アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦
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アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦 | ||
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ブリュッヒャー | ||
概歴 | ||
就役開始 | 1939年4月29日 | |
退役完了 | 1945年5月7日 | |
前級 | ドイッチュラント級装甲艦 | |
要目 | ||
艦種 | 重巡洋艦 | |
排水量 | 公称排水量 | 10,000t |
基準排水量 | 14,050t | |
満載排水量 | 18,600t | |
全長 | 205.9m | |
水線長 | 194.2m | |
全幅 | 21.3m | |
吃水 | 7.7m | |
機関 | 蒸気タービン12缶3基3軸 | 132,000hp |
速力 | 32.5ノット | |
航続距離 | 6,800海里(19ノット) | |
乗員 | 1,600人 | |
武装 | 20.3cm連装砲 | 4基8門 |
10.5cm連装砲 | 6基12門 | |
37mm機関砲 | 6基12門 | |
20mm機関砲 | 8門 | |
3連装533mm魚雷発射管 | 4基12門 | |
搭載機 | Ar 196 | 3機 |
アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦(Admiral Hipper Klasse Schweren Kreuzer)は、ドイツ海軍の重巡洋艦。5隻が建造され、3隻が就役した。 リュッツオウは完工前にソビエト連邦に売却され、ザイドリッツは空母への改装中に建造が中止され、自沈している。
[編集] 概要
条約型巡洋艦ではあるが、10,000tの制限は考慮されずに建造された。当初は12,500tで設計されたが、開発の進捗に伴って大型化を続けた。フランスの重巡洋艦アルジェリーに対するドイツの備えという性格もあり、主砲として様々な砲の搭載が考慮されたが、イギリスのカウンティ級重巡洋艦に匹敵する20.3cm砲8門が選択された。プリンツ・オイゲン以降の艦はやや拡大されたが、就役にまで至ったのはプリンツ・オイゲンのみであった。
重巡洋艦としては他国の同等の艦に比肩する艦であったが、第二次世界大戦でドイツ海軍が必要とした対地支援及び通商破壊には向いていなかった。対地支援においては、有力ではあったが代償が大きく、北欧侵攻時にドローバックにおいてブリュッヒャーが撃沈され、1944年にはプリンツ・オイゲンが衝突事故を起こしている。通商破壊戦においては、シャルンホルスト級巡洋戦艦やドイッチュラント級装甲艦に随伴可能な航続力を持たず、機関も信頼にかけていることから、不十分な戦果に留まった。
[編集] 同型艦
艦名 | 起工 | 進水 | 就役 | 結果 |
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アドミラル・ヒッパー(Admiral Hipper) | 1935年7月6日 | 1937年2月6日 | 1939年4月29日 | 1945年5月2日、自沈 |
ブリュッヒャー(Blücher) | 1935年8月15日 | 1937年6月8日 | 1939年9月20日 | 1940年4月9日、撃沈 |
プリンツ・オイゲン(Prinz Eugen) | 1936年4月23日 | 1938年8月22日 | 1940年8月1日 | 1946年12月22日、座礁沈没 |
ザイドリッツ(Seydlitz) | 1936年12月29日 | 1939年1月19日 | - | 1945年4月10日、自沈 |
リュッツオウ(Lützow) | 1937年2月8日 | 1939年1月7日 | - | 1940年5月売却、1950年解体 |