フランチェスコ・ココ
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フランチェスコ・ココ(Francesco Coco、1977年1月8日 - )は、イタリア、カターニア出身の元同国代表サッカー選手(DF)。
- ポジション LSB LSH
- 代表デビュー 2000年10月7日
[編集] エピソード
左サイドでの抜け出し、巧妙な守備・パスワーク、意表をつくグラウンダーのクロスなどを見せ、「戦術を考えられる選手」と言われる。 ミランのプリマベーラ育ち。1995年、18歳でセリエAにデビュー。早くから才能を認められ「マルディーニの後継者」と言われるが、マルディーニの後継者ゆえにポジションに恵まれず、ビツェンツァやトリノにレンタル移籍される。2000年、U21代表として活躍し、優勝をかちとる。 トリノのレンタルから戻った00-01シーズン、ザッケローニ監督のもとで左ウィングバックとして開花。チャンピオンズリーグ・バルセロナーミラン戦、1ゴール・1アシストの活躍で真価を見せる。しかし、翌シーズンには新監督テリムの構想外となり、スペインリーグ・バルセロナにレンタル移籍。バルセロナでの始めてのイタリア人プレーヤーとなる。2002年日韓ワールドカップでは、イタリア代表として来日した。 02-03シーズン、ミランからインテルに完全移籍。しかし、椎間板ヘルニアが悪化し、シーズン前半は不調。後半、すばらしいプレーを見せて価値を証明するが、4月のインテルーバレンシア戦で重傷の肉離れを負い、再び離脱。5月、望まれて復帰したチャンピオンズリーグ・準決勝で激しいタックルを受け、またもや未来を失う。 03-04シーズンも不運が続き、公式戦4試合で椎間板ヘルニアが悪化。11月に背中の手術を受けるが、手術は失敗。左足の神経が断絶し、動かなくなるという地獄に。選手生命は終わったと言われたが、粘り強くリハビリをし、04-05シーズンにはチームに復帰した。しかし、マンチーニ監督はココを好まず、構想外に。1月には移籍を希望したが、クラブの方針は残留だった。 05-06シーズン。リボルノのドナドーニ監督の信頼をえて、リボルノにレンタル移籍。ウィングバックとして活躍し、「完全復活」と称賛される。しかし、不調のため欠場が予測されていた4月2日。UEFA圏をかけた重要な戦いに無理をして出場。左膝靭帯断絶の重傷を負う。 06-07シーズン、膝の回復が思わしくなく、インテルでは部屋も与えられない冷遇を受けてきた。1月にようやくトリノにレンタル移籍したが、まだ復帰できずにいる。 不運なキャリアの一方、イタリアの国民的アイドル、マヌエラ・アルクリとの恋愛などでお茶の間のネタにされ、波瀾万丈の20代を送った。この先、彼が復活を果たすのかどうか、ドラマは新しい展開を待っている。
[編集] 選手経歴
- ACミラン 1993-1997、1998-1999、 2000-2001
- ピアチェンツァ・カルチョ 1997-1998
- トリノ・カルチョ 1999-2000
- FCバルセロナ(スペイン) 2001-2002
- インテル・ミラノ 2002-2005
- リヴォルノ・カルチョ 2005-2006
- インテル・ミラノ 2006
- トリノFC 2007.1-
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イタリア代表 - 2002 FIFAワールドカップ | ![]() |
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1 ブッフォン | 2 パヌッチ | 3 マルディーニ | 4 ココ | 5 カンナヴァーロ | 6 ザネッティ | 7 デル・ピエロ | 8 ガットゥーゾ | 9 インザーギ | 10 トッティ | 11 ドニ | 12 アビアーティ | 13 ネスタ | 14 ディ・ビアッジョ | 15 ユリアーノ | 16 ディ・リービオ | 17 トンマージ | 18 デルベッキオ | 19 ザンブロッタ | 20 モンテッラ | 21 ヴィエリ | 22 トルド | 23 マテラッツィ | 監督: トラパットーニ |
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