アブドゥル・カディール・カーン
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アブドゥル・カディール・カーン博士(عبدالقدیر خان , Abdul Qadeer Khan、1935年 - )は、パキスタンの技術者である。なお英語では「カディール」の部分が、Quadeer、Qadir、Gadeer など数通りの表記がある。
1970年代以降、核技術の地下ネットワーク(核闇市場)の構築に力を注ぎ、1998年にはパキスタンを原子爆弾実験に成功に導いたことから、パキスタンの「核開発の父」と呼ばれる。イラン、リビア、北朝鮮などに核兵器の製造技術を密売し、核拡散を進めた。彼の構築した地下核ネットワークの全貌は、未だに明らかになっていない部分が多く、パキスタン政府が関与している部分があるのではないかという疑惑が持たれているが、パキスタン政府は関与を否定している。
[編集] 略歴
- 1935年: 大英帝国植民地下のインド中部の都市ボーパールで生まれる。
- 1952年: 独立したパキスタンに移住する。
- 大学では金属工学を学び、卒業後はヨーロッパに渡り、1970年オランダのウラン濃縮機器を製造する会社に就職する。
- 会社では濃縮技術を身に付けることに力を注ぎ、また濃縮機器の部品を発注できる世界中の拠点のリストを作り上げた。
- 1998年: パキスタンにおける核実験に成功させる。
- 2004年: 2月4日に、パキスタンのテレビ局PTVの番組に出演し、国際的な地下核ネットワークの構築に関与したことを認めた。その翌日、彼はパルヴェーズ・ムシャラフ大統領の恩赦を受けたが、それ以降自宅に軟禁される。
- 2006年: 前立腺癌が発見され、カラーチーの病院において手術を受ける。手術は成功を収めた。