ジョン・ウェイン・パー
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基本情報 | |
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本名 | ウェイン・パー |
あだ名 | JWP |
階級 | スーパーウェルター級 |
国籍 | オーストラリア |
誕生日 | 1976年5月25日 |
出身地 | オーストラリア、クイーンズランド州 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | ムエタイ |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | 77 |
勝ち | 57 |
KO勝ち | 30 |
敗け | 15 |
引き分け | 5 |
無効試合 |
ジョン・ウェイン・パー(John Wayne Parr、1976年5月25日 - )は、オーストラリア、クイーンズランド州出身のキックボクサー。本名はウェイン・パー(Wayne Parr)。通称JWP。身長177cm、体重70kg。
ムエタイとボクシングの技術を両立して使い分けるオールラウンドなスタイルを持つ。キックボクシングからボクシングに転向し、WBC世界ライトヘビー級王座に挑戦した経験のあるポール・"ハリケーン"・ブリッグズは親友でもある。妻はアメリカ人現役キックボクシング世界王者アンジェラ・パー。
目次 |
[編集] 来歴
13歳から近所にあったムエタイジムでムエタイを始めた。17歳の時から試合に出場するようになる。19歳の時にタイ料理のレストランでリチャード・ベル(オーストラリアキック界の大物)にタイでの修行を申し出る。その後、4年間タイのリングに上がることになった。その際、タイの大物プロモーター、ソンチャイから西部劇に登場する俳優、ジョン・ウェインと掛けてジョン・ウェイン・パーというリングネームをつけてもらった。ジョン・ウェインの名にちなみ彼はガンホルダーをつけてリングに上がる、ワイクルーの最後の動作を銃を撃つしぐさに変えるといったパフォーマンスを行い一躍タイで人気になる。
24歳からは3年間プロボクシングの舞台にも上がった。
2004年からはK-1 WORLD MAXにも参戦し、決勝トーナメント一回戦でブアカーオ・ポー.プラムックに判定負けした。
2005年8月22日に行われた新日本キックボクシング興行「TITANS 2nd」で武田幸三とWKBA世界スーパーウェルター級王座決定戦で争い、3R2:24にパンチでKO勝ちし王座を獲得した。
2006年 オーストラリアでWBCムエタイが認定する世界スーパーウェルター級王座の初代王者決定戦に出場するも、ヨードセングライ・フェアテックス(タイ)に判定で敗れ、初代王座には着くことは出来なかった。
2006年3月12日 - イギリス、ロンドンでWBCムエタイが認定する世界ミドル級王座の初代王者決定戦に出場するも、スティーブン・ウェークリング(イギリス / S1王者)に判定負けし、またも王座獲得には致らなかった。
[編集] 戦績
- キックボクシング:77戦 57勝 30KO 15敗
題目 | 日付 | 勝敗 | 勝敗内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
不明 | 2004年3月4日 | 勝 | 3R判定 | モハメッド・マゴメドフ | ロシア | S-1世界選手権予選 |
不明 | 2004年3月4日 | 勝 | 3RKO | ジャン・スカボロスキー | フランス | 同大会準決勝 |
不明 | 2004年3月4日 | 勝 | 5R判定 | ヌントラガーン・ポームアンウボン | タイ | 同大会決勝戦・優勝 |
- ボクシング:10勝 10KO 3敗
[編集] 獲得タイトル
- IMFワールドチャンピオン
- ISKAワールドチャンピオン
- W.K.A.A.スーパーライト級王座
- W.K.A.S.P.スーパーライト級王座
- S-1優勝
- WKBA世界スーパーウェルター級王座