アグネス・スメドレー
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アグネス・スメドレー(Agnes Smedley, 1892年2月23日 - 1950年5月6日)はアメリカ合衆国のジャーナリスト。中国に関する著作で知られる。
彼女は女性の人権に始まり、インド独立運動、避妊、中国の共産主義革命に至る様々なテーマについて関心を有していた。スメドレーは合計8冊の著作をなしている。これ以外にも、"アジア"、"ニュー・リパブリック"、"ネイション"、"ヴォーグ"、"ライフ"などの雑誌に記事を投稿している。スメドレーに関するウェブサイトによると、"子供のころに味わった貧しさが彼女を女性、子供、農民など抑圧された者の代弁者へと駆り立てた"とある。
[編集] 生涯
スメドレーは1892年にミズーリ州のオスグッドで農家の5人兄妹の1人として生まれた。10歳の頃コロラドへ移り、学校へと通いながら家計を助けるために働いていた。彼女は正規の教育を受ける機会はなかったが、学習に対する興味は失わなかった。1911年から12年にかけて、スメドレーはアリゾナ州テンピの師範学校で特待生として学んだ。学内では学生新聞の編集を行っている。
その後彼女はアーネスト・ブラディンと結婚し、カリフォルニア州へと移住した。この地で社会主義の思想に触れた彼女は、6年後に離婚するとニューヨークへと向かった。ニューヨークではマーガレット・サンガーと共にBirth Control Review誌で働いている。インド人の共産主義者ヴォレンドラナート・チャットパディアと関係を深めると、彼とともにドイツへ渡った。1929年には初の自伝を書き上げている。チャットパディアと分かれた彼女は次なる興味の目標を中国へと定め上海へ向かった。上海ではソビエト連邦のスパイであったゾルゲと親密に親交し、後に彼の協力者となる尾崎秀実を紹介した。尾崎はスメドレーの著作を日本語に翻訳している。このような経緯から、マッカーサーの部下であったチャールズ・ウィロビーはスメドレーをソビエトのスパイであると主張していた。スメドレーはこの主張に対し戦後告訴を試みているが、最近の研究ではこの疑惑は真実であるとされている。
彼女は1930年代に始まった国共内戦と日中戦争の取材を行い、記事をフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングやマンチェスター・ガーディアン紙などへ投稿した。八路軍へ密着した取材などで詳細なレポートを表している。 1937年には戦場の第一線の取材を離れ、医薬品の供給や総括記事の執筆などを、1938年から1941年にかけては共産党と国民党双方の上層部の取材を行っている。このような精力的な活動は中国での戦争を取材する外国人記者としては飛び抜けたものであった。
その後ワシントンD.C.に居をかまえ、中国への援助に関するロビー活動に従事している。この間数冊の著作を執筆した。戦後1947年になり、彼女はスパイの容疑をかけられた。身の危険を感じた彼女はイギリスへと移住した。1952年にスメドレーが亡くなるとFBIは彼女に関する捜査を打ち切っている。
遺骨は北京の墓地へ埋葬された。
[編集] 著作
- アグネス スメドレー 『中国の歌ごえ』〈上〉,〈下〉 筑摩書房 1994年 ISBN 4480029079
- アグネス スメドレー 『偉大なる道−朱徳の生涯とその時代』〈上〉,〈下〉 岩波書店1977年 ISBN 4003342917
[編集] 外部リンク
カテゴリ: アメリカ合衆国のジャーナリスト | ミズーリ州の人物 | 1892年生 | 1950年没