えた。なお、ミイラを取るためには墳墓の中に入ったり、砂漠を越えたりする必要があることから危険がつきまとい、ミイラを探す人間が行き倒れることもあった。彼らの死体がどれほどの確率で自然乾燥によりミイラ化したかは不明だが、このことを指してミイラ取りがミイラになるという言葉が生まれた。これにより数多くの盗掘が行われ、近現代の考古学研究を阻害する要因となった。また、薬としてのミイラは日本にもかなり輸入されていた。
[編集] アンデスのミイラ
死者をミイラとする風習はアンデス地方でも見られる。アンデスのミイラの特徴は膝を折り腹部に付けた姿勢(蹲踞)を取ることである。製法は以下の通り。まず死者を選び、内臓と筋肉を取り除く。次に、何らかの火力で乾燥を進める。最後に特定の姿勢に固定し、体全体を布で覆い、かごに収め、最後に副葬品と併せて再度布を巻くというものである。紀元前200年ごろまで続いたパラカス文化は、形成期においてすでにミイラの製作に習熟していた。インカ帝国が成立すると、特に高位の人物のミイラに対しては羽や装飾品、金属製の仮面を取り付けるようになる。
[編集] 即身仏
仏教では、僧侶が土中の穴などに入って瞑想状態のまま絶命し、ミイラ化した物を「即身仏」と呼ぶ。語義を厳密に捉えれば、人間が生きたまま仏となる即身成仏した修行者のことだが、通常はこのミイラ化したものの意味で使われる。
この背景にあるのは入定(にゅうじょう)という観念で、「入定ミイラ」とも言われる。本来は悟りを開くことだが、死を、死ではなく永遠の生命の獲得とする考えである。入定した者は肉体も永遠性を得るとされた。
日本においては山形県の庄内地方などに多く存在し、現在でも寺で公開されている。また、中国の禅宗寺院では、今もなおミイラ化した高僧が祀られている。
木の皮や木の実を食べることによって命をつなぎ、経を読んだり瞑想をする。体の筋肉は衰え、肉も落ちていき水分も少なくなる。生きている間にミイラの状態に体を近づける。生きたまま箱に入りそれを土中に埋めさせ読経をしながら入定した例もあった。この場合、節をぬいた竹で箱と地上を繋ぎ、空気の確保と最低限の通信(行者は読経をしながら鈴を鳴らす。鈴が鳴らなくなった時が入定のときである。)を行えるようにした。 行者は墓に入る前に漆の茶を飲み嘔吐することによって体の水分を少なくしていたといわれている。漆の茶にはまた、腐敗の原因である体内の細菌の活動を抑える効果もあった。
これらは死を前提にするため当然ながら大変な苦行であり、途中で断念したものも多数存在する。また、死後腐敗してミイラになれなかったものも多い。
[編集] 日本の見世物
[編集] 日本の江戸時代の見世物
江戸時代に妖怪への興味が高まったためニホンザルとコイなどをつなぎあわせ人魚としたり、ニホンザル、エイなどを加工した河童のミイラ、鬼・龍のミイラなどが盛んに作られた。
[編集] 日本最大・最古の人魚?のミイラ
静岡県富士宮市の某宗教団体本殿に日本最大・最古の人魚?のミイラが安置されている。そのミイラは、一時雑誌(週刊プレイボーイ等)やテレビ番組(「ミステリーパニック 超常怪奇物を見た! 」等)での超常怪奇物特集で取り上げられ話題になった。
そのミイラは、およそ1400年前の物で、見開かれた目であり、体長170cm程度で、頭が異様に大きく、開かれた口は水中で生活していた痕跡を残し、眉間から鼻にかけて繊毛が生えているが、頭髪はなく、指には鋭利な爪・水かきがついていおり、20cm程の尾びれがついている。下半身は魚類の骨と同等だが上半身の骨は確定できない。そして、長い年月が経過している為か、至る所に虫食いの跡か劣化して破損した跡がある。
そのミイラに関して、1400年ほど前、飛鳥時代での伝説が残されており聖徳太子が近江国(現在は滋賀県)の琵琶湖近くのそばを通りかかると、醜い人魚が湖上に現れ、大声で「私は漁を生業としておりましたが、ここは殺生禁断の地。この罪により罰を受けてこんな姿になってしまいました。しかし今、太子の法戒を受けて殺生の恐ろしさをしみじみ知りました。来世まで、私の醜い姿を残していただいて、殺生戒という仏戒を伝えるために末永くこの事実を語り、後生役立てていただきたい」と懺悔しながら言い残して昇天した。太子はその通りにして間もなく寺を去ったが、種々の怪異が起こり、寺は人魚のミイラを人手に渡し、その後岩国→但馬→播磨→富士山ろくと渡り歩いたことになっている。
昭和初期、国立科学博物館の鑑定によれば、体長170cm程度で下半身は魚類の骨と同等だが上半身の骨は確定できないと言う結果が出た。しかし、一説には中国で作られた乾燥標本ではないかと鑑定員が指摘したと言う説もある(週刊プレイボーイに掲載された時の取材で明らかになった。)。もし、本物の人魚のミイラであれば、日本最大であり最古である。但し、本物か乾燥標本であるかについては現在も真意は謎のままである。
[編集] 外部リンク
[編集] ミイラをテーマにしたフィクションその他
[編集] 映画・小説
ミイラは長期間死体が保存され不気味であるという認識からホラー映画や書物にしばしば生き返って登場する。日本でも1961年に日本テレビ製作の連続テレビ映画「恐怖のミイラ」が放送された。既に死体であることから、通常人間が死に至るセオリー(心臓を突き刺す・首を刎ねるなど)をおこなっても死なず(というよりももとから死んでいるのだから動きを止めず)、そういった物語の登場人物たち、および読者・観客を恐怖させた。なお、それらの場合では火や聖水に弱いなどの特徴が見られる。なお、アメリカ映画『ハムナプトラ』の原題は"The Mummy"すなわち『ミイラ』であるが、現代日本の文化状況下において安直すぎると考えたことからか、日本公開時に直訳でない邦題が付けられた。
CMにおいてミイラはフランケンシュタイン(の怪物)と対で包帯を巻かれた状態でコミカルに登場することが多い(例:マスターカードのCMなど)。
[編集] ことわざ
- 「ミイラとりがミイラになる」・・・前述のようにミイラは薬として珍重され、高値で取引きされていた。エジプトで、ピラミッドにミイラを探しに行った人が戻ってこなかった(=命を落としてしまった)ことから来ることわざで、他人を捜索に行った人が戻らなくなって同じように探される立場になること、また他人の行いを諌める立場であったはずの人間がいつの間にかその人と同じ行動をとっていること表す語。
[編集] 解剖ショー
19世紀の考古学においては、ミイラの解剖が、単に研究目的だけではなくヨーロッパの各地で興行としてミイラの解包・解剖ショーが行われた。もっとも現代において想像するようなショーアップされたものではなく、かなり淡々と研究目的と変わらない解剖をしながら、過程と出てきたものを観客に示して解説するものだったらしい。 なお、ミイラと考古学からは離れるが、書籍『外科の夜明け』によると、当時は外科的施術自体がショーだった。特に死刑囚の解剖は人気を博した。
[編集] 関連項目
[編集] 文献
- 日本ミイラ研究グループ編『日本・中国ミイラ信仰の研究』平凡社・平成5年(1993年)ISBN 4582420028