アンジェロ・ディ・リービオ
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アンジェロ・ディ・リービオ(Angelo Di Livio、1966年7月26日 - )は、イタリア・ローマ生まれの元サッカー選手。
テクニックはそれほどないが、「ソルダティーノ(二等兵・小さな戦士)」と言われるような攻守に貢献する泥臭いプレーでファンの支持を集めた。
1981年に地元ローマでサッカー選手としてのキャリアをスタートさせると、その後は下部リーグを渡り歩き、1993-1994シーズンからはセリエAの名門ユヴェントスでプレー。1995年9月6日のスロヴェニア戦で代表デビューを飾る。
1999-2000シーズンからユヴェントスの宿敵、フィオレンティーナに移籍。ユヴェントスからの移籍ということで当初はティフォージから冷たい視線を投げかけられていたが、その熱いハートとプレーで徐々にティフォージの心を掴んでいった。
そして2001-2002シーズン、主将を務めたディ・リービオの奮闘空しくチームはセリエB降格が決定したが、オーナーであるチェッキゴーリの放漫経営によってチームは破産、セリエC2降格というペナルティーを課せられた。この為、エンリコ・キエーザ、ヌーノ・ゴメスら主力選手は殆ど移籍してしまったが、ディ・リービオは「人生にはカネより大切なものがある」とローマ、ブレッシア、フルハムからのオファーを断り、タダ同然の年俸で残留。1年でのセリエB復帰に大きく貢献し、さらにセリエBでプレーした2003-2004シーズンでは引退してもおかしくないほどの大怪我を追いながら過酷なリハビリの後復帰。プレーオフを経てのセリエA復帰に貢献した。
久々のセリエA復帰を果たした2004-2005シーズンでは下位に低迷するチームにあって精神的支柱としてチームを支え、降格をかけたシーズン最終戦では全盛期を彷彿とさせるプレーを披露。奇跡的な残留の原動力となった。ディ・リービオは翌シーズンも契約延長を希望していたがフィオレンティーナ側との交渉がまとまらず、契約を拒否される形となり惜しまれつつも引退を表明した。
[編集] 選手経歴
- ローマ 1981-1985
- レッジャーナ 1985-1986
- ノチェリナ 1986-1987
- ペルージャ 1987-1989
- パドヴァ 1989-1993
- ユヴェントス 1993-1999
- フィオレンティーナ 1999-2005
イタリア代表 1995年9月6日スロヴェニア戦にてデビュー。通算41試合0得点。
主な国際大会出場歴
[編集] 主なタイトル
- UEFAチャンピオンズリーグ優勝 1995-1996
- インターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)優勝 1996
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イタリア代表 - 2002 FIFAワールドカップ | ![]() |
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1 ブッフォン | 2 パヌッチ | 3 マルディーニ | 4 ココ | 5 カンナヴァーロ | 6 ザネッティ | 7 デル・ピエロ | 8 ガットゥーゾ | 9 インザーギ | 10 トッティ | 11 ドニ | 12 アビアーティ | 13 ネスタ | 14 ディ・ビアッジョ | 15 ユリアーノ | 16 ディ・リービオ | 17 トンマージ | 18 デルベッキオ | 19 ザンブロッタ | 20 モンテッラ | 21 ヴィエリ | 22 トルド | 23 マテラッツィ | 監督: トラパットーニ |
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