アビ・ヴァールブルク
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アビ・モーリッツ・ヴァールブルク(Aby Moritz Warburg, 1866年6月13日 - 1929年10月26日)はドイツの美術史家。
ハンブルクの富裕なユダヤ人銀行家の家庭に生まれ育つ。祖先はイタリアからドイツに移住したセファルディム。ボンとミュンヒェンとストラスブールで考古学と美術史のほか、医学、心理学、宗教史を学ぶ。博士論文のテーマはボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」と「プリマヴェーラ」だった。
長男だったが家業の相続を嫌い、家督を弟に譲る代わりに、生家の経済的援助で好きな学問を生涯追究し続けた。フィレンツェで美術を研究する一方、1896年には米国に旅して、ホピ族に関する人類学的研究をおこなう。
ヨーロッパに戻ると、個人的蒐集物の保存と公教育に資することを意図してヴァールブルク文化学図書館(Kulturwissenschaftliche Bibliothek Warburg)を設立。
鬱病と統合失調症を患い、1921年、スイスのクロイツリンゲンにあったルートヴィヒ・ビンスヴァンガーの神経科医院に入院。1924年、医師や患者仲間たちの前で高度な学術的講義をおこなうことで正気を証し、退院を許される。
晩年の5年間は、ヴァールブルク文化学図書館で研究生活に没頭。精神病の再発を気遣いつつも、未完に終わった「ムネモシュネ・アトラス」への主要論文を執筆。ハンブルクで心臓病のため死去。
ヴァールブルクの死後、ヴァールブルク文化学図書館は国家社会主義ドイツ労働者党の台頭を避けてイギリスロンドンに移転し、ロンドン大学附属のウォーバーグ研究所 (Warburg Institute)となった。